$大貫憲章オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba




 みなさん、もうご存知かと思いますが、ロック・ミュージシャンで地元大阪をこよなく愛していた「ヤンチャなお兄さん」の桑名正博くんが病気のため亡くなりました。まだ59才という早過ぎる死に、多くの人たちから悲嘆や無念の声が上がっています。


 自分も彼を少しは知る人間のひとりですが、顔見知りでも知り合いでも、ましてや友人とか仲間なんかではありませんでした。ホンのちょっとの間だけ、仕事でお付き合いがあった程度です。あ、それでも彼のおかげで妹さんの晴子ちゃんに紹介してもらえたのは嬉しかったですね。彼女もアニキ譲りの豪快な歌手でしたから。でも、彼がぼくを覚えていてくれたかどうか、そのへんを確かめる機会はこれで永遠になくなったわけです。


 彼との出会いは、彼がファニー・カンパニーという4人組のバンドで大阪から上京し、レコード会社とも契約して、そのお披露目の「挨拶状」代わりのサンプル・レコード(シングル7インチ)とモノクロ写真、資料をいただいた時が最初です。写真にあるのがその「案内状」です。このジャケット?は挨拶状であり、見開きになっていて、そこに彼らの名前や略歴などがプリントされています。


 で、このシングルを聴いて、ぼくは大きなショックを受けたんです。カルチャーショックというか、大阪の文化をあっさりとこんなにも分かりやすく彼らは、桑名くんは伝えてくれたんです。それは本当に当たり前のことなんですが、でも、その時までにはそんなに意識した(させられた)ことはほぼなかったんですね。


 この曲は彼らのオリジナルで歌詞はベースの横井くんが、曲は桑名くんが書いたものでした。で、曲調は完全なロックンロール、ブギーを基調とした軽快なサウンドで、何より驚いたのはその歌詞と歌いっぷり。いきなり「アンサン、新聞 読んだはりまっか 排気ガスはひどいし 事故も多ぉまんねん」と見事な大阪弁で気さくに話しかけてきたんです。こんな歌今まで聴いたことありませんでしたから、もう軽いショックでしたね。

 
 それから、雑誌の取材で彼らに会う事になり、それがきっかけでメンバーとも親しくなったというわけです。でも、それはデビューして間もない頃で、ファニカンはデビューの衝撃のわりに、商標的にはそんなに成功せずに解散して、そこから桑名くんのソロ・アーティストとしての華やかなキャリアがスタートすることに。そのへんはみなさんもわりとよく知ってるでしょうし、マスコミにも多く取り上げられています。最大のヒット「セクシャル・ヴァイオレットNo.1」をメインに。


 と、まぁ、自分とのかかわりはそんなところなんですが、彼の存在は大阪だけでなく日本全体のロックのありようにおおいに深い部分で関わっていたので、59才での急逝は本当に惜しまれます。でも、今は、ただ、「ご苦労さま」と一声かけてあげたい気持ちです。ぼくの記憶の中にはこのデBツー当初の彼がいつまでも生き続けるんです。謹んでご冥福をお祈りいたします。Rest In Peace ! Mr.KUWANA. Keep On Rockin' In Heaven!!


スイート・ホーム大阪/ファニー・カンパニー