NHK大河ドラマ【青天を衝け】第二十八回を見て | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

NHK大河ドラマ【青天を衝け】第二十八回を見て

 

今回は、栄一が大蔵省にヘッドハンティングされる顛末が描かれていた。物語の冒頭...日本の郵便の父、前島密翁が初登場。思わず画面に向かって合掌してしまった(笑)。次々に明治新政府の八百万の神々が登場。物語に弾みがついて来た!!

 

さて...第28話でキーになる人物と言えば、やはり大隈重信であろう。

 

ドラマレビューの前に、この大隈重信及び彼が生を受けた佐賀藩と言う風変わりな藩について、少しばかりご紹介しておきたい。その方が、今回のストーリーを上手く咀嚼出来ると思う。今日はウンチクパートから始めさせて頂く。

 

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大隈重信は天保九年(1838年)佐賀藩に生まれた。大隈家は砲術長を勤める名門で、知行300石であったと言うからかなりな身分である。上士の家柄であった。彼は七歳で藩校・弘道館に入学し、儒教の詰め込み教育を受けて育った。しかし16歳の安政元年(1854年)の頃には、これに反発し藩校の改革を訴えたと言うから相当な反骨漢だった。翌年には退学処分を食らっている。現代なら高校二年生で学校の指導方針に反対し、退学になる様な物だ。相当に熱い学生だったのだろう。

 

朱子学中心の藩校を否定し、枝吉神陽から国学を学んだ。枝吉が結成した尊皇派の集いに顔を出し始め、義祭同盟に副島種臣、江藤新平らと共に参加する。そして文久元年(1861年)には、藩主・鍋島直正にオランダ憲法について御前講義を行ったと言うから大したものだ。23歳でガリ勉大国佐賀藩において弘道館教授に抜擢されている。

 

 

翌文久二年には郵便の父・前島密らと共にチャニング・ウイリアムズに師事し、英語や数学などを学んだと言うから、その先見性は飛び抜けている。対外的には長州藩と幕府の間の調停を志していた様だが、これはさしたる結果を残してはいない。慶応年間には、あの高名なオランダの宣教師フルベッキにも師事。更に英語に磨きを掛けた。この時期にアメリカ独立宣言を教えられ衝撃を受ける。

 

志士としては勤皇派に属しており、慶応年間は京と長崎を中心に活躍。慶応三年(1867年)には副島と共に脱藩。将軍慶喜に大政奉還の策を説こうと坂本龍馬とは別ルートで画策するが、藩に露見し捕縛されてしまう。佐賀に送還され謹慎処分を食らった。

 

まずもって凄いバイタリティーだ。思い立ったら馬車馬の様に突進して行く...ボンボンには珍しいハングリースピリッツの持ち主と言えるだろう。

 

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さて、ここで大隈が生まれ育った佐賀藩と言う藩についてご紹介しておきたい。

 

非常に特殊な藩だ。

 

 

江戸期において、長らく秘密のベールに包まれた謎の藩として知られていた。もちろん、江戸や京、長崎などで働く藩士も居たので、誰も見た事が無いとまでは言えないが...藩外の人々でこの藩の藩士を見る事は極めて稀であった。何故ならば...この藩は長らく鎖国していた...。

鎖国していた日本の中において、である。

鎖国内鎖国...とでも言おうか...自国領内に他国者を入れず、また他国領に自藩の者を出さない...。それは江戸時代の初期から徹底されて来た。佐賀藩は、戦国期に活躍した戦国大名鍋島直茂をルーツに持つ。元々龍造寺家の家臣であった鍋島が、主家を乗っ取る形で藩を成立させた。主家の血筋が途絶えた所で嫡男勝茂に龍造寺の家督を継がせているので、龍造寺家の血流も鍋島一族と入れ替わっている。成り立ちからして一風変わった藩なのである。

35万7千石の大藩でありながら、三つの支藩と鍋島四庶流家、更には龍造寺四分家が各々自治領を持っていたため、主家である鍋島家の実質的な石高は6万石程度であったと言われている。まるで連合王国の様な大藩であった。

彼らが鎖国内鎖国に走っていったきっかけは、特産品である焼物の技術が漏洩する事を恐れた事にある。有田焼、伊万里焼で有名な磁器。そして陶器の唐津焼...。

 


 

