聞き書き | 紅 萌 こうほう

先日 幕末関連の女性歴史家赤間さんの思い出をかきましたので、当時講演会・交流会でご子孫から伺った話を書いてみます … 覚え書きというほどでもございません。


名字から「O」さんと記させていただきます。

「O」さんは、大阪では隊士として多くの志士と剣を交わし、殺めることもあったことは別の隊士の覚え書きからも推察されるところです。
本人の意に反し、病の為他の隊士のように転戦につぐ転戦に加わることも叶わず、その後若くして亡くなられました。
お子さんがいたことは確認できませんので、ご子孫とは長姉のご子孫になります。
お話によりますと
代々 長男は早死にてきました
長姉の長男は 若くして病死しまた
………
自分の兄(長兄)は、先の大戦で特攻隊として空に散りました、
自分には産まれた時から背中に大きな痣があり、それはまるで袈裟懸けに切られたかのような痣であります

その痣は、ご先祖さまの刃に屠られた志士の念が私の身体に顕れたものだと思っていました
その痣ですが、
ご先祖さまを命日に供養してまいりましたが
ご先祖さまが殺めたであろう志士の供養もするようになると 年々薄くなり、今ではわからなくなっております
因縁というものがありましたら、私の代で絶てそうです
息子も元気に働き、孫も健康で この都度大学に進み ご先祖さまを卒論のテーマにすると言っております

ご子孫の背にある痣が薄くなったのは、
因縁を断ち切ったからなのでしょうか。
或いは 受け入れたから と表現すればよろしいのでしょうか。

それとも単に、偶然の連続だったのでしょうか。


当時、幕末なんて 遥か彼方 遠い昔の話だと思っていました。

ですが 藩主でありながら自ら脱藩し最後の殿様と称された

林忠崇公はご長命で昭和に入られたから亡くなられたと知り なんとも言えない思いでいっぱいになりました。

林公は ご自分の長女の経営するアパートで息を引き取られたそうですが、それが私の実家の近所らしいのです。