先週、所用で高知市に1泊。
到着した日の昼食は、熱々グルメ好きとして以前から食べてみたかった須崎市のご当地グルメ「鍋焼きラーメン」を求めて、有名店の『橋本食堂』さんまで足を伸ばしました。

高知市から車でおよそ40分のところにある須崎市のご当地グルメ、鍋焼きラーメン。その提供店は須崎市の住宅街の一画に点在しており、車でお店の近くまで行くには狭い生活道路を通らねばならない上に、駐車場も少なく、ナビを見ながら進入すると当たり擦り必至。
そこで、「鍋焼きラーメン街」への進入路の手前にあるトンネルの向こうに車を置き、およそ500mの道を歩いて、お店に向かうことにしました。

歩行者専用のトンネル。この先が「鍋焼きラーメン街」。長くて暗くて、ピーカンな日でもどこか湿り気を感じます。
入ると早速ありました。この手の場所には必ずある、若気の至り、ストリートアートを消した痕跡。
このトンネルは生活道路で老若男女が利用するようなので、ヤンチャな気配を廃し、健全化しなければなりません。
うわっ。人為的ではないのでしょうが、ちょっと気味が悪いです。大蛇の食道でも通っている気分。
そして…
あぁ…、やっぱりありました。男子中学生が衝動的に描く、シンボルのアイコン。
なぜか苔生したところにだけ残される、メッセージもクリエイティビティもないけれど、時代も場所も越えて伝わり続ける、中二病というエバーグリーン(苔だけに)。
トンネルを抜けた先。左は車専用、右が歩行者専用。
住宅街だと思って歩いていると、所々にレトロなお店があります。貸本屋はもうやってないのかな?
「米」。
元米屋だったのでしょうか?黒く塗り消したつもりでしょうか。でもなぜ「米」だけ残す?
それとも本当に米さん宅?
『夢クラブ』。どう見ても「大人の夜の社交場」なのですが、
「西洋居酒屋」という業態の標榜に、どこかごまかしを感じます。
浄土真宗本願寺派の圓教寺さん。本堂の前に立派というか威容を誇る大イチョウが。
大きな乳房のような瘤があることから「乳いちょう」や「水吹きいちょう」と言われているそうです。
それにしても、先ほどから500mくらいしか歩いていませんが、住宅街なのに、そこはかとなく夜の香り、淫靡感漂う往来です。
目的地の『橋本食堂』さん。

左の出入口がお店なのですが、右手前は自転車屋さんのようです。そちらでオヤジさんがずっと待機してますが、仕事は忙しくなさそうで、前に車が通る度に出てきて、駐車場の案内をしていました。なにぶん住宅街ですから、近隣住民にご迷惑はかけれないのでしょう。

ラーメン屋に入ると、こちらはご婦人方が厨房も接客も切り盛りしておられました。自転車屋のオヤジさんは、差し詰めオーナーでしょうか。
カウンターに座ると「橋本自轉車店」の灰皿。やはり元々は自転車屋が本業のようですね。それがなぜ鍋焼きラーメンの名店になったのか、事情はよく分かりません。

メニューはラーメンの普通、大、特大。それとご飯の小、中、大のみ。
最近は、ラーメンライスは基本的に控えているのですが、「旅のラーメンライスは食べ捨て」。今回はラーメン大と小ライスを注文。でも、これが正解でした。
こちらが須崎市ご当地グルメの鍋焼きラーメンです。具はネギとちくわ、それを麺に埋もれていますが鶏肉と玉子が入っています。
麺は鍋焼きでもコシがあります。熱々の鶏ガラスープはさっぱりしていてとても美味しく、食べ飽きはしませんが、量の割に具が少ないので、味の変化があまりありません。
そこで重要なのが、生で投入して少し煮固まった玉子を、いつ崩し混ぜるのか。それとやはりご飯です。この二つで味変させながら食べるのが、このラーメンのミソなのでしょう(鶏ガラですが)。

