あけましておめでとうございます。また改めて、コロナ禍のお見舞いを申し上げます。 
 
今年はコロナ禍を受けて、除夜の鐘も規模を縮小して計画していましたが、折りからの積雪もあって宗友会は三役のみでお勤めいただくなどさらに縮小、参拝者も少なく、山内は例年よりも静かな年明けとなりました。
 
昨年10月の退董式をもって東堂となりました師父は、療養しながら日々穏やかに過ごしております。母は基本的に変わることなく、東堂の身の回りの世話の他、山内の美化や会計に当たっております。
 
息子は幼稚園で覚えたのか、会話の中で「〜しちょって」などと、出雲弁が時折混じるようになってきました。妻とともに、そんな息子の成長を微笑ましく見守っております。
 
さて昨年は、位牌堂の一部を納骨ができるように整備し、すでに利用を始めました。
また一昨年、願興寺の境内にペット供養堂造立を発願し、昨年には寄付を募らせていただきました。現在はご本尊像の来迎を待っているところです。
 
これらはコロナ禍の前から、時勢を踏まえると必要な事業だと思い、総代世話人や観音講の皆様にご相談しながら計画を進めてまいりました。
 
今年一年で、この二つの事業が安定して運営できるよう、努めてまいります。 (住職 板倉省吾 拝)

 

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今年の除夜の除夜の鐘は、境内でのご接待は中止します。

その代わり、みなさんから寄せていただいた「今年の反省」「尽きない煩悩」「願い・祈り」「感謝のことば」の他、新亡のご戒名を読み上げながら、一回ずつ鐘をつく「一念一打」をライブ配信します。

facebookは「宗淵寺/願興寺」ページにて、YouTubeは下記のリンクからご覧になれます。

URL: youtu.be

今年はお家で除夜の鐘をお聴きください。

 

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 観音堂・境内暮大掃除  時々、冷たい雪混じりの雨が降っていましたが、観音堂と境内の暮れの大掃除を地域役員の方々のご協力で行いました。

  朝の天気模様では中止か?とは思いましたが、役員の皆様方も自他共にいろいろお忙しい中ですので大変ですがお願いしようという事にしました。

 

  観音堂と境内に分かれて行いました。境内は主に落葉の掃除でしたが、濡れ落ち葉ですので中々始末が悪い状況でした。中には、こんな天気に大掃除したという記憶はないね。そうですね初めてでしょう。誰か日頃の行いが良くなかったんじゃありませんかね。と云われ、うーん、と暫し黙考。

  ガヤガヤ云いながらも手は休みなく動き掃除が終わり、観音堂、境内ともにスッキリとしました。 

 

 方丈様より、庫裡の大広間にお茶を用意しているのでどうぞ!とのお勧めでした。大広間はとても暖かくして頂いていて快適にお茶を戴きました。

 

 暫く茶話会の後、会長から、役員さんに作務の御礼を申し上げ、一同下山となりました。  大変お世話になりました。  合掌(願興寺観音講 副会長 金本和夫 記)

 

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本日17日、積雪があり寒い中、毎月の新美山願興寺観音講恒規法要が厳修されました。

 

 

臘月(12月)法要は妙法蓮華経観世音菩薩普門品を挙げます。参拝者の方々は、あの長いやつだね、と失礼な言い方です(笑)

 

 

唯、コロナ禍の対策の為に法要は暖かく空調をしていただいた宗淵寺の本堂で行われ、読経は導師が挙げられます。参拝者は黙読、心読とします。

 

 

読経、詠讃歌の奉詠の後には、板倉住職様からご説教があります。

 

 

今日のご説教は、今年一年の総括。一言としてはコロナ禍の一年であり、当山の先住の退董式が行われた事等激動の一年ではなかたか。

他には、縁食についてのお話し。法事の後食の様なある意味縛られた状況での食事ではなく、家庭で云えば家族全員で決められた時間に集まり食事を摂る、という供食の事ではなく、また、一人寂しく摂る孤食でもない。

緩やかな関係性の中で食事すること。だそうで、深くて重いつながりではなく、単に、めぐりあわせという様な関係性の中での食事、喫茶という事でしょうか。喫茶去という事でしょうか。合掌(観音講副会長 金本和夫)

 

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12月11日、梅花講のみなさんに成道会のご奉詠をいただき、これを持って年内の唱え納めとさせていただきました。

