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レスポールがよく似合う人でした。

 

 ここんとこの忙しさにかまけてたわけじゃないんですが、19日はあのFREEの名ギタリスト、ポールコソフが亡くなった命日だったんですねぇ。さっき気がついて今こうして彼を偲んでいます。76年の3月19日に25才の若さで亡くなったんでした。


 FREEの存在はあの60年代末から70年代初めの数年間、ぼくにとっては大きな意味がありました。いわゆる「ブルース・ロック」という分野において、それまでに出会っていた、例えばFLEETWOOD MACやCHICKEN SHACK,SAVOY BROWNなどのバンドを筆頭として、本当に多くのバンドが生まれては消えていきました。イギリスの、つまりは、ブリティッシュ・ロックの黄金時代を支えていた屋台骨のようなもの、それが「ブルース・ロック」であり、それは、60年代半ばのブリティッシュ・ビートが全盛期の頃からすでに芽生えていて、YARDBIRDSやPRETTY THINGSやTHE ANIMALSそしてもちろんTHE ROLLING STONESなどの音楽の中に明確に見てとれました。


 やがて、ビート・バンドの時代が去り、ミュージシャンたちが自由に、ある意味、商業的ではないような自己実現の場としてバンドを機能させるような状況が生まれると、音楽特にロックに代表されるようなポピュラー・ミュージックにも大きな影響が与えられ、今まで以上に多様な可能性を持ったミュージシャン、バンドが時代を担うようになっていったのです。


 ブルースを忠実に追求しようとするエリック・クラプトンのようなギタリストには、まさにチャンス到来だったはずです。ジョン・メイオールのブルースブレイカーズで自信をつけた彼は、さらなるチャレンジとしてブルースを基盤にしながらも時代の波に合わせるように、サイケデリックなニュアンスの曲作りも行い、それをCREAMで実現させ一躍世界中の人気者に駆け上がったのです。


 そういう時代に生まれたこのFREEも初期にはあからさまにブルースのカバーをプレイしたりしていましたが、やがて彼ら独自のサウンドを生み出し、いわゆるブルース・ロックとは一線を画した揺るぎないロックを、まさにFREE SOUNDと呼ぶべきような音楽を作り出したのです。ボーカルのポール・ロジャースのややシャガレたスモーキー・ボイスにアンディ・フレイザーのベースとサイモン・カークのドラムスによるリズム隊の生み出す独特の「タメ」の効いたビート、そしてその上を縦横に駆け巡るポール・コソフのすすり泣くようなウィーピング・ギター。一度、その魅力に取り憑かれたら二度と抜け出せない、そんな魔力のような凄みのある、しかし、柔和なカロミさえ感じさせるサウンドなのです。


 まぁ、そのへんの個人的な理屈はこの際置いといて、とにかく、彼らの20代前半とは思えない熟達した演奏を聴いて下さい。そして、これをきっかけにしてひとりでも多く、今からでもFREEのファンが増えることを天国にいるポールと共に祈りたい、そんな気分です。

Mr.Big / FREE At Isle Of Wight