案の定、私の隣のお客さんは、最初ラーメンのみを注文していましたが、後でご飯を追加注文していました。いずれにしても、よくご飯がすすむラーメンです。
別のお店では、予めラーメンの中にご飯をいれた「先入雑炊鍋焼きラーメン」なるメニューもあるそうですが、納得です。
そこで、ハッと思い出しました。先ほど通ってきたところにあった、
「米」。
これ、もしかして「鍋焼きラーメンには、米だよ」というメッセージだったのでしょうか。

いずれにしても須崎市の「鍋焼きラーメン」は、名古屋の「味噌煮込みうどん」に負けず劣らずの猫舌お断り、口内やけどと食道炎注意の、激アツ激ウマグルメでした。(副住職 記)

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本日17日には午前10時を打ち出しとして新美山願興寺観音講恒䂓法要が厳修されました。
涅槃図が荘厳されていました。
法要後の板倉副住職様のご説教は、涅槃会と三仏会の説明でした。涅槃図の説明には皆さん、興味が湧いた様で熱心に聞いておいででした。合掌(観音講 金本和夫)


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前半からの続きです。
 
最上稲荷の諸堂を巡拝した後、本来の目的だった豊臣秀吉の本陣跡へ向かいました。本殿からさらに登った、奥の院とは反対の尾根にあります。
高松の街を一望できるこの場所で、四方を山に囲まれた地形を見て、黒田官兵衛が高松城の「水攻め」を献策したそうです。
自然災害ならともかく、人為的にここを浸水させるとは、何ともスケールの大きい話です。名軍師が用兵のみならず、天文学や気象学などに長じている話は、諸葛亮孔明にも通じます。

「縁の末社」と同様に、秀吉が祭神の一体として祀られています。

 

その「豊國天皇」の神祠を後背にして、高松の街を睥睨する様に建てられた、日蓮聖人像。

まるで水攻めの采配を振るっているみたいです。

 

蛇足になりますが、秀吉による高松城攻めによって焼失の憂き目に遭った最上稲荷。江戸時代になって日蓮宗人として再興されます。しかしその後一旦独立。約半世紀に渡って「最上稲荷教」の総本山となりましたが、平成21年になって日蓮宗に復帰しています。

その事情は下記のリンク先で触れられていますが、地域屈指の巨刹でも時代の荒波というか、今で言うところの「寺院減少(消滅)時代」の諸問題に直面していていた節が伺えます。

日蓮宗新聞社 : 最上稲荷教が日蓮宗所属に
2009年9月1日号最上稲荷教(稲荷日應管長)の日蓮宗所属辞令交付式が7月24日、東京・大田区の日蓮宗宗務院で行われた。 最上稲荷教は、岡山県妙教寺(貫首=稲荷管長)を総本山とする教団で、日本三大稲荷の一つ。昭和29年7月24日に先々代の稲荷日宣師のもと日蓮宗から独立したが、僧侶の高齢化による後継者不足や修行・育成問題など考慮し、再び日蓮宗に所属することとなった。 これにより、最上稲荷教に所属していた20の被包括法人・231人の僧侶のうち、8法人・58人の僧侶が日蓮宗に所属することになった。最上稲荷教は今後、解散を迎える予定。残りの法人は単立となり、法類的組織をつくる。 小松浄慎宗務総長は挨拶で、「『立正安国論』奏進750年という節目の年に、われわれ日蓮宗は大きな力を賜りました。われわれは、所属した法人が包括法人日蓮宗になにができるのか、ではなく、逆に包括法人日蓮宗が、所属している各法人に何ができるのか、という部分を考えていかなければいけない。日蓮宗でよかったと思っていただけるような包括法人でなければならない。大いにお題目を唱え、手を取り合って、教団拡張を目指し、世界に向けてお題目を発信していきましょう」と語った。 法人審議会の本間皓司委員長、褒賞審議会の富山慈峰委員長、濱田壽教中四国教区長の祝辞の後、稲荷管長が挨拶した。 「半世紀を経て振り返ってみると、教団としての使命は既に果たし終えた、というのが実感です。そもそも妙教寺は、池上本門寺16世・日樹上人の高弟・日円上人が再興されたもの。日蓮大聖人を祖師として法華経を読誦し、誠を捧げてまいりました。その400百有余年を考えますと、日蓮聖人の教法を仰ぎ奉ることに、なんら異同を覚えるものではございません。“一天四海皆帰妙法”のもと、次代を担う人材育成のために、また地域社会貢献の積極的展開のために、転宗の決議をいたしました。今後は立正安国の顕現を目指し、大聖人の教法を体得し、その広宣流布に異体同心で邁進する覚悟です」と抱負を述べた。 その後、質疑応答の場が設けられ、稲荷管長が応じた。 「果たし終えた使命」とは何か、との質問に対しては、「社会貢献」と答えた。今の体制では社会貢献にも限界があり、その限界を超えるために日蓮宗所属という手段をとった、とした。 また、最上稲荷教が独自にもつ加行所の位置付けについては、「日蓮宗の公認を

