12月は、やっぱり洋楽的に考えると、一番の話題はどうしたってジョン・レノンの命日がある、というところに落ち着きますよね。まぁ、確かに、ジョンの偉大さとか業績を考えたらごく自然なことなんですが・・・。


 一方で、The Clashのジョー・ストラマーの命日のある月なんですね。ですから、ぼくのようなThe Clashに今も敬愛の念を抱いてやまないようなファンには、むしろジョン以上に重きを置きますね。どっちがエラいとかスゴイとかいう問題ではないんです。気持ちの中の問題です。


 でも、もちろん、この二人を偲ぶだけでもありません。複数の思い出が語られる師走ですが、中でも、上記の二人を除くと、ぼくの場合はオーティス・レディングの思い出が大きいです。
 彼は、1967年のこの月の10日に亡くなっていますが、理由は事故、それもツアー途中の飛行機事故で、若くしてこの世を去りました。享年26才。いくら何でも早すぎますよね。


 日本に限らず、いまだに世界中にオーティスのファン、信奉者は無数にいると思いますが、それにつけてもオーティスで一番に思い出すのは、これもまた昨年亡くなったぼくと同い年のスーパースター、忌野清志郎くん。彼が一番愛した、影響も受けたミュージシャン/シンガーがオーティスではないのでしょうか。歌い方から曲調からステージングなどあらゆる面から見て、そう思わずにはいられないです。実際、キチンとそういうコトについて話したことはなかったんですが、気持ちで、そう感じていました。「オーティスが教えてくれた」という曲もありますから。


 オーティスは41年にジョージア州で生まれ、幼い頃から歌うことが好きで、普通のその頃の子どものように、リトル・リチャードやジェームス・ブラウンらに憧れ、10代で早くもレコーディングを経験し、その直後には南部のR&B/ソウル・レーベルとして人気のスタックス/ヴォルトと契約し、以後、そんなにすごいヒットはなかったんですが、着実にファンを増やし、特にストーンズが初期に彼の曲をカバーしたこともあり、ロック・ファンにもその名は急速に広まり、67年の夏、いわゆる「サマー・オブ・ラブ」の中で行われたモンタレー・ポップ・フェスへの出演で、一躍注目の的になりました。


 アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパにもツアーに出かけ、精力的に活動していた矢先、悲劇は起こりました。67年12月10日日曜日、彼と彼のバックを努めていたバンドBar-Keysのメンバーはクリーブランドからウィスコンシンのマディソンでの公演に向かうべく小型の飛行機で飛び立ち、そのまま二度と帰らぬ旅へと出かけていったのです。


 しかし、それでも彼の功績やその天才を疑う者はおらず、曲も名前も未来永劫、語り、聴き継がれて行くことになるのでしょう。彼の歌にあるように、今はただ「AMEN」。R.I.P.