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幼い頃にクラシックを学び、やがてジミー・スミス(jazz Organist)に触発されロックへの道を歩むこととなったジョン・ロード。彼のイマジネーション豊かなオルガンにヤラれました!




 ここんとこ、わりと忙しくしていたら、知らないうちにとんでもない事件が起ってました。もう、ご存知の方も多いかと思いますが、ジョン・ロードさんが亡くなられたんですね。(ジョン・ロード Jon Lord 、1941年6月9日 - 2012年7月16日)。まぁ、彼が癌と闘っていたことはだいぶ前に話題になってましたから、亡くなったからといって、そんなに大きな驚きではありませんでした。しかし、驚きとは別に、やっぱりその偉大なロックへも業績を考えると、また、ひとりに音楽、ロック・ファンとしてみると、このちょっと早過ぎる死は、残念でなりません。


 自分は彼がその音楽人生のほとんどを過ごしたイギリスのハードロック・バンドDeep Purpleのファンのひとりではありますが、そんなに熱狂的ではありません。たくさんのロック史に残る名曲、名演を残したバンドですが、自分の好きなパープルはせいぜい『マシンヘッド」あたりまで。正直に言うと、そのへんもまぁまぁで、ワーナーに移籍しての初アルバム『In Rock』はまさに「衝撃」でしたが、そこは認めます。でも、そこからのある意味過剰とも思える、リッチーをメインとしたパフォーマンスは、個人的に「スゲーなー」とは思うものの、それ以上でも以下でもなく、メタルの元祖みたいになっていくのは、かなり疎ましい感じでした。


 というのも、自分が一番好んで聴いたのは、初期、デビューして2年くらいの間に出されたアメリカの無名レーベルTetoragrammatonから発売(イギリスではEMI傘下のHarvest)された3枚のアルバムでしたから。「Hush」を初めてラジオからの放送で聴いた時の感動はトキメキそのものでした。


 それでレコードを買い、アルバムをじっくり聴いてそのクラシカルで時にジャズやファンクの影響さえも垣間みられる壮大な、まさにシンフォニックなロックにおおいに心を揺さぶられたものです。その音楽のアイデアを生み出したのがキーボードで作曲/アレンジ担当のジョンでした。その頃はアメリカのサイケなバンド、例えばヴァニラ・ファッジのようなバンドを目指していたとも言われてますが、パープルはやはり英国気質漂うバンドで、そのへんの「翳り」具合が好きでした。大半がカバーでしたが、それも含め彼らのセンスが光る素晴らしいサウンド・パフォーマンスに胸躍る想いでした。


 ということでわずか71才!で病気でこの世界に別れを告げた彼の冥福を祈るとともに、彼の残した音楽が未来永劫聴き継がれることを祈ります。ジョン!本当にありがとう。


 では、その初期の作品から、代表的なナンバー、「Wring That Neck」a.k.a.[「Hard Road」を。