鍋島直茂が慶長の役の際に朝鮮半島から陶工を多数強制連行し、有田に住まわせたのは良く知られている。名工李参平によって1616年に創設された有田焼は、数十年で急速に発展。佐賀藩の国力を大いに潤わせた。そして高い品質を求め、更には技法の維持を重視して、1675年有田から伊万里に藩窯を移す事となるのである。ここに伊万里焼が誕生する。

その情報漏洩に対する警戒は徹底されており、険しい地形の中に労働者を押し込め、入口には関所を設けて厳重な監視態勢を布いた。これがその秘密主義の第一段階だったと言えるだろう。

そして、この藩は領地が長崎に近い事から長崎警護の任を代々任されていた。三代将軍家光の頃、ポルトガル船を焼討ちにし、日本は鎖国を開始したのだが、その時長崎を守っていたのが佐賀藩であった。島原の乱から十年しか経っておらず、相当に不安定なエリアであったと想像されるが、佐賀藩は見事ポルトガルの脅威を退けて見せた。以来、福岡藩と一年交代で長崎を警備する事が通例となり、220年間彼らは長崎を守り続ける事となったのである。

さて...

その様な特殊任務と、秘密主義が合体すれば何が起こるだろう?

簡単に想像はつく。【西欧技術】の独占。これを狙いはしないか?

鉄のカーテンの向こう側...誰も知らない佐賀の国土は幕末に至って凄まじい変貌を遂げていた。

 


 

他国者は知らない。日本列島の中で、この藩内だけは煙突が立ち並び、化学工場、製鉄所がフル回転している...。日本であって、日本では無い風景が既に広がっていたのである。

 


 

藩主鍋島直正は精錬方という科学技術専門の研究機関を創設し、鉄鋼生産、金属加工、大砲、蒸気機関、電信設備などのハイテク技術を研究させ、最も近代化された藩を幕末の世に誕生させた。【葉隠】を神聖視する保守的風土に育ちながら【蘭癖大名】と揶揄される程蘭学の修得に熱を上げた。そして嘉永二年(1849年)には日本初の製鉄所を完成。黒船来航の前年(1852年)には反射炉の稼働にも成功する。プチャーチン率いるロシア使節団の長崎寄港の際には、模型の蒸気機関車を披露されそくざにこれを模倣。石黒寛次、中村奇輔、田中久重らのエンジニアに対し、蒸気機関車と蒸気船の製造を命じ、粗雑ながら国産品を作り上げてしまう。そして慶応元年(1865年)には日本最初の実用蒸気船「凌風丸」を進水させてしまったのだから、驚嘆すべき技術大国である。

 

 

アームストロング砲...。

 

皆さんも一度は聞いた事があるのでは無いだろうか。上野戦争で佐賀藩が持ち込み、彰義隊の基地であった寛永寺の根本中堂を蜂の巣にした伝説の野砲。会津戦争においては小田山に引き上げられ、鶴ヶ城の漆喰の壁面を徹甲弾でもって穴だらけにした。戊辰戦争において佐賀藩が完全コピーに成功した国産初の錬鉄製後装砲である。

 

この画期的野砲は、英国人ウイリアム・アームストロングによって開発された。非常に特徴的な構造を持つ後装砲であった。砲身は錬鉄製で、複数の筒を重ね合わせるようにして作られる。層成砲身と呼ばれる砲身は、四斤山砲の様な鋳造砲に比べて軽量化が図れる。青銅より硬く、更には加工し易い鉄を使う事によって、より複雑な構造の砲を形成する事が出来る様になったのだ。

砲身の後部にはハンドルが付いており、このハンドルは円筒形の筒型のネジと一体になっている。ハンドルをグルグル回すと、円筒形のネジは締まって行く。その先に...火門と一体になったベントルピースと呼ばれる蓋を挟み込むのである。

ベントルピースは握力計の様な形状をした鉄の蓋で、これを差し込む前に砲弾を円筒形ネジの後ろから装薬ごとランマーで押し込んでおかなければならない。で、上からベントルピースを差し込む。そしてハンドルでネジを締め上げれば...ベントルピースはガッチガチに砲身を密閉し...ガス漏れをシャットアウトする。

ベントルピースに差し込まれた導火管に摩擦による発火を加えれば...

ズドン!!

 


 

ガス圧をロスする事なく凄まじいエネルギーが砲弾を吹き飛ばしてくれると言う仕組みだ。

そう...

つまりエンフィールドミニエーからスナイドルミニエーにカスタムされた小銃の進化...

