昨日 2023年2月28日
近所の小さな駄菓子屋さんが閉店しました。
次男の出勤時が、お店を開ける準備の時でした。
次男は毎朝、ペットボトルを買っていました。
次男からLINEが来ました。
今日で芥川さん、お店を閉めるんだって。飲み物を買った時に、おばさんが教えてくれたよ。あまり人に言ってないんだって。
「じゃあ、後で行ってくるわ」
芥川さんのお店は【昭和の駄菓子屋さん】
38年前に私達が引っ越してきた時には、既に貫禄充分な年季入りのお店でした。
店主は、今の店主のお母さん。
当時は、駄菓子やタバコだけではなくて【パンや牛乳】もありました。
店先には昔のポスト。
トトロに出てきても違和感無しです。
次男が生後半年の時に引っ越した時から、息子二人は芥川さんに見守られて育ちました。
5円や10円の駄菓子が沢山あって、幼い息子達や友達は50円を握りしめ、一生懸命【どうやって上手く買えるか】と考えたものです。
芥川のおばさん(と呼んでいた)は、ニコニコと見ながら
「まだ買えるよ。あと、どれが買えるかな?」
「あ~残念、それだと足りなくなるよ」
と、気長に子供達に付き合ってくれました。
家を出れば直ぐに見える距離でした。
車に気を付けて道に沿って歩けば幼稚園児や低学年でも大丈夫。
二人だけで買いに行くと、おばさんが
「二人で来たら、お兄ちゃんが弟の面倒を見て偉かったよ。二人でちゃんと手を繋いで歩いてたよ」
と教えてくれました。
芥川のおばさんは三味線が趣味で、よく三味線が聞こえていました。
お店の中の畳の処に座って三味線を弾くおばさん、隣には犬が座っている。
そんな、毎日の風景でした。
夏の休日に聞こえてくる澄んだ三味線の音を聞いて、6年ぶりに大阪から神奈川に戻った時に【戻ってきたんだ】と実感しました。
芥川さんのおばさんが亡くなった時は、暫くお店が開きませんでした。
お爺さんやご主人を亡くされた時でも早めに再開されていたので、店主のおばさんが居なくなられて閉めるのかな?と思いました。
けれど、ある日、お店が開きました。
分譲地内に住む娘さん( iさん)が再開を決心されました。
(分譲地内の世帯から結婚された方が)休みに子供を連れて帰省した時に、お店に一緒に来るのが楽しみだった。と言われたし
隣の市から、お父さんが休みになると車で来る家族も居るの。
こういうお店が無くなってきて、うち(芥川商店)が子供達には貴重な体験だった、と言われることが多くて、子供達の為に また開こうって思ったの。
そう iさんが言っていました。
今回、古くなった母屋と共にお店を解体するとの事。
代が変わってかなり年月が経ちましたから、建て替えは必要。
戦後位からの建物かな。
お花を持って労をねぎらい、感謝を伝えに行きました。
iさんと昔話をしてきました。
働いていても安心できたのは、息子達を芥川さんが見守ってくれていたから。ありがとう。
子豚さんが、お母さんの薬をいつも届けてくれて、本当に助かるね❗とお母さんと話していたよ。本当にありがとう。
そんな事を言い合ってました。
お店を閉める当日まで、皆に言わなかったのは、子供達が「え~⁉️」って言うと辛いから。
て話していました。
(今までに何回かあったそうです)
素敵な駄菓子屋さんでした。