$大貫憲章オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba
このレコードはよく使います。

 

 今日のニュースで一番驚いたのが、力也さんが亡くなったというもの。まさに、ショック!


 ここでもいろいろ書いて来ましたが、今の自分があるのも、ある意味、中学、高校時代に日本のグループサウンズ(GS)と出会い、足繁くそのライブに通ったからでもあります。あの頃は学校を途中退席、つまり早退しても、GSがいるジャズ喫茶に通ったもんです。それも、だいたい、タダで。


 そのへんは前に書いたものを再度チェックしていただくとかしてもらうとして、本題です。力也さんがもう長いこと闘病生活をされていたことはニュースなどや知人とかからの情報で知ってはいました。そして、ここにきて容態が急に悪化していることも。でも、あんだけ、パワーのある方でしたから、そう簡単にはクタバラないはず、と信じていました。残念です。


 力也さんとは、自分としては「運命的」な出会いをしたと今も思っています。でも、多分、力也さんは全然そんなこと思ってもいなかったかと。内田裕也さんとのお付き合いの中で、よく力也さんにも会いましたし、ロンナイがツバキで行なわれていた頃にも、力也さんの子分みたいな「ジャンボ」くんがよく来てましたから、個人的な付き合いはなくても、自分的にはずっと糸が繋がってると勝手に思ってました。


 「運命的」な出会いというのは以前にも書いたように、初めてGSの拠点だった「ジャズ喫茶」に行った時、起った「事件」でした。知り合いのが同じ高校のヤツに、ある日「ジャズ喫茶行かない?」と学校で言われ、とまどう間もなく、放課後に新宿まで行き、当時南口の明治通りと甲州街道の交差点そばにあった「新宿ACB」に行き、いきなり関係者入り口から入り込み、地下の通路を通って楽屋へと。バンドはザ・アウトローズ(後にビーバーズと改名しデビュー)がお目当てで、その対バンがシャープホークスでした。ツレは慣れてる感じでどんどん先に進み、自分がモタついてるのを置き去りに。狭い通路にガタイのいい男の人が、まるで通せんぼをしてるみたいに、壁にもたれ足を向いの壁に乗せかけるようにしていました。


 コワそー、とお思いつつも「あのー、そこに友達が入ったと思うんですが、通してもらえますか?」とおそるおそる言うと「ああ、さっきのコね。いいよ、どうぞ入って。でも、一度入ったら出られないよ」とニンヤリしながら言うんです。もう心の中では「ギャーーーッ!誰か助けて~~!!」な感じでしたが、少し黙ってると「アハハ、ジョーダンだよ。そっちにドアあるからそこに行きなよ」と。今考えてみると、力也さんとは3つしか違わないのに、自分は世間知らずの16才の高校生、でもアチラはすでにゲーノー界にいる歌手。オトナの世界の住人です。見た目も迫力ありましたから、とにかくビビリまくりました。


 そういう経緯で出会ったことを、ニューイヤーズの楽屋とかで話かけたりしましたが、当然のごとく全然記憶にないということでした。自分の中では人生のうえで大きな「事件」だったんですが。



 そんな豪快な力也さんが、今もうこの世界にいない、と思うと、自分の青春のモニュメントから何かが欠け落ちたように思えます。力也さんには頑張ってもう一度ニューイヤーズのステージで「トラブル」とかをフリ付きで歌っていただきたかったです。裕也さんのそばで堂々とした姿を見せて欲しかったです。ジョーさんが逝き、今度は力也さんまで。裕也さんの心中を思うと、言葉がありません。家族以上のファミリーでしたから。もちろん、ご家族の悲しみの深さにも、お悔やみ申し上げます。



 64才でイッちゃんなんて力也さんもジョーさんも早過ぎますよ。デイブ平尾さん、アイ高野さん、岡本信さん、大口ひろしさん、などなど自分とたいして変わらないトシなのにみんなToo Fast To Live Too Young To Dieですよね。力也さん!天国でエルヴィスと共演して下さい。心からご冥福をお祈りいたします。Rest In Peace! But His Soul Will Never Die!!


キュン・キュン・キュン/シャープホークス