その大砲版だと考えれば分かりやすい。

四斤山砲と同じく、砲身内部にはライフリングが施されており、弾体中央に巻き付けられた鉛が溝に食い込んで弾を回転させる...。

砲身は長い。砲身長は四斤山砲の1.5倍もあり、150cmを超える。小柄な女性並みの砲身をご想像頂きたい。

アームストロング砲には三種類あり、12ポンド砲、9ポンド砲、6ポンド砲の三つのタイプが存在した。佐賀藩が自力で作ったとされる砲は、この内9ポンド砲と6ポンド砲で、戊辰戦争で使用されたのは最も小さいタイプの6ポンド砲。これが二門だけ使用された。

その存在を日本側が初めて知ったのは、薩英戦争の時に英国艦隊が鹿児島城下を砲撃した時の事。その余りの威力に驚嘆した日本人は、この謎の大砲をあの手この手で調査した。英国艦隊は実に365発もアームストロングを発射したのだが、その際27回も発射不能に陥り...最後には暴発して周囲の砲兵を全員死亡させてしまった...。英国海軍も正式採用を躊躇する程の大砲だったわけである。

 


 

この翌年、その製造法が本として出回るや、これを入手...完全コピーを試みたのが佐賀藩であった。

映画や小説において、かなり大袈裟にその破壊力が描写されるアームストロング砲だが、爆発力に関してはそれ程大した事は無い。実戦投入された6ポンド砲の砲弾自体が諸藩が装備する四斤山砲の砲弾よりもかなり小さい。重量なら7割くらいにしかならない。当然、内包される炸薬の量も少なくなるため爆発力に劣る。この和製コピーの後装砲の他にも...様々な高性能砲が輸入されている時期だ。たかが和製コピー兵器一門で戦局を一変させるられる様な物では無いのだ。

唯一優れていただろうと思われるのは、榴弾や徹甲弾による貫通力だ。四斤山砲の発射時の初速は237km/hだが、このアームストロング砲は350km/h!最大射程は2,600mの四斤山砲に対し、3,600m!1kmも遠くに砲弾を飛ばす事が出来る。このパワーは桁外れである。砲の形状自体、カノン砲の様なスラッとした長身!当然、低い弾道で水平撃ちの様に弾丸を撃ち込めた筈だ。グレネード弾による広範囲の歩兵攻撃用と言うよりは、爆発しない中実弾で漆喰の壁を貫通,,,城郭や楼門の柱をへし折る建造物破壊に威力を発揮したと思われる。寛永寺の根本中堂や会津鶴ヶ城を蜂の巣にしたのは、この砲であろう。

 

アームストロング砲が凄かったのは、戦場における戦果と言うよりも...

 

この時代に国産でこの複雑な砲を制作出来たと言う事実こそが重要だったのだと、僕は考えている。必要なインフラさえ整っておれば、世界の最新兵器を我が国でも生み出せるのだと...当時の軍人達に希望を抱かせたのでは無いか...。ある意味で文明開化の象徴となった兵器...それが佐賀藩が作り上げた国産アームストロング砲だったのかも知れない。

 

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また、佐賀藩兵は戊辰戦争時諸藩兵と異なりぶっち切りの最新装備で武装されていた。薩長とてその近代装備にはとても敵わない。

 

 

これは昭和初期に描かれた佐賀藩砲隊が上野寛永寺を砲撃する様子を描いた図だが、アームストロング砲を取り囲む兵具隊は全てアメリカ製のスペンサー7連発銃で武装されている。NHK大河ドラマ【八重の桜】で主人公八重(綾瀬はるか)が撃ちまくっていたライフルと言えばお分り頂けるだろうか...。兵具隊だけで無く、一般の銃卒も含め佐賀藩兵のスペンサー携行率は100%であり、彼等のランドセルにはゴム製のレインコート、防寒用のブランケットまで詰め込まれていた。まさに、旧幕府勢力のみならず、味方である官軍諸藩兵をも驚愕させる最新装備で武装されていた。

 

各戦場においてダントツの最強装備を誇った佐賀藩。何故【薩長土肥】と言われるか、これでお分かり頂けるだろう。彼らは戊辰戦争において他藩が見た事も無い最新装備で武装され、戦局に決定的な打撃を与え続けたからだ。

 

今でこそ塙に茶化され、『エス・エイ・ジー・エイ・さが〜〜〜っ♪』などと田舎扱いされているが、明治の始め...ここは日本のどの地域よりも発達した最先端ハイテクタウンだったのだと覚えておいて欲しい。

 

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...話を大隈重信に戻そう。

 

いずれにせよ、大隈が生まれ育った佐賀藩とは、この時期の他藩とは全く異なる複雑奇怪な工業王国であった。公務員たる藩士の世界は...

