マーク・ボランは交通事故で亡くなりましたが、運転していた女性歌手、グロリア・ジョーンズは一命をとりとめました。彼女が64年に出した「Tainted Love」は80年代にソフトセルのリメイクで大ヒットに。katchin'の好きなノーザンソウルの人気曲でもあります。




こういう感じの室内。手前の汚い板壁は、DJブースのフェンスで、汚いのは古いせいもあるけど、ろんなチラシやタイムテーブルの紙をを貼ったりはがしたりでこうなってます~。ボウイのスターマンを上映中で、お客さんはフェンス向こうにいますが暗いのでよくわかりませんね(ノДT)



ボウィの73年のヒット・ナンバー「ジーン・ジニー」。イントロのリフでボ・ディドリーだとすぐ分かります。アレンジも見事です。





 今週の水曜日、25日に開催した、恒例行事のCROSSROADSに多数のお客さんにお越しいただき、感謝します。今年から金額を1000円から1500円にアップっさせていただいたのに、むしろ、お客さんの出足が素晴らしいんで、自分たちも驚いています。金額の問題じゃないのかもしれませんが、おかげでロック興し基金の備蓄が増えて嬉しい限り。


 今回はラジオでも紹介した、いわゆるグラム・ロック。70年代にイギリスで大きな人気を獲得したまさに光り輝くグリッターなムーブメント。60年代のロック・レボリューションの時代から、70年代の新たなエンターテインメントとしての、つまり、ある意味「ポップス」=エンタメ、芸能系というようなビジネスモデルへの転換期に、その先駆として生まれた音楽ということも出来る、と自分なりに思ったりしてます。コトはそう単純な話ではないのかもしれませんが、少なくともイギリスでのグラム・ロックあるいはその後のパブ・ロックからのパンクの激動期への経緯は、イギリスならでは、という印象が強いもので、アメリカやほかのロック先進国?にはほとんど見られないムーブメントでした。


 狭いロンドン主導の音楽シーンであったからこその産物が、ビートルズ以降のイギリスのミュージック・ビジネスが独自の「進化」の道筋を辿ったのも、そういう意味では当然、必然といっていいのかもしれません。


 まぁ、そういう理屈や論理的なことばかりを妄想しているわけではありません。たまたま、こういう企画をたてたので、少し考えをまとめてみました。普通には気楽に音楽を聴いてるだけです(笑)。


 いずれにしろ、会場でも言いましたが、グラムが何故そういう名称になったのか?それはイギリスの音楽新聞とかのメディアが付けたもので、そもそもはグラマラスという言葉で表現していたものが短くなりGLAMというフレーズが一般化したものだと思います。
 そして、その言葉の出自の大元になったのがマーク・ボラン率いるT.REXであり、彼と並ぶ艶やかでヴィヴィッドないでたちのデイヴィー・ジョーンズ改めデヴィッド・ボウイだったのです。彼らの出現は久しく大きな話題のなかったイギリスの音楽界に大歓待され、まさにゴールデンチェアを用意され、そこに鎮座することとなったというわけです。


 ゲイリー・グリッター、スレイド、スイート、マッド、スージー・クワトロ、ショワディワディ、グリッターバンド、ジョーディー、ダーツ、ザ・ウィザード、アルヴィン・スターダストなどなど。イギリスだけでしたが、多くのバンドが作られシーンをにぎわしました。
 何をもって「グラム」とするか?の論議は未だに起こります。正直、具体的な定義みたいなモノがないのです。見た目や音楽の雰囲気、バンドのスタイルとかという実に曖昧模糊とした基準で、選定されるんですから、仕方ないですよね。なので、モット・ザ・フープルとかE.L&O、ルーベッツ、ベイ・シティ・ローラーズ、時代は違いますが、ロッキー・シャープとかもインクルードしてあるコンピ作品もあります。個人的には、それでもいいと思います。


 音楽的には、基本に50~60年代のR&Rがあり、ファッションもそれっぽくロンブーに派手めなコスチューム、ロングヘアーかリーゼントにエドワーディアン風ジャケットにラバーソウルとか、そういう服装が基本ですから。なので、音楽的に「ロックンロール・リヴァイヴァル」というムードもあり、そこをポイントとする考え方も多いようです。ボランもボウイもロックンロールを「オールディーズのまま」ではなくても、多分に取り入れた曲をプレイしていました。


 じゃあ、音楽的に「底が浅い」とか「幼稚」なのか、と言われれば答えは「NO!」です。そういう部分もありますが、全体として、というか、やはり人気者たちの音楽の作りは優れていたし、音楽性もそれぞれに個性豊かなものでした。ボランがその初期のスティーヴ・トゥックとのコンビでやっていたティラノザウルス・レックス時代から、フォーク調で無国籍な感覚はありましたが、底流には50年代のR&R・オールディーズがありました。ボウイにしても元々がMODの出でした。ブルースたR&Bにはかなり入れ込んだはずです。事実、ボウイのジギー時代の後期の曲「ジーン・ジニー」は、今さら言うまでもなく、リフは聴いて分かるようにボ・ディドリーの「アイム・ア・マン」で、とすれば当然マディ・ウォーターズまでもがインクルードされているはずです。


 というような話を映像を見ながらお喋りするのがこのビデオジョッキーの大きな主眼です。大貫個人の音楽的な旅とともに、みなさんとも旅すがら、世間話をするように、音楽についてああだこうだ、お喋りしながらこれからを生きて行くつもりです。ひとつ、お付き合いのほど、よろしくお願いします。来月は3月25日の水曜日になります。内容、テーマなどま未定ですが、希望のものあれば、メッセージでお寄せください。参考にさせていただきます。では、またORGANBARで!