本陣跡から見た本陣の全景。その規模の大きさが分かります。




タイムトンネルのような門前町と狐たちの顔相に魅了されて、予定外に長居してしまった最上稲荷。

ようやく別れを告げて、約2km移動して「高松城趾公園」へ。ベンガラ色の大鳥居にもほど近い場所にあります。

岡山市観光協会による「驚天動地 高松城水攻め」の特集ページで、一連の動きが学習できますが、一応言っておくと、高松は「攻めを受けた側」。それが特集ページを持っているわけです。

公園の駐車場に車を停めて、まず近接する妙玄寺へ。ここには清水宗治自刃の地として供養塔が祀られています。

「清水宗治公自刃之趾」。城下五千名の助命と引き換えに、ここで宗治が切腹したと伝えられています。

境内を少し外れた、供養塔からも見える場所にある「ごうやぶ遺跡」。

宗治の近臣衆が後を追って刺し違えた場所と言われています。

そう聞くと、何やら霊気漂う古木の佇まいにも見えます。すると、不思議なことに霧もやが立ち込めてきました…

安心して下さい。霧もやの正体は、近所のおっつぁんによる焚き火の煙。

正に、「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」。

 

境内で売っている「切腹御守」、それと「SEPPUKU」と銘打った、過って外国人がお土産で買いそうな絵馬。ちょっと願意が込めづらいかな…

平城でありながら、周囲の湿地帯が天然要害となって堅城鉄壁を誇った備中高松城。その跡地は公園として整備されていました。

「高松城水攻め」と書かれたのぼり旗。これ、秀吉の本陣跡にもありました。

繰り返しますが、高松城は「攻めを受けた」側。それをのぼりにすると、ちょっと意味の変容というか、水攻めされたことを積極的に広宣する感じがします。

さらには…

「水攻音頭」。

もうこれは開き直りというか、歴史評価の逆転というか、地域おこしのための悪因を正縁に転化させんとするたくましさ、図太さすら感じます。攻守逆転というか。

宗治も、まさか自刃したことがネタになって、民衆が歌い踊るとは思ってもみなかったでしょう。正に奇祭。

 

場所を変え、およそ500m行った、大鳥居を挟んだ向かい側にある「蛙ヶ鼻築堤跡」。秀吉勢が築いた堤防の一部が今も残る場所ですが、ここもやっぱり、

「高松城水攻め 史跡公園」。もう徹底して「水攻め」です。

今は公園となって、犬の散歩でオシッコによる「水攻め」を受ける皮肉たるや…(後方の土塁が堤防の跡)

 

これは後刻に、ネットの情報で知り得たのですが、先の「高松城跡公園」の近くに「水攻饅頭」なるお菓子を売っているお店があるそうな❗️

しかもこれ、水饅頭っ‼️

駐車場から少し離れたところにあったらしく、不覚にも見過ごしてしまいました。無念なり…。次は絶対に討ち漏らさまいぞ。(画像は、某グルメサイトから拝借しました)

最近よく思うのですが、私も歴史が好きで、戦記物を読んだり、『信長の野望』をプレイしたまま夜を明かしたこともありましたが、合戦は、大きく見たら歴史ロマンでも、小さく見たら死屍累々。『信長の野望』でワンクリックしたら、実際には数百の人馬が死ぬわけです。