 

なんと...

家禄は試験の点数によって決められていた。勉強の成績次第によって、先祖代々の扶持を削られ、また大幅に加増される...。異様な世界である。試験結果で給料が決まる。たまったものではない(笑)。この時期の詰め込み教育の弊害を、大隈は百害あって一利なしと断罪している。彼が後年早稲田大学を設立するのは、この青春時代のネガティブな記憶が大きく影響している。

 

特殊な藩で維新を迎え、中央に出る事になった大隈は故郷を背負って薩長土と張り合わねばならなかった。相当に気負った事だろう。戊辰戦争の論功は薩長が独占。三番手の土佐にも、板垣退助と言うスーパースターが居る。だが、第四勢力たる佐賀はどうか...

 

前三藩に比べ見劣りがするし、大隈自身もそれを自覚していた事だろう。だから...別の勢力を巻き込んででも、力を蓄積する必要があった。江藤新平などはその急先鋒であったと思う。彼らは自藩士以外の...有為の人物を探していた...。

 

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ちょっと長くなった(笑)。今日のウンチクパートはここまで(笑)。

 

ここからはドラマの筋書きに沿ってお話して行きたい。以上述べて来た様に、少数派閥で特殊な存在であった佐賀出身の役人にとって、渋沢栄一の様な人材は是が非でも自軍のサイドに確保しておきたい人物であった。この様な英邁な人物を数多抱え込んでおけば、いやらしい話...第四勢力は新政府内でも台風の目となる事が可能だ。そう言う狙いも少なからずあったろう。

 

今回の大隈との1stコンタクトのシーンは、面白おかしくコミカルに描かれていたが、いかんせん大隈の佐賀弁が聞き取りにくく...良く内容が理解出来なかったと言う人もいるかも知れない。

 

なので...MarlboroTiger流に、分かり易く、もうちょっと補足しながら、大蔵省出仕に至る流れをご説明しよう。史実からアレンジすると、次の様な感じになる。

 

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栄一の運命が再び動き出した。突如中央に引っ張り出されたのだ。そこには大隈重信の強烈な力が働いていた。太政官に呼び出された栄一は、【大蔵省租税司正】という予期せぬ役職を命じられる。だが栄一の本音は...

 

『大蔵省には知人は一人もいない。税金の事など...またその職務も全くの未経験だ。こればかりはどうしてよいかさっぱり解らない...。俺に畑違いの仕事をせよと言われてもな...。アホくさい。』

 

...と言う物であったろう。

 

栄一は辞退するつもりでいた。ドラマで描かれていた通りだ。未経験の業務など、任されても対応出来ない。だから断る。これは自然な反応である。彼にとっては新政府よりも、先ずは旧主君の居る駿府こそが忠義を示す場所だ。当時の倫理観からすると、そう考えるのは当たり前だ。

 

だが栄一は、一方で今回のヘッドハンティングの一件に探りをいれる。一体、誰が自分を呼び込もうとしたのか...。彼の旺盛な好奇心を考えれば、それもまた自然の流れであろう。

 

そして大蔵省内の二人の人物が浮かび上がった。大輔という役職の大隈重信、そして少輔という役職の伊藤博文である。恐らくはこの二人が中心となり、自分を引っ張り込もうとしているのだと見当を付けた。今回の人事で実権を握っているのは大隈の方で、彼が中心となってヘッドハンティングの糸を引いている。そう栄一は判断した。

 

 

大隈の自宅まで出向き、辞退することを告げた栄一だが、大隈は意外な反応を見せる。

 

『何から始めればいいのか解らないのは、君だけじゃない。ここにいるみんなが解らないのである!』

 

凄い返し技だ(笑)。一見ヤケ糞気味の言い分にも聞こえるが、そこは大隈一流の逆襲の一手と捉えるべきであろう。

 

(グダグダ言うんじゃ無い!日本国を起動させるのに、右も左もあるか!過去の事などどうでもいい。その才能を新しき世の為に使うべきでは無いのか!)

