左の出入口がお店なのですが、右手前は自転車屋さんのようです。そちらでオヤジさんがずっと待機してますが、仕事は忙しくなさそうで、前に車が通る度に出てきて、駐車場の案内をしていました。なにぶん住宅街ですから、近隣住民にご迷惑はかけれないのでしょう。
左の出入口がお店なのですが、右手前は自転車屋さんのようです。そちらでオヤジさんがずっと待機してますが、仕事は忙しくなさそうで、前に車が通る度に出てきて、駐車場の案内をしていました。なにぶん住宅街ですから、近隣住民にご迷惑はかけれないのでしょう。



「縁の末社」と同様に、秀吉が祭神の一体として祀られています。

その「豊國天皇」の神祠を後背にして、高松の街を睥睨する様に建てられた、日蓮聖人像。

まるで水攻めの采配を振るっているみたいです。
蛇足になりますが、秀吉による高松城攻めによって焼失の憂き目に遭った最上稲荷。江戸時代になって日蓮宗人として再興されます。しかしその後一旦独立。約半世紀に渡って「最上稲荷教」の総本山となりましたが、平成21年になって日蓮宗に復帰しています。
その事情は下記のリンク先で触れられていますが、地域屈指の巨刹でも時代の荒波というか、今で言うところの「寺院減少(消滅)時代」の諸問題に直面していていた節が伺えます。
本陣跡から見た本陣の全景。その規模の大きさが分かります。

タイムトンネルのような門前町と狐たちの顔相に魅了されて、予定外に長居してしまった最上稲荷。
ようやく別れを告げて、約2km移動して「高松城趾公園」へ。ベンガラ色の大鳥居にもほど近い場所にあります。
岡山市観光協会による「驚天動地 高松城水攻め」の特集ページで、一連の動きが学習できますが、一応言っておくと、高松は「攻めを受けた側」。それが特集ページを持っているわけです。
公園の駐車場に車を停めて、まず近接する妙玄寺へ。ここには清水宗治自刃の地として供養塔が祀られています。

「清水宗治公自刃之趾」。城下五千名の助命と引き換えに、ここで宗治が切腹したと伝えられています。

境内を少し外れた、供養塔からも見える場所にある「ごうやぶ遺跡」。

宗治の近臣衆が後を追って刺し違えた場所と言われています。
そう聞くと、何やら霊気漂う古木の佇まいにも見えます。すると、不思議なことに霧もやが立ち込めてきました…

安心して下さい。霧もやの正体は、近所のおっつぁんによる焚き火の煙。
正に、「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」。

境内で売っている「切腹御守」、それと「SEPPUKU」と銘打った、過って外国人がお土産で買いそうな絵馬。ちょっと願意が込めづらいかな…

平城でありながら、周囲の湿地帯が天然要害となって堅城鉄壁を誇った備中高松城。その跡地は公園として整備されていました。

「高松城水攻め」と書かれたのぼり旗。これ、秀吉の本陣跡にもありました。
繰り返しますが、高松城は「攻めを受けた」側。それをのぼりにすると、ちょっと意味の変容というか、水攻めされたことを積極的に広宣する感じがします。
さらには…

「水攻音頭」。
もうこれは開き直りというか、歴史評価の逆転というか、地域おこしのための悪因を正縁に転化させんとするたくましさ、図太さすら感じます。攻守逆転というか。
宗治も、まさか自刃したことがネタになって、民衆が歌い踊るとは思ってもみなかったでしょう。正に奇祭。
場所を変え、およそ500m行った、大鳥居を挟んだ向かい側にある「蛙ヶ鼻築堤跡」。秀吉勢が築いた堤防の一部が今も残る場所ですが、ここもやっぱり、

「高松城水攻め 史跡公園」。もう徹底して「水攻め」です。
今は公園となって、犬の散歩でオシッコによる「水攻め」を受ける皮肉たるや…(後方の土塁が堤防の跡)
これは後刻に、ネットの情報で知り得たのですが、先の「高松城跡公園」の近くに「水攻饅頭」なるお菓子を売っているお店があるそうな❗️
しかもこれ、水饅頭っ‼️

駐車場から少し離れたところにあったらしく、不覚にも見過ごしてしまいました。無念なり…。次は絶対に討ち漏らさまいぞ。(画像は、某グルメサイトから拝借しました)

最近よく思うのですが、私も歴史が好きで、戦記物を読んだり、『信長の野望』をプレイしたまま夜を明かしたこともありましたが、合戦は、大きく見たら歴史ロマンでも、小さく見たら死屍累々。『信長の野望』でワンクリックしたら、実際には数百の人馬が死ぬわけです。
「小さな物語」を埋没させて「大きな物語」を数珠つなぎにしたのが、よく私たちが見聞きする「歴史物」とか「正史」とか言われるものだったりします。
そう思うと、「秀吉の采配が云々」とか「黒田官兵衛名軍師」とか軽々しく言えなくなりますよね。
今はただたた、「兵どもが夢の跡」に、供養専心の合掌あるのみ。(副住職 記)

時を経て今回、ようやくお参りする気にさせたのが、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』です。

