「 割れた殻のそばで」
自分の選択が正しいのか、
そんな問いが夜更けに転がってくる。
答えはいつも不在で、
代わりに果実がひとつ、
テーブルの上に置かれている。
艶はいい、
だが噛めば空洞かもしれない。
見かけ倒し――
それもまた、この世界の得意技だ。
もし、
床に落ちた卵が双子だったらどうだ?
馬鹿げている、
だがその馬鹿げた想像に
少し笑える自分がいる。
不安を抱えたまま、
冗談を思いつける余裕。
それを贅沢と呼ばずに
何と呼べばいい?
選択の是非なんて、
きっと後付けのラベルだ。
今はただ、
割れた殻のそばで立ち尽くし、
それでも世界を
少し面白がっている。
Red House Painters – Katy Song (1993)
詩解説|割れた殻のそばで
この詩は、「選択の正しさ」という問いを真正面から解決しようとはしません。むしろ、その問いが常に宙吊りであること自体を受け入れる態度が核にあります。
冒頭の「自分の選択が正しいのか」という不安は、誰もが抱える普遍的な感覚ですが、ここでは即座に答えを探すのではなく、テーブルの上に置かれた果実という比喩へと視線が逸らされます。この果実は、選択の結果・希望・可能性を象徴しますが、「艶はいいが空洞かもしれない」と示されることで、期待や評価の不確かさが強調されます。
中盤の「床に落ちた卵が双子だったら?」という突飛な想像は、ビートニク的な跳躍です。論理的には無意味で、現実的でもない。しかし、その馬鹿げた仮定を楽しめる精神的余裕こそが、この詩における救いであり、皮肉でもあります。世界の不条理を笑いに変換できるかどうか――そこに「恵まれている」という自覚が生まれます。
終盤では、「選択の是非」は後から貼られるラベルにすぎないと断じられます。重要なのは正解か不正解かではなく、割れた殻のそばに立ちながらも、世界を少し面白がれている現在の姿勢です。諦念ではなく、冷めた肯定。絶望でも楽観でもない、中間の立ち位置が、この詩の温度です。
TOPICの種
:母の葬儀を控えて・・・。
2025年12月29日、午前1時57分。
母は、93年の人生に静かに幕を閉じた。
病室で対面した母の表情は、驚くほど安らかだった。
その穏やかな顔を見た瞬間、胸の奥に長く居座っていた迷いが、ほんの一瞬だけ和らいだ気がした。
人は誰しも、考え、迷い、悩みながら生きている。
そして、残された者は必ず自問する。——自分の選択は正しかったのか、と。
12年前、父を見送ったときも同じ問いを抱えた。
今回もまた、この後悔を背負って生きていくことになるのだろうか。
12年間、顔を見ることが叶わなかった長男とは、最後まで連絡を取ることができなかった。
介護施設への入居を決めたのも、私の判断だった。
誤嚥性肺炎を起こし、病院へ搬送。
点滴治療と輸血。
医師から告げられたのは、「余命は数週間」という言葉だった。
だが、その身体は4か月もの間、耐え続けた。
この選択は、本当に母のためだったのか。
それとも、私自身のエゴだったのか。
その問いは、最後まで私を悩ませ続けた。
二週間前、母と交わした最後の会話。
孫娘の顔を見て、か細く、弱い声で
「かわいいね」
と一言。
それは、ひと月ぶりに聞いた母の声であり、
そして——私が聞いた、最後の声でもあった。
今も、答えは見つかっていない。
安らかな表情に救われた気持ちは、確かにある。
だが、それだけで全てが報われるわけではない。
親戚への連絡を進める中で、
一つ違いの従姉から、
「……くんは、立派でしたよ」
と声をかけられた。
また、前の会社の後輩だった女性からも、同じ言葉を受け取った。
「……さんのこと、見ていましたから。立派です」
その言葉に、胸が軽くなったわけではない。
評価されたかったわけでも、褒められたかったわけでもない。
それでも、「見ていた」と言ってくれる人がいたことは、
自分ひとりの判断ではなかったのかもしれない——
そう思わせてくれるだけの重みは、確かにあった。
迷いは消えていない。
後悔が無くなったわけでもない。
ただ、それでも前へ進まなければならない。
2026年 元旦。
私は、母の喪主を務める。
定形文で整えられた挨拶を用意することもできる。
だが、おそらく私はそれを使わない。
立派に聞こえる言葉より、
迷いを含んだままの、自分の言葉で伝えたいと思っている。うまく話せるかどうかは分からない。
言葉に詰まるかもしれない。
それでも、その不完全さも含めて、
