前にも出したかな?DJ始めた頃の新宿のディスコ「ツバキハウス」で「LONDON NITE」をやってすぐの頃、82~83年頃かな?左から二人目が自分、何故か顔が泣き出しそうデス。右端が今回お話しした先週誕生日の主人公1のタカシくん、現49歳。彼と出会った時は高校生18くらいだったかな。その後こうして自分の運転手や手伝いをするように。白いキャップがHFこと藤原ヒロシくん。左の生きのイイのは青森でロンナイ開催してくれてる高橋イチローくん。



モノクロの思い出。非常に懐かしい、というよりほとんど記憶になかった。1977年、ロンナイより古いパンク発生の頃にバンドしてて、左から二人目の歌を歌ってるのがワタシ。左はNON(ギター)で今もたま~に。FBでは仲間です。右端ベースもずっと会ってませんが秋田にアトリエ構えている画家の金谷真くん。すごいアートです!で、主人公2はその左でギター弾いてる高橋くんで、FBで彼がこの写真を載せてて、再会するキッカケに。実際に会ってつもる話に花を咲かせました。






 ここんとこ、立て続けに古い知り合いというか友人と会うことがあり、しかもその人たちがみんな、かなり長い付き合いというか、ある意味不思議だなあ、という人間の運命みたいなモノにかかわるような、それこそ、「縁」(えにし)としか言いようのない見えない絆、鎖で繋がっているんじゃないの?という間柄のように思えて、改めて、人と人との関係とかについて、ふと考えてしまう何日かでした。


 まぁ、そんなに深く考えなくても、っていう考え方もあるというか、それが普通なのかもですが、自分はなんでもちょいとミステリーな感じで解釈しがちなので、つまり、人生やものごとに「偶然なんてないのだ。すべては宇宙の神秘に操られた必然なのだ」と、ま、こう言いたくなるんですが、それもウソっぽい感じですから、正直なとこ、人間の所業や営みは全部が全部人の意思だけで出来ているわけじゃない、つまり、運とかいう不確定な要素も混じり、そこにミスティーなものが感じられて面白い、という感じです。


 自称、自分はSupernaturalistで、DJも選曲はもちろん自分でやってるんですが、その自分の意思の中に不可思議な人智の及ばぬ遠い彼方からの<メッセージ>が潜んでいたら、なんて考えるのは自分だけですかね?何故って、DJしてるとたまに、自分でもなんでこういう選曲してるんだろ?と思う時があるからです。最初から大筋決めてたのに、いつの間にか違う方向に逸れてた、な~んてことがたまに起るんですね。まさに超自然の力?フォースの利力ですか?何でもいいですが、そういう不明なものを信ずる気持ちがあるんです。


 都市伝説とか、そういういかにもメディア主導のようなものは??ですが、自分の意識下に絶えず、そういう理性や科学でだけじゃ片付かないモノがあるのは確かです。あ、また話が長くなったし、逸脱気味ですね。


 要するに、二人の自分の長い付き合いの友と会い、そのどちらにも自分では、こういう繋がりってのはしようと思って出来るものではない、という思いが強くあるんです。つまり、二人の友人とも、もうかれこれ30~40年来の付き合い。ですが、その間、ずっと会っていた、親しく付き合った、というわけではなく、むしろ、二人とも、それぞれ時間も場所も違いますが、出会い、付き合い、しばらく疎遠に、そして再び再会し、なのに繋がりや付き合いの度合いは前に感じていたものより強く大きくなったように思える、というようなものです。


 プライバシーがあるので、詳細が言えず、なんだかクドクドしい、持って回ったような言い方ですが、とにかく目に見えない「運命」の力によって自分とその友人との距離、関係性が動かされているような感覚です。それがどうした?と言われれば、どうもしない、んですけどネ。つまり、自分が勝手に感じているだけなのかもしれないから。相手はそういうこと、気にもしてないかもですから。お思い込み、ってヤツかもな可能性大です。でも、ちょっぴりでも?を感じたらそれって楽しいですよね。面白いじゃないですか。


 縁は異なもの味なもの、という言葉があります。これは本来「男女の間柄は何がおこるか分からない」つまり、「普通考えられないことがまま起る」という意味合いで、まさに、人智の及ばぬこともある、のいい喩えです。そう言えばジャズのスタンダードに「縁は異なのもの」という曲があります。原題は「What A Diff'rence A Day Made」で、ダイナ・ワシントンという女性歌手が1959年に発表しヒットしました。オリジナルはさらに古く、メキシコで1934年に生まれた曲とのことです。実に味わい深い明唱で、ジャズ・ファンならずとも一度聴いたら心奪われる、そんな歌です。