 

言外にそう言ってしまっているに等しい。栄一ほどの者なら、それを即座に察知する。

 

『今は広く民間に賢才を求め、これを登用するのが何よりの急務である。君は税に詳しく無いと言ったな?皆同じだ!我々は困り果てているのだ。困窮している者に、何故手を差し伸べようとしない!』

 

...恐らくは、そんなニュアンスも含ませながら、大隈は詰め寄ったのだと思う。【大局を見よ!】と言う脅しの掛け方は...栄一の様な人一倍好奇心の強い人間にとっては殺し文句となる。

 

三文芝居の様でもあるが、このベタな説得に...栄一は敗北した(笑)...。

 

渋沢が立ち上げた静岡藩の事業についても、大隈は次の様に言及している。

 

『なるほど、商法会所の経営もよいだろう。しかしその仕事は、わずかに静岡藩の一部に限られている仕事である。ところが、われわれがこれからやろうという仕事は、そんな小さなものではない。日本という一国を料理するきわめて大きな仕事である。』

 

向上心と好奇心に満ちた若者へのトドメの台詞だ。栄一が気に懸ける慶喜への恩義についても、大隈は次の様な言い回しでそこから脱却する方法を示してみせる。

 

『ここで君が仕官を固辞すれば、いかにも慶喜公が新政府にタテをついて、故意に旧臣をよこさないように取られてしまう。それは慶喜公のためにも、君のためにもよくないことだぞ。』

 

筋が通って居る。更には何ともいやらしい(笑)。この辺りのレールの敷き方が憎たらしいくらいに上手い...。

 

で、栄一を煽る(笑)。プライドを刺激し、興奮させ、微妙に相手のレールの向きを変えてしまうのだ。

 

 

『それならば自分にも考えがあります。それを採用して頂きたい!』

 

売り言葉に買い言葉...そう栄一が呟いてしまった瞬間に勝負あり、なのであーーーる(笑)。

 

『ほう...聞かせて貰おうでは無いか...。』

 

したりと(笑)...大隈は心中ほくそ笑んだであろう...。

 

(食い付いて来よった!こいつはもう、我等が大蔵省の者なのであーーーる!)

 

ざっくり言うと...こんな展開でもって栄一は絡め取られてしまった。

 

 

山崎育三郎の演技も実に軽妙で良い。軽やかに、しかしピンポイントで栄一のハートを鷲掴みにするトークは...最高に痺れる。そりゃ、栄一も口が立つが、この伊藤の人たらし...いや、人を惹きつける弁舌には超人的な能力がある。生命の危機を脱して来た口達者のキャリアが、栄一とは比べ物にならない程凄まじいのだ。(※伊藤博文の人となりがどう幕末期に形成されたかは、先日当カテで記事を投稿させて頂いた。最下部にリンクを貼らせて頂くので、お暇ならご一読頂きたい。)

 

 

一時は、長州の英国公使館焼き討ちに触発された栄一である。かつて自身が模倣しようとしたその主犯格が目の前に居たら...

 

やはりグラつくだろう(笑)。そして、それを鼻にかけず偉ぶらない。伊藤のテクも相当なものだ。

 

(英国に留学しただと?俺と...同じでねえか...。こいつはあの焼き討ちをやった...主犯格なのに?)

 

内心、度肝を抜かれたと思う。攘夷気違いしか居ないと思っていた長州に、こんな男が居た...。志士としても、冒険野郎としても、そして開花主義者としても...自分より遥かに上を行っている。恐らく、栄一と同じ元農民だったと知った時には、ジェラシーすら感じたのでは無いか...。年齢は伊藤の方が栄一より一つ年下なのだが、それを感じさせないオーラを...伊藤はこの時既に放っていたかも知れない。

 

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今回の慶喜のシーンも、実に見応えがあった。

 

 

慶喜が栄一に最後のミッションを与えるシーン...。胸にジーーーンと染み渡るシーンであった。多くを語らず、東京へ出ろと彼は語る。グダグダと理由を述べる栄一を遮り...

 

『行きたいと思っておるのであろう?』

 

...これ最高(笑)!一撃で雄弁家の栄一を斬って捨てる...上様最高の台詞だったのでは無いだろうか(笑)!!

 

見抜いているのだ、栄一の本質を。

 

そして...

 

栄一が【篤太夫】の名を返上し、元の【栄一】に戻るシーンね...