「小さな物語」を埋没させて「大きな物語」を数珠つなぎにしたのが、よく私たちが見聞きする「歴史物」とか「正史」とか言われるものだったりします。

そう思うと、「秀吉の采配が云々」とか「黒田官兵衛名軍師」とか軽々しく言えなくなりますよね。

 

今はただたた、「兵どもが夢の跡」に、供養専心の合掌あるのみ。(副住職 記)

 

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先日の岡山市内での会議からの帰りに、高松という地区で寄り道しました。ここには日本三大稲荷の一つの最上稲荷と、備中高松城址があります。
以前、ほぼ月1で上京していた時に、岡山空港をよく利用していましたが、その時に通りかかっていた地域です。
当寺の檀家さんもよくお参りされていると聞いていた最上稲荷を、運転中に横目で気にはしていましたが、当時はついぞ参拝せず。

時を経て今回、ようやくお参りする気にさせたのが、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』です。

なぜか妻にとって、小学生以来の視聴習慣となったNHK大河ドラマの最新作。そしてなぜか、我が家のお猫様もご執心。確かに、極彩色の映像美が目を引きます。

言わずもがな、明智光秀の生涯を描いた作品ですが、おそらく、年末のクライマックスの舞台となるのが、ここ備中高松。と言っても光秀本人ではなく、豊臣秀吉にとって天下取りへの大行軍となった「中国大返し」の起点となった場所です。

 

当時、織田軍による「中国攻め」の軍団長を務めていた秀吉。この備中高松城攻略に当たりますが、城主・清水宗治に守られた高松城を攻めあぐねます。織田信長は光秀による援軍を指示しますが、その中国攻めに出陣したはずの明智軍が本能寺を急襲、信長を討ちます。

報せを聞いた秀吉は、速やかに毛利と和睦を結び、多くの人心と引き換えに宗治を切腹させると、約10日かけて京までの約230キロを全軍で取って返し、「山崎の戦い」で光秀を討ち果たします。『超高速!参勤交代』の戦国版ですね。

こうして、他の功臣に先んじて主君の仇を討った秀吉が、その後天下取りの覇道を歩んでいくことになります。

その高松城攻めの際の、秀吉軍の最初の陣営地となったのが、城を見下ろす龍王山の中腹、現在の最上稲荷の境内地だったと言います。


さて、今回はカーナビの誘導で山を登り、最上稲荷妙教寺の正面玄関、仁王門が目の前の駐車場で下車。ここは門前のお土産屋さんの駐車場で、車で山を登るとここしか駐車できるところはありませんでした。
お土産屋さんに駐車料金を払い、仁王門へ。

自由に点灯できる仁王門で、ライトアップのオンオフの具合を確認してから、

境内へ入る前に、ふと後ろ髪を引かれる感じがして、振り返ると、

参道沿いに並ぶ門前町がありました。

 

そう言えば、私が修行をした永平寺も、車社会になって門前町が廃れていったのを思い出して、門前町をスルーして車で乗りつけたことを、少し反省。

どんな様子か見たくなって下って行くと、

いわゆるアーケードの門前町と言うと、一応、名古屋の大須商店街もそうなのでしょうが、それとは比べようもない薄暗さと狭さ、レトロさ。

屋根に透過性がないので、昼間でも薄暗くて、まるでトンネルに迷い込み、時空の隙間に取り残されたような感覚になります。

そして、豊中に引き続き、こちらにもウルトラマン。

ちなみにこれ、タロウだから掛け声は「シュワッチ」じゃなくて「タァー」が正解。

この食品サンプルのクオリティで、結構強気の価格設定。

およそ600m下って、ようやく参道入り口にたどり着きました。本来は、この界隈に駐車して、トンネルをくぐるように門前町を上がっていくのでしょう。私の場合、ここから再び仁王門に戻ったので、 およそ1、2kmほど歩いたことになります。

