大貫憲章オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba

 

 大げさに言えば、20世紀を締めくくるように現れたバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)のシンガー/ギタリスト/ソングライターで中心人物だったカート・コバーンがシアトル近郊の自宅で銃による自殺でこの世を去ったのが、94年の4月5日ころのこと。その死が確認されたのは4月8日で、明確な死亡日時は不明であり、だいたい5日から7日の間というのが一般に言われているところ。

 それはともかくとして、ニルヴァーナが突如としてロック・シーンに出現した時、マスコミはもちろん、ぼくら音楽ファン全体が大きな衝撃を受けた。少なくともぼくはシアトルのインディー・レーベル「SUB POP」からリリースされた12インチをきっかけにして彼らの存在を知り、その後のいわゆる「グランジ・ブーム」とそこでの彼らの役割など、興味深く見守った。

 シアトルなんて、それまでロックとほぼ何の関係もない北の地方都市としか思っていなかったのが、そこに拠点を構えたレーベルSUB POPのリリースするバンドたちの活躍が80年代後半ころから一部パンク・メディアなどから注目されるようになり、日本でもそうしたバンドやシーンのありようが紹介され始め、US INDIESに大きな関心を抱いていたぼくは否が応でも、シアトルやSUB POPにのめり込んでいくこととなる。FASTBACKSが一番大きな関心事だったね。今でも彼らのことは大好き。
 おかげで、シアトルには2回か3回、取材に行かせてもらいました。キレイな街で、何もないんだけど、そこが都市に馴染んだぼくには新鮮でした。自殺者が全米一多いという話も聞いたけど、そのへんはただの通りすがりのぼくにはよく分からないものだった。

 今ではイチローのいるマリナーズの本拠地として、スタバの拠点として、そしてニルヴァーナを生んだ街として日本人にもよく知られたアメリカの都市となってます。

 ニルヴァーナはわずかの期間に世界中の注目を集め、ビッグ・スターとなり公私ともにマスコミの格好のターゲットとなって、わずか2枚のオリジナル・アルバムだけを残し、カートの死で解散となりました。その死については未だに不明瞭な部分も多く、自殺の原因に関してもさまざまな意見が出ています。

 ただ、事実は彼らが大げさに言えば20世紀を締めくくるに相応しい存在であったこと。ぼくのDJでも今でも彼らの代表曲「Smells Like Teen Spirit」はマストで、プレイするとフロアが揺れまくります。今年であれから15年が経ちます。去る者日々に疎し、ですが、彼と彼のバンドの記憶はぼくらの胸に永遠に刻まれ、その青白い炎の仄めきは消えることはないんです。