$大貫憲章オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba
『 PYE Anthology 』Jackie Trent


 憂鬱な梅雨空をうらめしそうに見上げる時にも、ぼくはいろいろな空想というか、妄想というか、いずれにしても、音楽が今この瞬間に鳴っていたら、どんなにか気分も晴れやかになるだろう!なんてことを、ふと、想い描いたりしてしまうんですよね。

 この間はいかにも梅雨、というイメージから連想される「水」というキーワードにまかせて、ジャーマン・プログレの王様とも言うべきアーティスト、エドガー・フローゼのソロ・デビュー作となった『aqua』を紹介させてもらいました。

 そして、素晴らしい感想の言葉もいただきました。みなさんとこうして音楽で心を共有出来ることの素晴らしさを、実感した瞬間でもありました。もちろん、音楽的な感想に限らず、どのような形でも、書いたことにコメントとしてみなさんの気持ちを示していただけることに、大きな喜びを感じている自分です。

 ここで、また、ぼくの音楽マニアチックな空想というか、大げさでなく、精神的な宇宙との交信による結果としての心の囁きが聴き取れて、ひとつの歌や曲が心の中にポトンと落ちて来る、そんな気がすることがままあるんです。
まぁ、あんまりこのへんの気持ちの中身的なことばかりに固執していると、お辞めになったどこかの総理のような「奇矯な人物」というイメージを抱かれかねないので、ヘンなツブヤキはやめにしますが、でも、ぼくと音楽のつながりは、単に知識の累積から紡がれるものではない、ということは言っておきます。そうじゃなければ、DJなんてやっていません。記憶の抜き出し作業に終始していたんじゃ、楽しいはずはないんですからね。

 さて、話を戻しましょう。

 泣き出しそうな梅雨空を見上げて、ふとこんな曲がどこからか頭の中に流れてきて、その歌声とサウンドのパワーに、もうすっかり気持ちよくなって、梅雨もイイもんだな、なんてうそぶいたりする始末。その歌と歌っている歌手は、「愛の讃歌」でありジャッキー・トレントなんです。
この歌は多くの人たちに愛されて、日本では「コウちゃん」こと故越路吹雪さんの持ち歌として知られていますよね。オリジナルはフランスのシャンソン歌手エディット・ピアフ。かなり古い時代から親しまれてきた曲です。

 ジャッキー・トレントはイギリスの60年代から70年代半ばにかけて、息の長い活動をした白人の女性シンガーで、いわゆる「ノーザン・ソウル」と称されるイギリスで人気のブラック・ミュージックのカテゴリーの中にも入れられるような曲を歌った、まぁ、ブルーアイド・ソウル歌手のひとりです。旦那様はトニー・ハッチといい、これまたかつてKINKSが在籍したことで有名なレーベルPYEの専属プロデューサーとして、作曲家、アレンジャーとして大活躍した、イギリスのポップ・ミュージックを語る上で欠かせない存在の人です。

 この曲は二人がまだ結婚する前、1964年にトニーのプロデュースにより録音され発売されましたが、ヒットするまでには至りませんでした。そして、日本でもDJや評論家など専門家の間では70年代以降の「ノーザンソウル」として人気となった頃の作品が好評です。しかし、ぼくには、それもいいけど、この初期の、まだ初々しさに輝いている時期の彼女も同じくらいカッコいいと思っています。まぁ、曲の良さもありますけどね。
トニーの力強いポップなアレンジと彼女の萌えるような若い歌声が感動的です。このダンス・ミュージック的なアレンジは、後のユーロビートのひな形になっている、という意見もうなづけますね。