参道を戻った先の、こちらが本殿。

そして境内地には「車体祈祷所」なる一角が。

車体で直接乗り付けて、ここで新車の安全祈願をするようです。

ペット霊園を現在造成中のようですね。当寺も現在ペット供養堂建設の勧募の真っ最中ですが、これも時代の流れでしょうか。
その横には、「お坊さんになりませんか?」の看板も。世襲ではなく僧侶を一般募集しているということですから、こちらも時代を反映しているように感じます。
 

本殿の奥には旧本殿があり、その周りに「縁の末社」と呼ばれる一画があります。小さなお社が林立して、それぞれにお稲荷さんの使いである「狐」が祀られていますが、どれも像容が様々で個性的。ですが、どれもやたらと表情が怖いのです。

古来より狐は妖獣として、神聖性や霊性があると見なさた一方で、最下クラスの野狐などは人を誑かすとされてきました。その畏敬の表象でしょうか。

もしかしたら、これから神仏に願意を掛けようとする人間に覚悟があるかや品定めをするための畏れと厳つさ、永平寺の山門で新到を待ち受ける客行和尚みたいなものかもしれませんね。

 

ところで、この最上稲荷は神社かお寺かと問われると、正式名称は「最上稲荷山 妙教寺」という、日蓮宗の寺院。しかし明治の神仏分離令に際しても、特別に神仏習合の祭祀が認められたそうです。

つまり、中近世の日本人の信仰形態を残している場所。隠岐の島とは対極にありますね。

これなんか分かりやすいですが、仏式の鐘楼にしめ縄が掛かっています。他所ではなかなか見ることのできない祭祀の仕方です。
さて、最上稲荷が思いの外に見どころが多く、情報が多くなりましたので、肝心の「中国大返し」については稿を改めたいと思います。後半へ続く。

 

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 今日は「おばさん」のお宅のご法事でした。

 と言っても私とは血縁のない檀信徒の女性で、他の人は「(苗字)のおばさん」と呼びますが、全てのカテゴリー超越したおばさんの中のおばさん、トップ・オブ・おばさん、ザ・おばさんとの意味で、私は敬愛を込めて、何も冠詞をつけずにただ「おばさん」と呼んでいます。

 パーソナルスペースがほぼなく、とにかくお喋り好きのおばさん。今日も宅法事で祭壇前の準備をしている私に容赦なく話しかけ、私もそれに釣られて言葉を返していたら、いつの間にかおばさんと向かい合って約10分くらい話し込み、今にも法事が始まるを思って待ち構えている家族や親戚は、その間正座したまま待ちぼうけでした。

 

 うちの近所に住むこのおばさんとは、私が子どもの頃からの付き合いで、10年前の私の結婚式では、安来節の歌い手でもあるおばさんと社中の人に安来節を披露してもらいました。

 とにかく社交家のおばさんの家には、地域の人がお茶を飲みによく訪れ、界隈の情報がよく集まります。世間話の探偵みたいなおばさん。

 昨年、師父が病に倒れた時、総代の一部の方にしか事情を話していなかった段階で、たまたま道であったおばさんが私に「この前、お寺に救急車が来たけど、何かあった?」と尋ねてきました。実際は救急車でなく自家用車で病院に搬送しましたが、きっと何かリークがあったのだと察して、事の次第を話しました。まだ内密にしてほしいと伝えると、おばさんは

「うん!わかった!!」

と、何故か得意げに去って行きました。今思うと、カマをかけられたのかもしれません。

 その後、退院した師父が家に戻った姿を見たおばさんは、師父にツカツカと歩み寄り、まだ病み上がりの師父の肩をバンバン叩きながら、

「良かったねー!元気になって!心配したけん!もう大丈夫だねー!」

と矢継ぎ早に見舞いの言葉をかけていました。すると師父は、お礼の言葉を返す間も無く、おばさんに揺さぶられながらボロボロと泣いていました。

 

 そんなおばさんにかけられた、今でも忘れられない言葉があります。もっとも、言葉をかけられたのは私ではなく、妻です。

 

 今から9年前、私たち夫婦は待望の第一子を、出産予定日の1週間前に死産しました。そのショックは計り知れず、私も妻もしばらく人に会うのもしんどいくらいでした。周りの人たちも悼ましさからのお気遣いだとは思いますが、まるで腫れ物にでも触るような接し方でした。