なぜか妻にとって、小学生以来の視聴習慣となったNHK大河ドラマの最新作。そしてなぜか、我が家のお猫様もご執心。確かに、極彩色の映像美が目を引きます。
言わずもがな、明智光秀の生涯を描いた作品ですが、おそらく、年末のクライマックスの舞台となるのが、ここ備中高松。と言っても光秀本人ではなく、豊臣秀吉にとって天下取りへの大行軍となった「中国大返し」の起点となった場所です。
当時、織田軍による「中国攻め」の軍団長を務めていた秀吉。この備中高松城攻略に当たりますが、城主・清水宗治に守られた高松城を攻めあぐねます。織田信長は光秀による援軍を指示しますが、その中国攻めに出陣したはずの明智軍が本能寺を急襲、信長を討ちます。
報せを聞いた秀吉は、速やかに毛利と和睦を結び、多くの人心と引き換えに宗治を切腹させると、約10日かけて京までの約230キロを全軍で取って返し、「山崎の戦い」で光秀を討ち果たします。『超高速!参勤交代』の戦国版ですね。
こうして、他の功臣に先んじて主君の仇を討った秀吉が、その後天下取りの覇道を歩んでいくことになります。
その高松城攻めの際の、秀吉軍の最初の陣営地となったのが、城を見下ろす龍王山の中腹、現在の最上稲荷の境内地だったと言います。

自由に点灯できる仁王門で、ライトアップのオンオフの具合を確認してから、


境内へ入る前に、ふと後ろ髪を引かれる感じがして、振り返ると、

参道沿いに並ぶ門前町がありました。
そう言えば、私が修行をした永平寺も、車社会になって門前町が廃れていったのを思い出して、門前町をスルーして車で乗りつけたことを、少し反省。
どんな様子か見たくなって下って行くと、



いわゆるアーケードの門前町と言うと、一応、名古屋の大須商店街もそうなのでしょうが、それとは比べようもない薄暗さと狭さ、レトロさ。
屋根に透過性がないので、昼間でも薄暗くて、まるでトンネルに迷い込み、時空の隙間に取り残されたような感覚になります。

そして、豊中に引き続き、こちらにもウルトラマン。
ちなみにこれ、タロウだから掛け声は「シュワッチ」じゃなくて「タァー」が正解。

この食品サンプルのクオリティで、結構強気の価格設定。

およそ600m下って、ようやく参道入り口にたどり着きました。本来は、この界隈に駐車して、トンネルをくぐるように門前町を上がっていくのでしょう。私の場合、ここから再び仁王門に戻ったので、 およそ1、2kmほど歩いたことになります。

参道を戻った先の、こちらが本殿。

そして境内地には「車体祈祷所」なる一角が。

車体で直接乗り付けて、ここで新車の安全祈願をするようです。

本殿の奥には旧本殿があり、その周りに「縁の末社」と呼ばれる一画があります。小さなお社が林立して、それぞれにお稲荷さんの使いである「狐」が祀られていますが、どれも像容が様々で個性的。ですが、どれもやたらと表情が怖いのです。






古来より狐は妖獣として、神聖性や霊性があると見なさた一方で、最下クラスの野狐などは人を誑かすとされてきました。その畏敬の表象でしょうか。
もしかしたら、これから神仏に願意を掛けようとする人間に覚悟があるかや品定めをするための畏れと厳つさ、永平寺の山門で新到を待ち受ける客行和尚みたいなものかもしれませんね。
ところで、この最上稲荷は神社かお寺かと問われると、正式名称は「最上稲荷山 妙教寺」という、日蓮宗の寺院。しかし明治の神仏分離令に際しても、特別に神仏習合の祭祀が認められたそうです。
つまり、中近世の日本人の信仰形態を残している場所。隠岐の島とは対極にありますね。