その後、みなさんで山内の清掃をしていただきました。みなさん本当にありがとうございました。

 

例年ですと、その後に慰労会を実施しますが、今年は時勢を踏まえて中止となりました。来年こそ懇親会が普通にできる日常が戻ってくることを、祈念して止みません。

 

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12月に入って10日あまり。

 

禅宗寺院では、12月に入ると「摂心」という行事があります。詳しくは、曹洞宗の公式ページの記載をご覧ください。

昨日には「断臂摂心」も終わりましたが、この間のクライマックスは、なんと言っても「三仏忌」の一つにも数えられる、8日の成道会です。

 

降誕会、成道会、涅槃忌をいわゆる「三仏忌」と称しますが、涅槃会はともかく、なぜそれ以外の二つが「忌日」なのかという問題はひとまず置いて、ここでは、今年の成道会にちなんで、特に降誕会との関係で、お釈迦さまの言葉にまつわる雑感を記します。

とは言っても、筆者が何事かを透徹したり、典拠や論拠に確固としたものがあるわけではありません。何となく「そうかな・・・」という、薄ぼんやりしたものです。

 

降誕会において、生誕されたばかりのお釈迦さまが周行七歩して「天上天下唯我独尊」と仰ったと言われていますが、端的に直訳すると「時空を問わず、この世の中で、ただ私のみが尊い」となりますが、「私のみが尊い」という言葉に、何とも不遜で尊大なニュアンスを受け取る人もいると思います。

そこで、この言葉の注釈や裏付けとしてよく用いられるのが、成道会において悟りを開かれた時に仰られたとされる「我と大地有情と同時成道す」という言葉です。

つまり、お釈迦さまの悟りは、ご自身のみではなく、それが因子となって、あらゆる生物や山川草木も、同時に苦悩を滅して安楽を得ることができた。つまり「この世の全てが尊い」という解釈です。

 

でも私は、この解釈に少し違和感を感じていました。

確かにお釈迦さまの教えの本質は、自利と利他が両輪となったものですが、でも後者の解釈だと、前者の「唯」とか「独」という、「強い限定」の意味合いが失われているように思われるのです。

赤子のお釈迦さまの言葉が稚拙で偏狭、成道の言葉が成熟して博愛、ということでもないでしょう。私は、お釈迦さまは確かに、この悟りや安楽について、そうでない領域と一線引いておられたと思えてならないのです。

 

では、その一線はどこか。それは「唯我」の領域がどこまでか、ということにもなりますが、私はひとまずそれを仏・法・僧の「三宝」だと見なしました。

仏はお釈迦さまご自身。法はその教え、僧は僧伽・教団です。ある意味でこれらを三位一体と捉えて「唯我」としているわけですが、これには、かつて故・宮崎奕保禅師が「わ(た)しが永平寺や」と説示されたのを聞いたことが誘因となっています。

 

大地無情はともかくとして、少なくとも有情においては、教えによって行ずるものとそうでないものは、分けておられてたのではないか。

 

なぜかそういう着想を得た、今年の成道会でした。

 


 

以下は、本筋とは全く違う話。

 

今年のいずも曹青の臘八摂心、都合がつけば私も参加するつもりでしたが、色々と言い訳を立てて、結局参加せず。

そんな怠け者の私の代わり、でもないですが、他の会員が摂心を勤め上げられました。教えにより行を立てようとする方々に、心より敬意を表します。

いずも曹青の摂心については、私の記憶違いもあるかもしれませんが、元々は、当時現役の会員であった出雲市宝願寺の今岡英之さんの急逝をきっかけとして事業化したと思います。

生前の今岡さんは、松江市の洞光寺で勤めておられて、ここの坐禅堂を活用し、行を立てようとされた方でした。

その遺志を、もはや今岡さんを知らない今の会員たちが継承しているかと思うと、胸の中が熱くなります。(住職 記)

 

 

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思い込み、穿った挙句に、我田引水。

 

本稿を書いていて実感するのは、以前からそのきらいはあったけれど、筆者もすっかりと、「ただ話の長い中年」になったということ。

 

というわけで、切ない気持ちもただちに忘却。作品自体に話を戻して続けます。

 