 私は、お寺の仕事で無理矢理にでも人に会わねばなりませんでしたが、専業主婦の妻は、ただ家で呆然とした日々を過ごしていました。

 それでも日にち薬が効いたのか、1ヶ月くらい経ってようやく犬の散歩に出るようになった妻。すると運転中だったおばさんがそれを見つけ、歩道の対向車線(一車線挟んだ距離)で車を停め、ウィンドウを下げて首だけ車から出し、笑顔と大声で妻に話しかけました。

「〇〇ちゃーん(妻の名前)!どげなー?!元気になったー?!」

 久しぶりに家族以外の人と話す妻は、少し面食らいつつも「は、はい、ありがとうございます」と言葉を返しました。するとおばさんは、

「生理は来たー?!」

と尋ねてきました。気圧されるように思わず妻が「あ、はい」と返すと、おばさんは、

「オッケー!じゃあ大丈夫だー!」

と言い残すと、後続車が来たので、そそくさ走り去って行きました。

 妻からその話を聞いた時、私は「おばさんらしいな」と思い、ひさしぶりに爆笑してしまいました。我に返って妻を見ると、妻の顔もどこか吹っ切れたような微笑を浮かべていました。後で聞いたら「逆にあれで性根が入った」と述懐していました。一種のショック療法でした。

 

 おばさんの「空気を読まずに、変える」処世術。誰にでもできることではありませんが、ただ間違いなく、おばさんの言葉と態度には嘘がない。本当にすごいおばさんだし、今も感謝に耐えません。今日はそんな日々の報恩のお勤めをさせて頂きました。(副住職 記)

 

本日は、『仮面ライダークウガ』の放送開始から20周年だそうです。テレビシリーズでは「BLACK RX」から10年ぶりに制作された「平成仮面ライダーシリーズ」第一作。
「特撮が好きではない」オダギリジョーが主役を務め、「新しいヒーロー 新しい伝説」をテーマに、徹底したリアル志向でシリーズを「再創造」し、今般までのシリーズ隆盛の原点となりました。
 
リアル志向というのは、例えば、クウガはグロンギ(怪人)とともに、警察から「未確認生命体」として番号付きで呼ばれる。劇中には場所と現在時刻が掲示されて、グロンギがいる現場までの移動時間に現実的な帳尻を合わせたり、別の場所の出来事を同時進行させて表現する。グロンギは基本的に「グロンギ語」を喋り、根本的に人間とコミュニケーションが取れない、などがその証左。
よく「戦隊よりも大人向け」と称される「平成仮面ライダーシリーズ」ですが、「大人向け」「リアル志向」という点では、以降に「クウガ」を超える作品はなく、正に原点にして頂点。「特撮」というより「ドラマ」を制作する、という気概あふれる作品でした。
 
今日はSNSでも、「クウガ」を回顧、総括する記事も多く見られ、「再創造」と「リアル志向」がどれにも通底する評価なのですが、これらを読んでいて、ふとあるムーブメントのことが思い出されました。
 
80年代にプロレス界を席巻したUWFです。
 
3カウントでフィニッシュしない。ロープワークがない。厳格なレフェリング。初期のエース格が木戸修と藤原喜明。
ショープロレスを否定し、格闘技としてのプロレスを純粋化して、徹底的に「真剣勝負」にこだわり、それまでのプロレスを「八百長」の域に追いやるほどの熱狂を生み出しました。
長らくプロレスファンを逆撫でしている「プロレスは八百長」という否定論。あるプロレスライターが「UWFという真剣勝負の場があったのが、プロレスとって一つの光」と評し、この否定論に対して「Uがあったじゃないか」という反論の「よすが」にするほどのインパクトを残しました。正に「再創造」と「リアル志向」の産物でした。
では、現在のプロレス界はどうなっているかというと、U系に出自を持つ選手も一部活躍していますが、その趨勢は当に衰え、もはや「遠い日の花火」。今の中心は、まさにUが否定したショープロレスを長年磨き上げてきた守旧派の新日本プロレス。
 
