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おもいで 布施明 '66 水島哲 作詞 平尾昌晃 作曲

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ウナセラディ東京 ザ・ピーナッツ  '64   岩谷時子 作詞 宮川 泰 作曲



 さっき、ワールドカップの「イングランド:アメリカ」戦を見ていて、ちょうどすぐにイングランドが1点先制したところで、近くのコンビニにフラッと買い物に行きました。別にコレといって欲しいものがあるわけでもなく、夜更けにぼ~っとテレビばかり見てると、なんとなしに淋しくなるような感覚がして、コンビニにチャリでフラリと出ちゃうんですよね。

 こんな時間にお客さんはひとりしかいないのは当たり前というか、ぼく以外にいたことにちょっとビックリでしたが、イカスミのプリッツと納豆を買って出て来ました。納豆もふくめ、お惣菜はこのところ、ほとんどがPB商品で、あんまり選択の余地がなくなったような気がします。それで「コンビニ」なんですかね?と一言店長に言いたくなるこの頃。

 暗い夜空を見上げると、東の方が少しだけ明るくなってきてる感じでしたが、ほぼまだ暗闇。空に星は数えるほどしか見えませんでした。やっぱり、天気は下り坂なんでしょうか。

 そんな時、ふと突然、ぼくが中学か高校の頃に聴いた歌謡曲が頭に流れて来たんです。それは、布施明のごく初期のシングルで彼がまだ無名の新人だった頃のものです。タイトルは「おもいで」。調べたら1966年の3月に4枚目のシングルとして発売されたもので、元は彼の師匠筋に当たる平尾昌晃の歌だったとか。

 「あなたと 歩いた あの道を 夜霧が冷たく 流れてた なんにも言わずに うつむいて 涙にぬれてた あのひとよ さよなら初恋 もう二度とは 帰らぬあなたの おもいでを さびしく せつなく 今日もまた 呼んでみたのさ 霧の中」作詞 水島哲 作曲 平尾昌晃

 まぁ、ただのセンチメンタルな未練がましい恋の唄、と言ってしまえばそうなんですが、あの当時の、彼の凛々しいカンツォーネをイメージさせる甘く切ない声に乗ると、正直今でも、数十年の時を超え、胸がジーンと熱くなるんですよね。メロディーも猛烈にセンチでリリシズムの極みみたいな感じで。だから、チャリに乗りながら帰る途中は猛烈にアナクロな気持ちでペダルを回していたんです。で、すぐにこの今の気持ちをみなさんに知って欲しくてPCの前に座り、これを書いているというわけです。

 少年期から青年期への過渡期くらい、15才になったばかりのぼくは、ビートルズやベンチャーズと同時に、こういう歌謡曲も普通に好きでした。ザ・ピーナッツや坂本九、スリー・ファンキーズ、ジャニーズ、中尾ミエ、園まり、伊藤ゆかり、梓みちよ、リリオ・リズム・エアーズ、パラダイス・キングなどなど、ナベプロ全盛期には、そうしたレコードもシングル盤でたまに買ったりしていました。

 布施明はぼくより3つ上でしたが、すでにこうしてテレビに出たりして人気者の仲間入りをしようとしていたんですよね。一度だけ、彼がぼくの通っていた中学/高校の前の、3億円事件であまりにも有名になった府中刑務所の高いその塀沿いの道を学ラン姿で歩いているのを見かけたことがあります。まだ、府中高校に在学していた頃ですね。

 彼を意識したことはないんですが、それでも彼の歌の世界は好きで、特に60年代から70年代初めまでのものは今でもDJでも使います。歌謡曲かけちゃいますからね。それに、10数年前には歌謡曲ばかりのDJイベント「学園天国」というのも、渋谷のインクスティックで開催してましたから。その後も、時に応じて、そういうような「歌謡曲」なDJはちょくちょくやってます。「昭和歌謡」なんていうブームが来る前から。

 布施明は、先にもふれたように、初めはイタリア生まれのカンツォーネのカバーとかを歌っていて、つまり、当時の日本にはそういう洋楽的なセンスのものを受け入れようとする歌謡曲界の人たちも少なからずいたんですね。特にザ・ピーナッツなんかは、海外にもチャレンジしていて、アメリカであの「エド・サリバン・ショー」に出演したり、同じく「ダニー・ケイ・ショー」(クレイジーキャッツの谷啓の名前は彼をモジったもの)にも出ました。さらに、ドイツで人気者だったカテリーナ・ヴァレンテのテレビ・ショーにも出るなど、ある意味世界を股にかけて活躍していました。

 今では、というかこの30年以上は、洋楽というとほぼアメリカを物差しとして語られることが一般的になっていますが、それまでは、ヨーロッパの音楽シーンからの影響も強いものがあったんです。ラジオの音楽番組にもそうした傾向はハッキリ現れていて、60年代の人気番組「S盤アワー」や「9500万人のポピュラー・リクエスト」といった番組には、アメリカのヒット曲以上にイギリスを含むヨーロッパからのヒット曲が溢れていました。

 話が脱線気味になり、またまた長くなっちゃいましたね。すみません!

 こういう話を始めると止まらなくなっちゃうんですよね。音楽が今よりはるかに人気があり、魅力的で楽しかった時代。それは、音楽をとりまく人たちや時代性という環境にもおおいに関わる問題なんですよね。でも、昔は良かった、今は時代が悪い、という一元論的なくくりにはしたくないですから。せめて、今はともかく、昔が何故そんなに面白かったのか?という話にもっていくくらいはいいかな、と。いずれまた、気が向いたらそんな話をしましょうか。

 ともあれ、サッカーがどうなったか分かりませんが、ぼくにはそれを見るより意義深いこの1時間だったことだけは確かです。