盆休み中の霊場参拝(2)金峯山寺 〜 東大寺二月堂
さて、帰省後四日目は奈良の霊場を参拝する事にしました。比叡山参拝の翌日...連日の聖地巡礼ですね(笑)。
先ず行きたかったのは、吉野の世界遺産...国軸山・金峯山寺。実は一度もお参りさせて貰った事が無かったのです。金峯山修験本宗さんの総本山...修験道の聖地中の聖地になります。
桜の季節は凄まじい状況になりますからね(笑)...ある意味シーズン・オフと言えるこの時期に、行ってみようと思い立ったのです。
月に一回参加している川崎の等覚院での勉強会...そこに参加しておられる修験者さんも金峯山修験本宗の修験者さんでした。八月はこの吉野で法要があり参加出来ないとの事でしたので、これも何かの縁。再会した時の話のネタに、私も蔵王堂に参拝しておこうと思ったのです(笑)。
実家から車で行きました。阪神高速は思ったよりも空いており、ほぼ渋滞無く現地まで辿り着けました。
天候に恵まれ、緑が映える清々しい一日でした。吉野の山々が暖かく迎え入れてくれる様な...そんな気がしました。
蔵王堂です。国宝、そして世界遺産に登録される金峯山寺の本堂です。高さ34m、四方36mの豪壮な建造物で、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇っております。内部には我が国最大の厨子が安置されており、その中には秘仏である御本尊【金剛蔵王大権現】の尊像3体がお祭りされております。
オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ウン・ソワカ!!
これがその御本尊ですね。今はまだ逗子の中にいらっしゃいますが、今年(令和3年)は10月22日から11月30日の期間特別開帳されます。
この御本尊・金剛蔵王大権現は、およそ1300年前に修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)よって感得されたと言われる権現仏です。役行者は、全国の霊山を開山した後、熊野から大峯山脈の稜線伝いに吉野に修行しました。これを33度を行い、最後に金峯山山上ヶ岳の頂上で一千日間の参籠修行を実施。衆生救済の祈りを捧げたのです。これに応え、釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏が彼の前に現れました。役行者は、その三仏の柔和なお姿を見るや、『このお姿のままでは荒ぶる衆生を済度しがたい。』と感じられ、さらに祈念を続けたのだと言います。すると天地鳴動し、山上の大盤石が割れ、雷鳴と共にこの忿怒の形相の荒々しい御仏がお出ましになられと言います。これが金剛蔵王大権現です。役行者はこれぞ末法の世を生きる人々の御本尊なりと、そのお姿を山桜の木に刻み、お祀りしたのです。これが、金峯山寺の始まりであり、修験道の起こりと伝えられています。
権現とは、【権(かり)の姿で現れた神仏】を意味します。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括する存在とされ、インドに由来しない日本独自の仏尊です。
神道においては、大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊、金山毘古命が習合した神とされています。
まさに、神仏習合の架け橋たる修験道の御本尊に相応しい仏様なのです。
ここで...太古の昔...山谷を駆け巡り、人々の安寧を祈った修行者が居た。
土着の神や、大陸から来た新しい神、山中に宿る様々な精霊...それらをミックスし、日本独自の宗教観を思い描いた人々が居た。
そう思うと、心が雄大な気持ちになります。
この現在の蔵王堂は、豊臣秀吉の寄進によって再興された...天正十九年(1592年)建立のお堂です。先に述べた三体の御本尊も、同時期の天正十八年に南都の大仏師、宗貞と宗印によって作られました。
秀吉が如何にこの地の仏に敬意を払っていたかが分かりますね。
蔵王堂の大提灯。実に神々しい。
しっかりとお唱えしましたよ(笑)。法華経、観音経、般若心経、金剛蔵王大権現真言...。
日本のルーツの一つが...確かにここにはあるのです。
修験道は、江戸時代に幕府によって強制的に天台宗・真言宗の配下に置かれてしまいました。そして明治維新の神仏分離令、廃仏毀釈によって大きなダメージを与えられたのですが、ここにしっかりとその教えは残っています。それが何とも清々しい...。
比叡山、そして高野山の修行法にも大きな影響を与えた事でしょう。
千日回峰行と言えば比叡山延暦寺が有名ですが、こちらの金峯山寺にも同じく千日回峰行(大峯)が伝えられています。密教との深い関わりが感じられます。
いにしえの行者達に畏敬の念を抱きつつ...
最高の勤行をさせて頂きました。
心は実に晴れやかでした。
国宝の仁王門は、現在修理中。立ち寄る事は出来ませんでした。
しかし、門前で...
草もちとくず餅をゲット♪
最高に美味かったです!!!
そして...
御朱印はこんな感じ。
【蔵王堂】の墨書が実に格好いい。修験の魂が込められた...最高の御朱印です!
...
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で...
