今や知らない人はいないジャマイカ生まれの音楽REGGAE。その普及,浸透の最大、最高の功労者がボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、出生名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)



初期の頃はスーツに短髪の普通のスタイルだったが、土着の思想ラスタファリアニズムの影響を受け、このような多くの人が知る彼の「レゲエ」独自のスタイルが生まれた。洗髪しないでしかも清潔に保つのは大変だと思うけどね。太い樹のツルみたいな髪型「ドレッド・ロックス」はその証しのひとつ。








 みなさん、今週もラジオ「KenrocksNite ver2」聴いていただきありがとうでした!!また、聴けなかったみなさんもチャンスがあれば是非トライしてみてくださいね。


 自分とKatchin'の二人で選曲からトークまで全部自前、D.I.Y.精神そのままでやっているゴキゲンなロッキンRADIOです。InterFMにて関東地区と名古屋では普通に聴けますが、ほかの地域ではPCやスマホでのアプリを用いて聴くことが可能です。そのへんは、番組のお知らせの時に詳しくお知らせしている通りですね。


 さて、いつものようにここで、今週、5月5日の月曜日に放送した回の選曲リストと自分なりの台本(進行表)にメモったコメンタリーも付けて、そもまま添付させてもらいます。これがみなさんの音楽ライフの参考、一助になれば幸いです。今後ともKenrocks Nite ver2を可愛がってもらえますようよろしくお願いします。では以下の通り。

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Kenrocks Nite ver2  「Bob Marley回想」 5/5 OA  2014

<前枠> はい、こんばんは、大貫です、カッチンです。1週間のご無沙汰でしたが、お変わりないですか?あーそりゃあ何よりです。自分はGWの真っ最中ながら懐が全然黄金じゃなくむしろ真っ赤で赤字?金欠病という不治の病で苦しんでます。まぁ、そんなことはいいんです。今夜も気持ちだけでも前向き、明るく、という感じでゴキゲンなミュージックを1時間ほどお送りします。前半の大貫つまりワタクシのコーナーは81年の5月に病気で惜しまれながらも若くして世を去った不世出の偉大なるミュージシャン、ボブ・マーリィを偲んで曲など聴いてみますね。ああだこうだ言うより音楽が一番雄弁に語りますから。では、まずはこの実に高潔な意味を持った曲

T-1~14"
M-1 One Love/People Get Ready / Bob Marley & The Wailers 「Exodus』'77 UICY-3220 


<トーク1> 曲受けて、メールとかありの、解説~ボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、出生名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)はジャマイカの山村ナインマイルズにイギリス人の海軍大尉であり実業家の父とジャマイカ人の母との間に生まれた。父は61歳は母18歳、しかも両親は彼の誕生後すぐに離婚。よくある話とは言え、彼の人生に大きな影響を与えたこと想像に難くない。
 10歳の時父親が死に援助金がなくなると母とキングストンのスラムに移り住んだ。14歳で音楽を志し、バニー・ウエイラーと交流。62年にレコードデビュー。その音楽はラスタファリ運動(ジャマイカ全体では10%未満。ジャマイカも基本はキリスト教)の思想を背景としており、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えた。1972年、アイランド・レコードと契約し、翌年『キャッチ・ア・ファイア』でメジャーデビュー!ジョン・レノンをしてレゲエは70年代を切り拓く音楽、と言わしめた。

T-2~16"
M-2 Is This Love / Bob Marley & The Wailers 『Kaya 』'78 UICY-3176


T-3~16"
M-3 Roots, Rock, Reggae / Bob Marley & The Wailers『Rastaman Vibration」'76 UICY-3175


T-4~8"
M-4 Buffalo Soldier / Bob Marley & The Wailers 『Confrontation 』'83 UICY-3180


<トーク2> マーリーの理念はラスタファリアニズムに基づいていたと言われる。そのラスタファリ運動 (Rastafari movement) またはラスタファリアニズム (Rastafarianism) は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。
 ラスタファリアンはこの宗教運動のことを「主義」(イズム、-ism) ではなく「人生観」(way of life) と考えるため、ラスタファリ運動 (Rastafari movement) と表現される。また聖書を聖典としてはいるが、特定の教祖や開祖は居らず、教義も成文化されていない。それゆえ宗教ではなく、思想運動であるとされる。アフリカ回帰主義(またはアフリカ中心主義)を奨励した。その指向は、ラスタの生活様式全般、例えば菜食主義やドレッドロックス、ガンジャを聖なるものとして見ることなどに現れている。 1970年代にレゲエ音楽や、とりわけジャマイカ生まれのシンガーソングライター、ボブ・マーリーによって全世界に波及する。それにより全世界に100万人のラスタファリ運動の実践者が生まれたと言われる。
 ジャマイカの政治にも介入し、ために76年12月に狙撃されるハメに。77年にイギリスに亡命。そこでシンディーと出会い、ダミアンをもうける。その間の78年4月ジャマイカに舞い戻り「One Love Peaceコンサート」を開催し、会場で対立していた人民国家党のマイケル・マンリーとジャマイカ労働党のエドワード・シアガ両党首をステージにて和解の握手をさせるなど話題をまく。翌79年4月に来日、厚生年金会館でライブを見ました。
 サッカー好きは有名で、ロンドンでは音楽仲間たちとチームを作るほど。そこにはピストルズのスティーブとポールからシンリジーのフィル・ライノットなど多岐に渡るミュージシャンがいた。80年にそのサッカーで足の指を負傷、そこでガンが発覚したが彼は信条として切除を拒否.結果転移して81年の5月11日にマイアミの病院で逝去。故郷のジャマイカに埋葬されたのは21日。33回忌?

T-5~26"
M-5 I Shot The Sherriff / Bob Marley & The Wailers 『Live!』'75 UICY-3174