韓国への思い...その6 | MarlboroTigerの【Reload the 明治維新】

韓国への思い...その6

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新羅の都、慶州。その南東の山麓に、アジアを代表する仏教の宝殿、仏国寺がある。

1995年、世界遺産に登録されたこの寺は、751年に建立された壮大なる寺院である。石塔を始めとする石の建築と、木造建築が見事なまでに調和され、日本の寺とは趣きの違う美しさを引き立たせている。【侘び寂び】以降の日本の美意識は、『廃れるがまま』...と言ったモノトーンのイメージだが、韓国の寺院はその色合いにおいて極彩色が見事に利いており、華やかである。

650年間、隆盛を極めたが、秀吉の朝鮮出兵、及びその後の崇儒抑仏政策によって長く放置された。

ここを訪れた時、実に辛い経験をした。

覚悟はしていた事だが、強烈な反日感情に出会す事となったのだ。儒帽を被った爺さんにしつこく付きまとわれた。彼らの世代は日本占領下の時代に生まれ、誰もが日本語を喋れる。流暢な日本語で毒づき始めた。
『お前らが、ここに来て何をしたか分かってるか!?ここを全部燃やしたのは、貴様等日本人だぞ!!貴様たちにここに来る資格は無い。とっとと立ち去れ!!』
のっけからこのトーンだ...。出国前に誓った、『反抗せず』のポリシーがある。俺は一礼してやり過ごそうとするのだが、その落ち着いた態度が気に入らないらしい。爺さんの感情は更に激化した。もう拝観どころでは無い。後方にくっ付いて来て、ひたすら怒鳴り続けられ...流石に少々、腹が立って来た。国内で俺にこの様な無礼な口を聞けば、ジジイだろうが容赦はせん。
『私は、歴史を正確に見るためにここに来た。怒鳴るのは貴方の勝手だが、真実を知ろうとする者の邪魔は許さん。別の日本人に当たれ。なめるな。』
ジジイの前に仁王立ちし、上方から見下ろし、威圧をかけた。『◯△!』何事か捨て台詞を残し、去って行く老人...。暫く経つと、別の日本人観光客を怒鳴る声がかすかに聞こえた。

悪い事をしたとは思っている。彼にとって、忘れ得ぬ屈辱の記憶があるのだろう。やって来る日本人を見ると、言わずにおれない感情が高ぶるのだろう。

冒頭に触れたが、秀吉の朝鮮出兵とは凄惨な物であった。九州を平定した秀吉の頭の中に、今日の様な国境の概念などあろう筈も無い。『九州を平らげれば、次は朝鮮。その次は明を平定する...。』そのぐらいの意識であった筈だ。彼は信長の生前にも『九州の租税を頂戴出来れば、朝鮮はすぐに落としてみせます。』と進言したらしいが、これは定かでは無い。ただし、信長の死後、統一前のかなり早い時期から明国侵略を宣言しており、その道案内を朝鮮に打診してはいた。当然警戒はしていたろうに...貴族社会にどっぷりと浸かった朝鮮側の危機意識にも問題はあった。

上陸初日に軽々と釜山を落とした先遣隊は、二手に分かれてソウルを目指す。小西行長と加藤清正による功名合戦は、激しい侵略レースの様相を呈し、僅かな日数でここ慶州まで北上する。当地を攻めた武将は加藤清正。豊臣家子飼の猛将で、局地戦、築城法に天才的な手腕を発揮した名将である。(かの熊本城を縄張りし、西南戦争で薩摩軍の攻城戦をも耐え忍ばせた。俺が最も好きな戦国武将でもある。熊本では神格化され、朝鮮出兵時の逸話としては【清正の虎退治】など多数。)彼の一隊こそ、この仏国寺に火を放ち、アジアの宝の殆どを消失させた元凶である。また、他の武将も数多くの陶工(青磁器の職人が主)を拉致。日本に強制連行し、新興産業の焼き物に従事させた。

一つ警告しておこう。貴方の名字が不幸にして『加藤』か『伊藤』ならば、韓国人にとってはBAD NAMEである。仏国寺を焼いた加藤清正の子孫か、韓国併合を行った伊藤博文の子孫と思われるからだ。もちろん貴方に何の落ち度も無い。ただ、韓国は我々とは姓の重みが全く違う。日本人ならば、加藤なんてのは幾らでも居る姓で、それらが全て親戚だなどと思ったりしないが...彼らにはその感覚が無い。金さん同士は根幹が一緒なら、何十等親離れていようが結婚出来ないお国柄...同族と見なされてしまう。

とにかく、全うな抵抗も出来ずに朝鮮は国土を蹂躙され、明国にすがるしか無かった。明国も渋々ながら援軍を出すが、やがて泥沼の戦闘に突入。秀吉撤退後、その経済力を完全に破綻させ...この戦争の疲弊によって滅びてしまう...。慶州は、その秀吉の乱の中でも最も被害を被った戦災都市なのだ。

どこまでがオリジナルで、どこからが復建されたものなのか...外国人である俺には分からなかった。しかし、その傷跡をイメージする事は出来た。夕刻、少し離れた山の峰にある石窟庵を訪れ、花崗岩の仏の顔を見た。日本人の俺を、その仏は神妙な顔で見下ろしていた。『...。』仏は何も語らない。俺を見て、何を思っただろうか...。