・・・似ている。「クウガ」に似ているのです。
 
クウガやUWFの「再創造」と「リアル志向」は、当時停滞していた業界を刺激するカンフル剤としては十二分でしたが、しかし興行としては長続きせず、その後のメインストリームを担ったとは言えません。
「クウガ」はシリーズの中では異質で、実際にのちのシリーズのフォーマットを確立していくのは、次作の「アギト」からだと思います。「クウガ」のプロデューサーとして新時代の幕開けを宣言したのは高寺成紀さんですが、「アギト」からのシリーズの前半10年で主にプロデュースを担ったのは、白倉伸一郎さん。
白倉さんがPになって、シリーズには途端に「誇張」と「けれん味」が加わり、話の辻褄合わせに執着しなくなりましたが、その分話自体は開放的で躍動感すら感じるようになり、作品全体がダイナミズムを獲得して、次第に支持を獲得していきます。高寺さんはプロデューサーに再登板した「響鬼」でシリーズに一旦終止符を打とうとしますが、結果的に途中降板。その後は白倉さんが穴を埋める形に。白倉さんは平成シリーズ10作目の「ディケイド」で、「クウガ」で解体されたはずの昭和を含めた歴代ライダーをアーカイブしてシリーズの「大河ドラマ化」を果たします。やがて高寺さんは東映を退社。一方の白倉さんは、現在は東映の取締役です。UWFが辿った経緯にも似ていないでしょうか。
 
重要なのは、「クウガ」やUWFがただ単なる徒労だったわけではなく、体勢側がそういったドグマチックなものを抱え込みながら、余力や選択肢として蓄えたこと。「平成仮面ライダー」はクウガである種の極端を形成したことが、今後のシリーズ制作の幅になりましたし、新日で言えば中邑真輔などは、まさにUWFがなければ登場しなかったようなタイプの選手であるし、オカダカズチカはオールドスタイルであるドロップキックを深化させ、説得力のある技に昇華させました。そして両者共にショーマンシップに一層の磨きをかけました。
結果として新日の懐の深さが際立ったように見えます。
 
 
さてこの話、昨今の「葬式仏教」にも通じるような気がします。
因習や加飾を徹底的に廃し、前例を徒らに踏襲しない合理性は、どこか「自然葬」の主張に通じるところがあります。八百長とまでは言えないが、それでも今まで「プロレス的」に葬儀をしてきた私たち僧侶に、ガチンコを仕掛けてきたわけです。
それに対して、私たちお坊さんがやっている伝統的なお葬式は、一時的には影響を受けることがあるでしょうが、完全に自然葬にシェアを奪われたことろまでには至っていないし、今後もそのように思います。一部の人は先鋭的な選択をしますが、おそらくより多くは「消極的な選択」として従来の葬儀の枠組みに則ると思われるからです。
私たちは、その「消極的選択」をした人が後悔しないよう、僧侶としての聖性やグリーフワークとしての機能性を真面目に磨き上げていけば、それがまた今後の信頼や需要につながっていくのではないでしょうか。
 
また教団としても、「クウガ」やUWFのような極端を内包していく必要があります。それが聖僧や師家と言われる方々です。
「修行できるのは、ボンボンだから。」でも触れましたが、過疎化の中で、「現場」からは僧侶の資格取得を軽減する要望が根強くあります。
私もそれはあって良いと思いますが、一方で出家教団としての本質が失われてはならないと思います。
そこで僧侶の資格カテゴリーを2つに分けてはどうか。つまり、「葬式仏教」の現場の担い手のグループと、聖僧や師家を目指すグループです。
おそらく数的には前者が多くなりますから、彼らに対しては資格取得を軽減して、数的にも経済的にも教団の屋台骨を支えることで運営を安定させる。
一方で後者は資格を従来より厳格にした上で、その代わり世事に奔走することなく「聖の行者」としての行事綿密な日常を全うする。教団としてはこれを内包することで、本来の宗意安心も確保でき、結果的に教団の「在俗化」を防ぐことにも繋がり、更に「葬式仏教」の謗りを受けなくて済みます。これによって、両極が互いの立場を尊重できるような気がします。
ただ、昨今の過疎化によって前者の担い手自体が少なくなっているのが、今般の大きな問題点とも言えそうです。
 
