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屋根裏というライブハウスが渋谷の西武デパートの裏あたりにあった時代、そこで彼とぼくのバンドがジョイント・ライブした時のものらしいです。自分はもうパンクになりきってますね。左が伊藤くん。
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これはエアロが初来日した時のパーティーか何かでメンバーのビルと一緒に撮ったもの。誰が撮ったのか?何故それを伊藤くんが持っていたのかは今や不明です。珍しくネクタイして正装ですネ。
今日、いろいろな郵便物をチェックしていたら、なんと!またまたあのメタルゴッド、メタル宣教師、MASA ITOさんから封筒に入った古い写真がいくつか届けられました。
彼は本当に几帳面な性格で、自分とは大違い。この写真もキチンとセロファンの袋に入れられ万一水に濡れても大丈夫なように処理されていました。お手紙までついて。
その手紙によると、これらのものは1977年頃のものだろう、ということで、いろいろな場面のものがありました。そのいくつかをここでみなさんに披露させていただきます。まぁ、自分と伊藤
くんとの青春時代の切れ端ですネ。
彼は今でこそ、メタル専門みたいに活躍されていますが、出会った頃は、メタルという言葉もなく、そういうものはハードロックと呼んでいました。で、彼はそのジャンルが特に好きだったんですが、今ほどそこに特化しておらず、自分と同じようにイギリス中心のロック・ファンで学生時代を過していたようでした。
だから、話しも合い、ヤードバーズがどうの、ピンク・フロイドがああだ、などとその頃話題になったイギリスのロックの話しばかりしていましたね。ピンク・フロイドが初来日した、野外フェスの走り、箱根アフロディーテなるイベントにも彼は出かけて、一番前の方に陣取って熱狂していたんです。そこからエラいことになるんですが、それはまた後日、彼の許可を得たら書いてみたいです。
自分がパンクにハマった時、彼は少しも動じず、メタル一筋でした。お互いにバンドをやっていても、彼はあくまでメタル路線、自分はパンクとそのへんから方向性が離れていったんですね。
でも、今でもこうして彼とは何でも話し合える親友です。そういう彼がいてくれて、自分は本当に幸せ者ですよ。これからも交友をさらに深めたいと思っています。40数年来の仲間であり、心の友ですから。