 

 

こりゃ、泣けましたわ(笑)。『渋沢栄一にござりまする!』第一話で登場した、あのシーンのフラッシュバック...そしてその情景を...眼を細めて思い出す慶喜...。

 

大森美香は、視聴者のツボを心得ている(笑)。クラックラ来た(笑)。

 

そしてその主従二人きりのシーンを演じた、吉沢亮と草彅剛の演技は、最高であったと評しておきたい!隠居然とした草彅剛の姿は...やはりSMAP脱退後、苦渋に満ちた生活を送っていたからであろうか...めちゃめちゃ渋く、且つリアルであった。

 

(ほんま...本物に見えて来た...。)

 

心からそう思った。こんなリアルな慶喜は見た事がない...。吉沢亮との対面シーンは、ほんとこのドラマの最高の見所になっている気がする...。

 

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そして、このシーンも忘れ難い。

 

世捨て人の様に駿府で逼塞する慶喜であったが...妻美加子が東京より転居。二人は再会する。

 

 

色々あった二人だが、ようやく真の夫婦になれそうな...そんな予感が漂う...。

 

 

川栄李奈は超絶的な美女では無いのだが、曰く言い難いエロスが備わっている。この女優さんは、前からちょっと注目してるんだよね。だから、全編通してもっと登場回数を増やして欲しかった。アイドル時代の彼女は良く知らないのだが、登場すれば、必ず画面に傷跡を残してみせる。ほんと、見事な女優さんだ。

 

子作り宣言をして、画面からフェードアウトして行くラストであったが、ちょっと『?』と意味深げな消え方だった。もし、大森美香が...その後を狙ってそうしているのなら...エグい(笑)。

 

まあ、バラしてしまうと...この慶喜と言う人物も、種馬としては恐ろしく繁殖力に優れており、この静岡時代に10男11女を儲けている。全て側室の子供である。美加とは新婚時代に江戸で娘を作っていたのだが、直ぐに早世してしまった。父である列侯斉昭の三十七人の記録は超えられなかったが、二十一人の子供って(笑)...凄すぎる...。やはり、その筋のDNAなのだろう。和歌山の爺ちゃんパンダも真っ青である...。

 

もしかしたら、その辺の愛憎劇への布石かと...いぶかしんだりもした。考え過ぎかも知れないが(笑)...。

 

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成一郎は獄中にある。

 

かつて拙作【新世界】の最終話において、徳川脱走軍幹部の獄中生活を描いた事があるのだが、申し訳ない。彼の事は良く分からない。僕の小説では、そもそも幹部扱いはしていなかったし、登場すらさせていないので...言及しない。この人物に関しては大森美香にお任せする。

 

 

でも、まあ...僕の中では、高良健吾は今でも高杉晋作だ(笑)。何度見ても、【花燃ゆ】の晋作さんに見えてしまう(笑)。喜作に戻れるまで...もうちょっとだ、頑張れ。出所したら、お主の道は開ける!!!

 

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と、言う事で...

 

様々なニューキャラクターが出揃って来た。

 

【八百万の神々】。このフレーズは、さすがやね。明治維新を良く分かってなければ、絶対に出てこないフレーズ。そう、維新の本質ですよ。若者が、なろうと思えば...あらゆる物のパイオニアになる事が出来た。その唯一の時代こそ明治。あらゆる既成概念を取っ払い、伝統、文化、風俗、宗教、習慣、ルールを木っ端微塵に破壊した。老人や大人達の常識、安穏、権威を潰し、それを犠牲にして彼等は上り詰めて行った...。

 

旧世界の全てを否定し、それを踏み台にして新しい時代が始まる。

 

どうせなら、消え去る者と上り詰める者の対比...光と陰を、今後は生々しく描いて欲しいものだ。そのほうがリアルだろうし...。

 

最後に...前島密は僕のお気に入り。是非とも登場機会を増やして欲しい。個人的な願いだが。

 

当ブログを読んで頂いている方なら...

 

幕末好き、御朱印好き、仏像好き...の方が多い筈。ならば...

 

横須賀の浄楽寺に、ぜひ参拝して頂きたい。(※下部にこれもリンクを貼っておきます。)関東唯一の運慶仏が拝め、前島密のお墓もある。御朱印も頂ける。一粒で三度美味しい名刹であーーーる(笑)!ぜひ、ご参拝を。

 

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次週に期待する!!!

 

☆☆☆☆☆!!

 

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幕末期の伊藤博文と井上馨の青春時代を描いた記事はこちらから♪

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前島密のお墓と、神奈川が誇る運慶仏が見たければ、横浜の浄楽寺へ!

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