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Mike Bloomfield (1943-1981) 白人ブルースマンの先駆者のひとりで偉大なギタリスト。


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彼の在籍したアメリカの初期の代表的なホワイト・ブルースを演奏したポール・バターフィールド率いるバンド。これがデビュー・アルバム。「Born In Chicago」など歌えるくらい聴きました。


 
 好きなギタリスト、というタイトルをつけたはいいけど、あまりにも漠然としていて、雲をつかむようなもの。自分でもちょっと範囲が広過ぎるかな?と反省中とか。


 でも、まぁ、そういうことはおいといて、好きなロックのギタリストを少しづつ紹介してみようかな、と。そういう気軽な感じでいきましょう。


 初回の今日は、マイク・ブルームフィールド。すでに随分前に亡くなってます。正確には1981年に38才という若さで亡くなっています。残念というより、悲劇、無念、ですよね。


 この人とぼくが出会ったのは、彼が60年代、ポール・バタフィールドというブルース・ミュージシャンというか研究家の率いるバンド、バターフィールド・ブルースバンドに参加した時で、彼らのデビュー・アルバムを見つけた時にさかのぼります。60年代の後半ころだったかな。その頃、グループ・サウンズにも夢中で、中でも横浜のゴールデン・カップスとかよく「ジャズ喫茶」に見に行ってました。で、彼らがレパートリーにしていた曲にこのバターフィールドのものがあって、そこから見知らぬバンドを知ったりとか、ということも多々あったんです。


 そのバターフィールドのバンドでリードギターを担当していたのがマイクで、そのフレージングやギターの音色が実に細やかでナイーブ、切なくソウルフルで、ま、すぐにファンになったというわけです。彼らがボブ・ディランのバック・バンドをしていたことはずっと後になってから知りました。情報がその頃はなかったし、15~6の自分はまだそこまで音楽をベンキョーしていませんでした。単に「感覚」で好きか嫌いか、決めていた感じでした。ですから、ここに紹介する演奏は後から「歴史的事実」として知ったもので、それも相当に意味のあるものだ、という映像なんですね。

 
 それまでフォークの期待の星、として全米どころかイギリス、ヨーロッパ、日本などいわば世界中から注目されていた新人歌手、ボブ・ディランがそうしたフォークの一番栄えあるイベントだった「ニューポート・フォーク・フェス」に、65年、いきなりロックバンドを従えて登場し、エレキをガンガン鳴らしてステージを行なったんです。これには主宰のフォークのレジェンドのひとり、ピート・シーガーはじめ関係者が度肝を抜かれ、断じて許せん、と怒り心頭!に至って演奏を中止させようとしたりの大騒ぎになり、これがまた世界中にニュースとして散らばり、ディランの人気は失せるどころか逆にうなぎ上りになっていったんです。彼はもはや、単なるフォークの新星ではなく、ビートルズにも劣らない若者の代弁者であり、反逆児として表舞台に上がったんです。


 そのバックのバターフィールド・ブルースバンドのギタリストがこちらもまだ若い白人のマイク・ブルームフィールドで、その後、彼は自身のバンドを作ったり、ソロ活動なども行い、アル・クーパーらと若手の気鋭ミュージシャンらとセッションを行い、それがレコード化され『SUPER SESSION』と銘打って大々的に宣伝され大きな話題を集め、発売されアイドル並みとはいかないまでも、かなりの好セールスをあげ、自分のような「最先端」を追いかける者にはそういうものはまさに時代のシンボルとしてあがめられ、彼やアル・クーパーはさらに人気者へと多くのファンを獲得していったんです。


 それでは、その65年のディランのバックで伝統あるフォークの祭典「ニューポート・フォーク・フェス」に出演したときのディランの映像を見てもらいましょう。少しですがバンドも映ります。まぁ、ギンギンとエレキを弾いているのがマイクなんで、すぐそれと分かりますけど。

Maggies Farm / Bob Dylan With Mike Bloomfield (1943-1981) '65