韓国への思い...その7 | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

韓国への思い...その7

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慶州東国大学の学生達との別れの時が近づいていた。

最後の夜は、飲んで、飲んで、また飲んで...。

たった四日間の付き合いであった。お互いの言葉も分からない。英語と言う西洋の言葉を、たどたどしく使いながら、何とか意思疎通を試みただけ...。時には筆談を試みた。しかし、彼らは我々日本人ほど漢字を知らない。恐らく中学生レベルだろう。ハングルを大切にするあまり、韓国の若者の漢字離れは急速に広がっているのだと感じた。だが...心は通じた。その事が、何よりも嬉しかった。

彼らは俺に『行くな。』と言う。俺は『予定がある。』と答える。こんな押し問答が続く。通りすがりの旅人に、ここまで心を開けるものだろうか。俺が逆の立場だったなら...彼らの様に、無邪気に胸襟を開き...外国人に優しく出来るだろうか...。戸惑いを覚えた。韓国人の感情表現の豊かさは、羨ましいほどだ。大いに笑い、大いに激昂し、大いに泣く。日本人は、武士が天下を取ってから感情を抑制する様になったと言われる。古今和歌集が誕生した頃、日本の男は良く泣いていた事は確からしい。それが武士が台頭し、戦乱が相次ぐ様になると心を読まれぬ様、能面の様な顔を保つ様になった。平穏な時代でもそれは維持され、複雑な官僚機構の中でポーカーフェイスは生きる術の一つとなり、庶民にもそれは伝播して行く...。

韓国は違う。日本で言えば、平安京のまま...荘園制が近代まで維持された国家だ。貴族社会の雅が廃れる事なく続いた。そのせいであろうか、この国の人々の喜怒哀楽は心根に素直だ。思った事をねじ曲げずにストレートに表情に出す。我々日本人が、古い昔に捨て去った...ピュアな感情表現を彼らは持ち続けている。万葉の時代に来たような錯覚を覚える。

雰囲気に酔ってしまい、普段日本に居る時には絶対やらない様な...芝居がかった事をやってしまった。最後に俺は歌を歌ったのだ。彼らに贈る歌だ。当時、俺がカラオケの十八番にしていた浜田省吾の【もう一つの土曜日】と言うバラード(笑)。別れのシチュエーションに全く関係ないのがお笑いだが、歌詞の内容など、どうでも良いのだ。メロディーがよい。陶酔しながらサビの部分を熱唱する俺が、彼らの顔を見た時である...。驚いた。二人とも泣いているのだ。大の男二人が大泣きしている。正直、自分でもどうこの状況をつくろって良いか分からぬまま、歌い続ける...。そりゃ~俺は歌は上手い。自慢じゃないが、かなり上手い。だが、野郎に泣かれた事など一度も無い。なんだ...この妙な居心地の悪さは...。

歌い終わるや、彼らは抱きつかんばかりに握手を求め、俺も連られて涙した。不思議な爽快感が駆け抜ける。万葉の民の素直な心を取り戻した気がした。『もっと状況に適した曲を選ぶべきだった...。』そう思ったが後の祭り。彼らは別れの歌を歌ってくれたのだと感極まっている...。

次は俺の聞く番だ。同世代の韓国の若者が、鼻水をすすりながらイ・サンワン(サンハン?)のバラードを熱唱する。ダミ声だったが、彼らの心がストレートに響く...いい歌声だった。彼らが帰った後、静かになったオンドル部屋で天井を見上げた。

『ここに来て良かった。ここに来た事に間違いは無かった。』

何度もそう心でつぶやいて、やがて眠りに落ちた。

翌朝、サプライズがあった。チェックアウトの時間が近づき、ロビーに降りて行くと、二人のイ君とア(アー?)さんが迎えに来てくれていた。慶州駅まで見送りに来てくれるのだと言う。なんていいやつらだ(笑)。駅までブラブラ歩きながら、アドレスを交換したり、最後の冗談をぶつけ合いながら時間をつぶす。そして改札をくぐり...別れの時がやって来た。長い人生の、たった四日間...ちょっとした悪戯心で声をかけた三人。『ほんとうに行くのか?』『もうちょっと居れば?』涙を浮かべられると辛い...。だが、時間的に猶予は無い。首都ソウルをこの目で見ねば、今回の旅の目的は達成されない。セマウル号の発車を告げるベルが鳴り響く。俺は列車に乗る。ドアが閉まる。列車はゆっくりと動き出し...彼らの姿が遠ざかって行く。彼らは満面に笑みを浮かべ、手を振り続けるのだった。いつまでも、いつまでも。