今日は「おばさん」のお宅のご法事でした。
と言っても私とは血縁のない檀信徒の女性で、他の人は「(苗字)のおばさん」と呼びますが、全てのカテゴリー超越したおばさんの中のおばさん、トップ・オブ・おばさん、ザ・おばさんとの意味で、私は敬愛を込めて、何も冠詞をつけずにただ「おばさん」と呼んでいます。
パーソナルスペースがほぼなく、とにかくお喋り好きのおばさん。今日も宅法事で祭壇前の準備をしている私に容赦なく話しかけ、私もそれに釣られて言葉を返していたら、いつの間にかおばさんと向かい合って約10分くらい話し込み、今にも法事が始まるを思って待ち構えている家族や親戚は、その間正座したまま待ちぼうけでした。
うちの近所に住むこのおばさんとは、私が子どもの頃からの付き合いで、10年前の私の結婚式では、安来節の歌い手でもあるおばさんと社中の人に安来節を披露してもらいました。
とにかく社交家のおばさんの家には、地域の人がお茶を飲みによく訪れ、界隈の情報がよく集まります。世間話の探偵みたいなおばさん。
昨年、師父が病に倒れた時、総代の一部の方にしか事情を話していなかった段階で、たまたま道であったおばさんが私に「この前、お寺に救急車が来たけど、何かあった?」と尋ねてきました。実際は救急車でなく自家用車で病院に搬送しましたが、きっと何かリークがあったのだと察して、事の次第を話しました。まだ内密にしてほしいと伝えると、おばさんは
「うん!わかった!!」
と、何故か得意げに去って行きました。今思うと、カマをかけられたのかもしれません。
その後、退院した師父が家に戻った姿を見たおばさんは、師父にツカツカと歩み寄り、まだ病み上がりの師父の肩をバンバン叩きながら、
「良かったねー!元気になって!心配したけん!もう大丈夫だねー!」
と矢継ぎ早に見舞いの言葉をかけていました。すると師父は、お礼の言葉を返す間も無く、おばさんに揺さぶられながらボロボロと泣いていました。
そんなおばさんにかけられた、今でも忘れられない言葉があります。もっとも、言葉をかけられたのは私ではなく、妻です。
今から9年前、私たち夫婦は待望の第一子を、出産予定日の1週間前に死産しました。そのショックは計り知れず、私も妻もしばらく人に会うのもしんどいくらいでした。周りの人たちも悼ましさからのお気遣いだとは思いますが、まるで腫れ物にでも触るような接し方でした。
私は、お寺の仕事で無理矢理にでも人に会わねばなりませんでしたが、専業主婦の妻は、ただ家で呆然とした日々を過ごしていました。
それでも日にち薬が効いたのか、1ヶ月くらい経ってようやく犬の散歩に出るようになった妻。すると運転中だったおばさんがそれを見つけ、歩道の対向車線(一車線挟んだ距離)で車を停め、ウィンドウを下げて首だけ車から出し、笑顔と大声で妻に話しかけました。
「〇〇ちゃーん(妻の名前)!どげなー?!元気になったー?!」
久しぶりに家族以外の人と話す妻は、少し面食らいつつも「は、はい、ありがとうございます」と言葉を返しました。するとおばさんは、
「生理は来たー?!」
と尋ねてきました。気圧されるように思わず妻が「あ、はい」と返すと、おばさんは、
「オッケー!じゃあ大丈夫だー!」
と言い残すと、後続車が来たので、そそくさ走り去って行きました。
妻からその話を聞いた時、私は「おばさんらしいな」と思い、ひさしぶりに爆笑してしまいました。我に返って妻を見ると、妻の顔もどこか吹っ切れたような微笑を浮かべていました。後で聞いたら「逆にあれで性根が入った」と述懐していました。一種のショック療法でした。
おばさんの「空気を読まずに、変える」処世術。誰にでもできることではありませんが、ただ間違いなく、おばさんの言葉と態度には嘘がない。本当にすごいおばさんだし、今も感謝に耐えません。今日はそんな日々の報恩のお勤めをさせて頂きました。(副住職 記)



5.締め切り
一次締め切りは3月末まで。
6.供養堂利用
落成後に改めて利用の案内と募集を致します。
ご利用には、願興寺観音講に入会(年会費2,000円)が必要となります。
以上。

昨日、曹洞宗総合研究センターによる諮問機関「過疎化に対して曹洞宗教団が取るべき政策の在り方」の現地聴き取り調査が、島根県第二宗務所で行われました。
私も宗務所の役職員として参加して、みなさんの意見を拝聴していましたが、その中で「寺院の後継者不足の問題」について、住職の資格が取りやすいように条件を軽減するべきとの意見がありました。零細寺院では兼職をしなければ生活できないので、長期の僧堂修行は難しい、というのが理由です。
ここまではよくある話の展開なのですが、その後、どなたかが次のような発言をされました。
「本山で長い間修行できるのは、(経営規模的に)大きいお寺の恵まれた環境だからで・・・」
あー、また出た。「現代の五夏闍黎はボンボン」説。
実は、最近もある僧侶の方から同じことを言われていました。五夏ではないにしろ、3年7ヶ月永平寺にいた私は、「ボンボン」だというのです。就職しなくても困窮せず、師寮寺を今すぐ継ぐ必要もない、そんな「恵まれた」環境だから、修行ができたのだと。
まあ、自分でそう思うならともかく、とっさに他人から言われると、あんまりいい気はしません。
後継者不足を問題にするのも、現場レベルの生活実感を上申するもの良いとして、それがなぜ、長期の修行歴を貶める言動に向くのか。
要はここに「出家教団」としての歪みがあるのです。「修行が厳しい」ことが売りの聖道門の曹洞宗が、僧堂修行の意味そのものを軽くしたら元も子もない、と私は思うのですが、現場レベルで檀信徒の安心に即応できなければ、それはそれでナマクラ修行と見なされます。妻帯も肉食も飲酒も、そんな現場至上主義の方便にされています。
そう言えば、修行が終わって地元に帰ったら、先輩僧侶に「3年いたからって、現場ですぐ通用すると思うなよ」と藪から棒に言われたことを思い出しました。なんの予防線かさっぱりが分からない上に、そんな言い方をする人に限って、檀家さんとのトラブルを起こすのですが。
後継者問題を語る前に、高田道見老師の「三根平等の安心」に学んだ方がいいんじゃないですか?(副住職 記)