それが今の私であり、母を見送る者としての、偽りのない姿だと思うからだ。
The Blue Nile - Heatwave (1984)
BONZO、小説を書く&その他のコーナーは、
現状が落ち着いたら再開いたします。
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今日の締め曲...を改め、
今日の締めの名盤 ㉙
内向きなまま、世界に恋をする。
Alvvays『Antisocialites』
オールウェイズ/ アンティソ-シャライツ
📀 アルバム紹介文|『Antisocialites』(2017年)
『Antisocialites』は、カナダ発インディ・ポップ・バンド Alvvays が放ったセカンドアルバムにして、
“甘さ”と“孤独”をここまで高い完成度で両立させた奇跡の一枚だ。ジャングリーなギター、淡いノイズ、夢の中を歩くようなメロディ。
一聴すれば軽やか、だが繰り返すほどに胸の奥へ沈み込んでくる。
このアルバムが描くのは、社交的でない人間が抱える感情のリアリティ——
人を求めながら距離を取ってしまう、その矛盾そのものだ。
👥 アーティスト紹介|Alvvays
Alvvaysは2011年結成。
フロントを務める モリー・ランキン の、感情を抑えた歌声と鋭い観察眼がバンドの核となっている。彼女の歌は決して激情的ではない。
だが、淡々とした語り口の奥にある“感情の波”が、聴き手の記憶を正確に揺さぶる。
Alvvaysはドリーム・ポップやインディ・ポップの文脈にありながら、
どこか現実的で、極めて私的なバンドだ。
🌟 総合評価:97点/100点
“内向きな感情を、これほど美しくポップに鳴らした作品は稀”
詞世界:★★★★★
内向性、すれ違い、自己嫌悪。
誰もが心の奥に隠している感情を、静かな言葉で正確に掬い上げる。メロディ:★★★★★
一瞬で耳に残り、何度でも戻ってきたくなる。
ポップでありながら、決して軽くはならない絶妙なバランス。革新性:★★★★☆
新奇性よりも洗練。
90sインディの系譜を更新する“現代的完成形”。完成度:★★★★★
音像、曲順、トーンの統一感が完璧。
アルバムとして一気に聴くことで真価を発揮する。普遍性:★★★★★
SNS時代の孤独を、時代を超えるポップソングへ昇華。
今聴いても、10年後に聴いても刺さる。
🌍 影響力・レガシー
『Antisocialites』は、
“静かなインディ・ポップ”が再び主流へ回帰する流れを決定づけた作品だ。Alvvays以降、
内省的でメロディ重視、過剰な演出を排したバンドが再評価され、
ドリーム・ポップ/ジャングル・ポップの語法は新世代へと引き継がれていく。大声で主張しない。
だが確実に、長く、深く影響を残す。
それがこのアルバムの本質だ。
Alvvays - In Undertow
✍️ 終わりに
このアルバムの中でも、いや――
この10年間で一番好きな曲かもしれないと思わせるのが「In Undertow」だ。
ノスタルジックで切なく、それでいて現実感が薄い。どこの世界の情景なのか判然としないまま、聴く者をふっと別の場所へ連れていく。この曲には、言葉にならない感情を呼び覚ます、呪文のようなささやきが確かに宿っている。
そして、その「In Undertow」をアルバムの1曲目に配した
『Antisocialites』という作品は、
まさしく**“社交的になれない人間”のための、極上のポップ・アルバム**だ。恋をして、距離を測り、すれ違い、傷つく。
それでも人を想う気持ちだけは消えず、少しだけ前に進もうとする。
そんな繊細で矛盾した感情の連なりを、
これほど優しく、誠実に鳴らした作品はそう多くない。
派手な主張はない。
だが、静かな音の隙間から滲み出る感情は、聴くたびに違う表情を見せる。
心が少し疲れている夜ほど、このアルバムは正確な距離感で寄り添ってくる。夜、ひとりでイヤホンを通して向き合うことで、
この作品は何度も人生の脇道で手を差し伸べてくれる。
流行とは無縁のまま、長く、静かに寄り添い続ける――
そんな確かな強度を持った名盤である。
次回の名盤予告:60年代ガレージの亡霊が、90年代リバプールで再び息を吹き返した。
今年も1年間ご視聴して頂き、ありがとうございました。
また来年もお越しくださいませ。
誤字脱字につきましては、気がつき次第、随時修正・編集を行ってまいります。



