青いカンヴァスに誰かが白い雲でいたずら描き?


うろこ雲大きくなびいて天の川のよう


渋谷のヒカリエ11階のラウンジからの夕暮れ。


まるで南太平洋!多摩川望む夏の黄昏。雄大です!




 ここんとこ、東京はかなり猛暑で、毎日が炎熱地獄状態です。


 今週末、明日あたりから台風の影響で、ひと雨来そうですが、「水瓶」の地域になるべく多く降り注いで欲しいものです。人間の勝手な願いですが。


 しかし、一方で西日本では逆に大雨状態が長く続いているみたいで、四国とか九州の一部とかでは記録的な大雨らしいです。まぁ、自然は人智の及ばぬ世界、仕方ないものは仕方ない、という宇宙の理であれば、確かにやむを得ないです。ですが、ここんとこの気象異状、天候の乱れというものは、何でも言いますが、この地球を我がモノとし、勝手三昧しつくした人間、人類の所業の故、ということであれば、そうも言ってられませんよね。


 もう、さんざん論議を各国で尽くして、その結果が、未だに混乱の極みというか、まとまる様子がない、というのでは人智どころかヒトには学習する能力がない、と神がそう結論したとして、何の不思議もないでしょう。神がいるかいないか、問題はそういうことではなく、まさに「神をも畏れぬ」所業だ、ということです。


 自分は音楽ばかり追いかけて、勝手な夢をみてきました。それで、今はその音楽も、仕事というコトからだいぶ離れ、プロとは名ばかり、プロ=それで生活する、という定義なら、今やそうではない、と言わざるをえない状況です。音楽評論家なんてエラソーに言って来ましたが、今やそんなもの、誰も必要としていない、という音楽業界の実情です。それは、誰に責任があるとかいうことではなく、時代の流れ、なんです。レコードからCDへ、CDからデータ音源へ、というように音楽の流布の形態も大きく様変わりしました。


 50年前なら想像もつかない世界、時代になっているわけです。あの頃は音楽の音源はレコードで、日本ではシングルでもアルバムでもほぼ決まって、そこには「解説」があり、当初はメーカーの担当者が書いていました。やがてそれはその筋の専門家が書くようになりました。つまり、音楽評論家もそういう時代のニーズから生まれたものです。それが50年を経て、大きくドラスティックに変化した、ということです。


 とはいえ、人間の考えること、やることに大昔も今もそんなに変わりがないことも、すでに、いろいろな場面で証明されています。一番分かりやすいのは「戦争」です。何のために?と普通誰も思います。しかし、いろいろ理由はあっても、結局は人間の「欲」が大元の原因です。欲は必ずしも悪いことではないですよね。「意欲」という言葉にあるように、人間の生きる上でのモチベーション、向上心を喚起するものです。しかし、反面、「欲得」というように、己の利益の優先により他者を思いやらず、むしろ排斥し、時には襲撃し滅亡させる、という行為にまで至ります。そこが戦争の始まりです。


 自分は哲学者でも法律家でも、ましてや宗教家でもない、単なるいち市民。それでも、これくらいのことは60年も生きていれば分かります。そんなに生きていなくてもモノの「良し悪し」くらい普通は分かるはずです。なのに、今も世界は「EVE OD DESTRUCTION」です。60年代の米ソ冷戦時代に作られた歌は、50年後の今も意味をなしています。どこかの国家元首のように「昔と今とじゃ(日本を取り巻く)状況hが大きく違う」なんて言わなくても、状況なんてモノはいつでも見方次第でどうにでも変わる、変わり続けるものなんです。そういうことが理解出来るのに、「フーエーホー」だけは状況の変化に動じることなく、完全無欠とばかり、永久に存続させようということの意味が、よっぽど不可解、意味不明です。で、また公民権運動時代のテーマ・ソング「WE SHALL OVERCOME」がこれまた今日なお、大きく意味をなすことになります。


 しかし、それはともかく、空を見上げると、そこにはやはり心掬われる(救われる)ような底抜けの、天空まで届きそうな藍より青い空が。ホントに感動します。空、雲、時間、それぞれの動きと変化。天地人かくや!日々元気でガンバりましょう!

余計なお世話ビデオ~「明日なき世界/バリー・マクガイヤー」