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これはベスト盤のジャケ。しかし、ベスト盤組めるほどヒット曲ありませんけどね。



 いつものように、イギリスのアクの強い音楽雑誌「MOJO」の4月号を読んでいたら、ひとつの小さな記事に目が留った。ニール・クリスチャンという60年代半ばのイギリスのアイドルだけど、いや、ま、実際のところはアイドルとして登場したんだけど、うまくいかないで忘れ去られた人、って言うべきかな。その彼が亡くなったという記事。享年67歳。

 66年の4月に「That's Nice」という曲を全英チャートの16位にランクインさせてます。で、それっきり。いわゆる「一発屋」英語で言うなら「One - Hit Wonder」。ぼくも、その当時は彼のことなどこれっぽっちも知らなかったし、知っておかなきゃいけない重要なアーティストでもない。

 そんな彼を知ったきっかけは、よくある60年代ポップ全集、みたいなコンピレーションCDを購入して聴いてから。だから、そんなに前のことじゃない。でも、名前に覚えがあったのは、最近ラジオでこのCDから曲を紹介する機会があったから。顔も知らないし、曲もよく覚えてないくらいのモノだったのにね。

 そして元に戻る。「MOJO」のいろんな記事の中でも必ず目を通すコラムが「REAL GONE」というページで、そのタイトル通り、「逝っちゃった」人たちを特集してあるもので、いろんなミュージシャンの訃報記事に触れ、改めて想いを募らせたり、時代の流れを感じたり、意外さに驚いたり、とにかく、このコラムはほぼ欠かさず読む。

 今回は4月号だけど、「時差」があるので扱われているのは今年始めに亡くなった人たちだ。4ページの記事で、扱いの大きさでは1月11日に亡くなった、イギリスの「ビートルズ前」の時代のギター・ヒーローだったJohnny Kid & The Pyratesのギタリストとして知られたミック・グリーン(01年に当時のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTと彼の代表曲だった「Peter Gunn 」を共演して話題になったし、ぼくもDJでよくかけてます)と、同じく1月13日に亡くなった、かつてフィリー・ソウルの隆盛期にHarold Mervin & The Blue Notesのシンガーとして72年に「If You Don't Know Me By Now」のヒットを飛ばし、70年代後半にソロ・デビューしてから大成功したテディ・ペンダーグラスの二人が1ページづつ。

 ほかにも、白人でありながらニューオリンズ・サウンドの普及に貢献したボビー・チャールズだとか、カナディアン・フォークの母とも賞賛されるケイト・マッギャリグル(ルーファス・ウェインライトの母というべき?)などが、立て続けにGONEしました。

 なのに、ぼくの目に留まったのは、亡くなった人を悪くいうつもりはないけど、そういう今あげた人たちに較べるべくもない存在だったイギリスの「一発屋」なんだから。でも、歴史はいつだって、偉大な、立派な、崇高な、強い人たちばかりによって創られてきたわけじゃないことは、言うまでもない。このニールくん、確かにヒットには恵まれず、シーンを足早に駆け抜けていったけど、その足跡をよ~く見てみると、案外ヤルじゃん、ってことがわかった。

 彼は、60年代前半から、つまりはビートルズやストーンズがメジャーになる前から活動していたようで、バンドも組んでいた。それがTHE CRUSADERS。カッコいいじゃないか。そのメンバーの中にいたんですよ、偉大なロック・ギターの神様が。その名は、リッチー・ブラックモア。そう、あのDEEP PURPLEの、あるいはRAINBOWの。それだけじゃない。彼が抜けたあとには、ジミー・ペイジ(LED ZEPPELIN)、ミック・エイブラハムス(JETHRO TULL)、アルバート・リーなんていう、まさにそうそうたる顔ぶれのギタリストが出入りしたらしいんです。そして、ピアノにはストーンズとの仕事で知られたニッキー・ホプキンスまでもがプレイしてました。思わず、「お前はロード・サッチか!?」とツッコミたくなるところ。

 ヒット曲の「That's Nice」もテンポのあるホーンの効いたあの時代ならではの黄金ポップスですが、それだと、あんまり「腕利き」のミュージシャンの出番がないので、今回は映像でギターとピアノがかなりイイ感じ出してるコチラでいかがでしょう?

 生きた証を少なくともぼくやみなさんは確認したはずですよね。R.I.P.