次の目的地、東大寺に向かった訳です(笑)。
でも、大仏殿ではありませんよ。観音信仰者としては...
目指すは二月堂(笑)!!
百観音結願のお礼参りとしては...
善光寺、四天王寺、延暦寺根本中堂、高野山奥の院...と参拝し、笈摺(白衣)に御朱印を頂戴しておりましたが、最後に残っていたのが二月堂。
関東での修行も十分に積めたであろうと...心を込めて御朱印を頂戴した訳です!
その笈摺は...まだもう一ヶ寺押して貰いたい所がありますので、完成したらまたアップ致しましょう(笑)。
まあ...何度来てもええもんです。我々観音信仰者にとっては...ここは別格の場所なんですよ...。この大仏殿東方の丘陵地こそ...最高のパワースポット(笑)。隣接する三月堂(法華堂)に関しては仏像テーマ【不空検索観音立像】でもご紹介しましたが、東大寺における観音ワンダーランドと言って良い。
ここ二月堂の本尊は十一面観音様。絶対秘仏なのでお坊さんでも拝めませんが、西国三十三所の番外霊場に指定されており、お礼参りの参拝霊場の一つにカウントされております。
気合い...入りましたね(笑)、流石に。
例によって、全力読経!
法華経からは【自我偈】と【観世音菩薩普門品】を...般若心経、十一面観音真言、光明真言、随求陀羅尼...ってな感じです。これまた最高の勤行を味合わせて頂きました。
御朱印です。
満願を祝って頂けたのか...納経所のおじさんから、【らくがん】を頂戴しました。嬉しかった。
関西に春の訪れを告げるのが、この二月堂で行われる【お水取り】。皆さんも聞いた事があるでしょう?
毎年三月一日から二週間に亘って行われるこの炎の修二会。関西人なら皆特別の感情を抱きます。
『おおっ...お水取りかいな?やっとこさ、春やなぁ〜!』
...となる(笑)。これを見ると、心がウキウキして来る物です。今年で1270回...奈良時代から一度も途絶えた事の無い我が国で最も長く続く仏教儀式です。コロナ禍の本年も、練行衆のお坊さん達の必死の努力によって開催されました。
【疫病退散】には、もう...この十一面観音様にすがるしか無いのです!!
堂内で点けられた種火から、全ての松明に火が点けられます。火の粉を撒き散らすこの儀式は圧巻の一言!火の粉を浴びると幸せになると言われております。
天平時代、日本は天然痘によって人口の三割が病死したと言われております。一説によると、この東大寺修二会はその疫病退散を祈る儀式がルーツになっているのだと言います。
まさに...コロナ禍の今に通ずる...疫病退散の聖堂だと思いませんか?
だから...このタイミングで参拝したかったのです。百観音を満願し、コロナ危機を迎えた今こそ...
お礼参りすべきだと...。
疫病を焼き尽くす炎を想起し...ひたすらに観音経を唱える...。自分の為だけでは無く、一切衆生の救済の為...祈らせて頂きました。
これだけの炎ですからね。実は、二月堂は修二会の際に延焼して焼失した事があります。江戸時代の寛文七年(1667年)に修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。現存する二月堂はその直後、寛文九年(1669年)、徳川幕府の援助を得て、再建されたものです。
時代、時代で人々の苦しみも違っていたでしょう。それでも観音様はそんな衆生の苦しみをこの高台から見つめ続けてくれている...。1300年近くも、この法要を維持し続けてくれた...ご先祖様達の信心に感謝です。
勤行後、高台に爽やかな風が吹き始めました。既に汗だくでしたが...全力で読経した後は、本当に心地よい!
納経所のおじさんに一礼し、二月堂を後にしました。
ついで...ではありませんが、三月堂に立ち寄り...
不空検索観音様の御前で、再び全力読経(笑)!!もう、ビリビリとパワーを感じるひと時です。参拝客もまばらで、遥拝席から国宝仏をほぼ独占状態。最高の20分間でした。
二月堂、三月堂参拝直後の大仏殿です。中には入らず、この池のほとりから合掌です。
鹿さんもご苦労様と言ってくれております(笑)。
当日の戦利品。
左が二月堂の数珠ブレス。小窓から秘仏十一面観音様の御影が覗けます。右が金峯山寺のブレス。修験道らしく、平珠の形状がとてもクール。
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いやはや...
とても満たされた気分になった一日でした。
やはり、関西の古刹は奥が深い!!
観音信仰の楽しさは、こうして宗派の別なく様々な有名寺院を参拝出来る事にあります。日本の歴史を知り、その成り立ちにロマンを感じ、そしてパワーを頂く。
皆さんも、どうです?観音巡礼...楽しいですよ(笑)。
翌日から関西は雨。盆休み後半は実家でダラダラとテレビを見て過ごしました。しかし...
良い盆休みでした。
皆でコロナに打ち勝ちましょう!!!
南無観世音菩薩🙏