「クウガ」20周年にもよおす感興を、教団運営の妄想にまで繋げてみました👍
 
 

 

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現在、願興寺観音講では、亡くされたペットの納骨と供養の場所として、願興寺(宗淵寺)境内に「ペット供養堂」を建設することを発願致しました。つきましては、この事業に関わる原資を、寄付にて確保したいと思います。
この事業に多くの賛同を賜り、ご寄付を頂きますよう、よろしくお願いします。
 
 
1.供養堂の概略
  ・現在は焼却炉が置いてある場所(約7㎡)を改修して利用
  ・本尊(馬頭観音)、
  ・合祀・永代供養用のカロート(納骨室)
  ・個別供養檀スペース
  ・これらを覆う建屋 
 
 
2.寄付の方法
   1口1万円
(口数に応じた記念品を進呈致します。 )
  ↑記念品のクリアファイル(1口で1つ差し上げます)

 

3.着工予定
  今年4月以降ですが、寄付の納入状況で変わって参ります。
 
4.納入方法
  直接願興寺(宗淵寺)までご納入下さい。観音講世話人にお託け頂くことも可能です。

 

5.締め切り

  一次締め切りは3月末まで。

 

6.供養堂利用

  落成後に改めて利用の案内と募集を致します。

  ご利用には、願興寺観音講に入会(年会費2,000円)が必要となります。

 
7.問い合わせ
  メール bonzodogs@mac.com
 
 
 
8.ペット供養の意義と歴史の概略については、下記をご参照ください。

以上。

 

via 宗淵寺/願興寺
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昨日、曹洞宗総合研究センターによる諮問機関「過疎化に対して曹洞宗教団が取るべき政策の在り方」の現地聴き取り調査が、島根県第二宗務所で行われました。

 

私も宗務所の役職員として参加して、みなさんの意見を拝聴していましたが、その中で「寺院の後継者不足の問題」について、住職の資格が取りやすいように条件を軽減するべきとの意見がありました。零細寺院では兼職をしなければ生活できないので、長期の僧堂修行は難しい、というのが理由です。

ここまではよくある話の展開なのですが、その後、どなたかが次のような発言をされました。

「本山で長い間修行できるのは、(経営規模的に)大きいお寺の恵まれた環境だからで・・・」

 

あー、また出た。「現代の五夏闍黎はボンボン」説。

 

実は、最近もある僧侶の方から同じことを言われていました。五夏ではないにしろ、3年7ヶ月永平寺にいた私は、「ボンボン」だというのです。就職しなくても困窮せず、師寮寺を今すぐ継ぐ必要もない、そんな「恵まれた」環境だから、修行ができたのだと。

まあ、自分でそう思うならともかく、とっさに他人から言われると、あんまりいい気はしません。

 

後継者不足を問題にするのも、現場レベルの生活実感を上申するもの良いとして、それがなぜ、長期の修行歴を貶める言動に向くのか。

 

要はここに「出家教団」としての歪みがあるのです。「修行が厳しい」ことが売りの聖道門の曹洞宗が、僧堂修行の意味そのものを軽くしたら元も子もない、と私は思うのですが、現場レベルで檀信徒の安心に即応できなければ、それはそれでナマクラ修行と見なされます。妻帯も肉食も飲酒も、そんな現場至上主義の方便にされています。

 

そう言えば、修行が終わって地元に帰ったら、先輩僧侶に「3年いたからって、現場ですぐ通用すると思うなよ」と藪から棒に言われたことを思い出しました。なんの予防線かさっぱりが分からない上に、そんな言い方をする人に限って、檀家さんとのトラブルを起こすのですが。

 

後継者問題を語る前に、高田道見老師の「三根平等の安心」に学んだ方がいいんじゃないですか?(副住職 記)

 

via 宗淵寺/願興寺
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