3年前、2020年9月1日
かかりつけの先生に息苦しさを伝えて命拾いをしました。
7月頃から上り坂や階段が苦しくなり、会話は単語毎に息継ぎをしないと話せなくなりました。
暑さで疲れやすくなったのかな?
会社のストレスにやられたかな……
筋肉不足かな?
と自分が弱いと思っていました。
我慢して頑張って毎日仕事に行っていました。
8月の半ばに、マンションの2階までの階段を上がった時に、目が見えなくなり頭はグルグル回り階段の上から転げ落ちそうになり、汚い廊下の壁にしがみつきながら、やっと部屋にたどり着きました。
目眩がしたらベッドに座ってじっとしていたら目眩は治まる……
でしたが、その時は15分以上じっとしていても、頭と目がグルグル回っていました。
仕事中の次男に電話を架けて
仕事が終わったら夜間救急に連れていって欲しいと伝えました。
仕事を切り上げて来てくれた次男の車で夜間救急へ。
診察を待っている間も、歩くと目眩がして直ぐに座り込む。
先生は、SPO2を測って「……」前だけ聴診器をチャッチャと当てて、またSPO2を測って
「2回目は血中酸素も大丈夫だし、精神的な原因ですね。精神安定剤しか出せませんね」
精神安定剤は母が長く服用していて、認知症の先生に止められていたので、処方をお断りしました。
辛くなったり目が見えなくなるのは、私の精神の弱さからだ❗
強くならないといけない❗
そう思って、長く話せなくても話し、頭がグルグル回っても四つん這いになって階段を上り、食事は作れなくてお菓子を食べていました。
仕事は毎日九時間、週6日出勤。
不調は自分の気持ちの弱さだ❗と思って、負けまい❗と必死でした。
でも、具合はどんどん悪くなる。
そりゃそうだ。肺が悪かったんだもの。
9月1日が、かかりつけの先生の通院日でした。
あまりに辛く苦しかったので
私は強くなれないんだ。
心がめちゃくちゃ弱いんだ。
もう、頑張れないよ。
精神安定剤を貰おう。
認知症になっても仕方ない……
そう思って先生に、ここ数ヶ月間の話をしたら、
それは精神的な事じゃなくて心臓が原因の時もあるから、直ぐに検査をしよう❗
とおっしゃって下さった。
心電図・レントゲンを経て
間質性肺炎を見付けて下さり
うちじゃ、これは無理だから
と、呼吸器内科の先生を調べて、間質性肺炎に強い総合病院を選び
当日の予約が取れるまで粘って下さいました。
夜間救急で【精神不安定の症状】と言われてから、かかりつけの先生に【精神不安定じゃない。肺だよ❗】と言われるまでの期間は、とても不安でした。
何か心配したり自覚無い精神不安定になったら、また倒れそうになるんだ。息もできなくなる。
階段の途中でなったら、転落して頭を打って致命傷になるかもしれない。
いつなるか判らない。
ずっと苦しいけれど、いつまた発作で倒れるんだろう……
これは恐怖でした。
だから、肺が原因だと言われて私は安心しました。
総合病院では当日から沢山の検査をしました。
入院も検査・手術・治療の為に3回しました。
固くなってしまった舌区を除去して、入院投薬し呼吸や身体のリハビリをして……
今、私は順調な呼吸をしています。
(舌区を除去する前は、同じ年齢や体格の女性と比べて57%の肺機能でした)
見付けて下さった【かかりつけの先生】に感謝です。
そして、受け入れて下さった総合病院の呼吸器内科にも感謝です。
私の間質性肺炎の原因は
【OJ抗体陽性】です。
日本でも世界でも症例が少ない膠原病です。
症例が少なすぎるのと関節炎が発症していないので【膠原病】の診断が付かないと膠原内科では言われて診察は受けられていません。
呼吸器内科の先生を中心に、糖尿内科、整形外科にお世話になっています。
【OJ抗体の場合の予後は人様々。だけれど5年間は90%の方は元気です。それ以降は急性増悪や癌で亡くなったりしますが、ずっと元気な方も居ます】
との事です。
6年目も元気でいる事が目標です。
それには、まず5年間、元気じゃなくてはね❗
アレルギー性鼻炎に苦戦したけれど、今は落ち着いて来ました。
誰か【OJ抗体陽性間質性肺炎】の方はいらっしゃらないかなぁ。
関節炎は、いつ頃から発症するんでしょうか。
柑橘類は、やっぱり全部ダメ❓
他の膠原病とは どう違う
そもそも、膠原病と診断されている膠原病科は受診されていますか❓
今は何人見付かっているのかな。
9月1日に一段書いて寝落ち
9月3日は書く事を考えていたら寝落ちして、今朝は4時前に目が覚めて、時々ウトウトしながら書いていました。
自宅では、寝てばかりだわ~