「エピソード・ゼロ」としての道場修行 

本編では冒頭で「匂わせ」程度、直接描かれない「エピソード・ゼロ」と言える場面・舞台がある。

それが、倉島・河口両師が同参したとされる修行道場での生活で、本編はそれからおよそ10年後だとされる。

 

この「10年」について、製作陣が意図して設定したかわからないが、個人的に筆者は、永平寺での修行を終える際、ある老師から、

「お寺に帰っても、10年は(周囲に対して)物を言わない方がいい」

というアドバイスを頂いた。

 

現実の道場の修行は、特に地方寺院の後継候補者にとっては「壮大すぎるロールプレイ」なのだが、そこで教え込まれた「不離叢林」「一生参学大事」を額面通りにしか受け取れなかったり、修行を終えた自負が偏屈な自尊心にしかなっていない者にとっては、道場を下りてから本物の「難行」が待っている。「10年」というスパンは、その「難行」の比喩でありスローガンだと、筆者は受け止めたし、実際にそうだった。

 

入門当時、それまでの娑婆世界での暮らしから、道場での修行生活の様式に適応するのに、確かに苦労はするが、3ヶ月経てば、すっかり「プログラミングは書き換えられる」。

目標や行動を単純化して神聖視し、規則や共同生活でがんじがらめになるのは、確かに窮屈ではあるが、実は楽で居心地がいい。

 

この辺の前提を感覚的に補うために、映画『ファンシィダンス』(1989)を観るのもいいし、個人的には『ショーシャンクの空に』(1995)を、ブルックスの立場になりきって観るのがオススメだ。

 

おそらく、映画の登場人物であるチケンとリュウギョウは、「道場」という同じ胎内に回帰し守られた、双生児のような体験を共有していたのではないだろうか。

 

道場で書き換えられたプログラミングを、「巣立ち」の後、入門前とは様相を変えた(ように見える)娑婆世界で、チケンは(自分なりに)最適化しようとするが、リュウギョウは(半ば強制的に)アンインストールする(させられる)。

再起動まであとワンクリックというところで、両者は再びアクセスするが、すでに言語やコンセプトごと更新されていて、わずかに残る断片化された共有のプログラミングは、もはやバグでしかない。

 

初見以降は、そんな状況から物語が始まるものとして、本編を観直した。

 

「持つ者」と「持たざる者」

映画本編の構図として、チケンは「持つ者」で、リュウギョウは「持たざる者」として描かれている。

一見すると、チケンがそうかは分からないかもしれないが、リュウギョウと比較すると、それは明らかだ。

 

筆者はこれを、自身の全曹青出向経験を踏まえて、チケンは「ロマンを持つことを許される者」であり、リュウギョウは「ロマンを持つことを許されなかった者」の構図だと読み替えた。

 

ここでいうロマンには、二つの意味がある。

 

一つは、前述したような道場で夢見たロマン。僧侶と生活者としての配分と言ってもいいだろうか。

チケンは成分的に僧侶が多め、リュウギョウはその逆である。

 

チケンの疑団は、羅睺である出自と、子息の食物アレルギーにあるようだが、彼はそれを、道場でインストールしたプログラミングで演算する。

 

実はここに、娑婆世界おいて彼に対するニーズの一致と不一致があるようにも感じる。

特に家族にとっては不一致の場合が多いのは当たり前で、それは道場のプログラミングが「出家」を基盤にしているから。

 

やがてチケンは遊学のため、青山老師との独参や太白山天童寺への拝登を果たす。

そして、ある意味シャーマニックな言語と方法を獲得していくのだが、彼の遊学そのものが住職地で留守を守る家族や檀信徒にとっての「正解」かどうかは、正直分からない。

 

「持つ者」として描かれいるチケンではあるが、筆者には、彼はやや「浮ついている」ようにも映る。身の回りに起きていることと、彼の実際の対処との間にやや「飛躍」を感じるのだ。

彼もそれをどこかで自覚しているから、裸足で大地を歩くのだろう。浮つきそうな自己を、感覚的に、今いる場所に繋ぎ止めようをしている。

それなのに彼が、エンドロール直前で『バガボンド』(漂泊者の意)に触れるのには、少しヒヤッとさせられる。

そんな彼の「浮つき」を知ってか知らずか、彼を取り巻く人たちは、基本的にはチケンが遊学することを許容している(ように思われる)。

 

それに対してリュウギョウは何も許されていない。

自分ではどうしようもない無常に翻弄される被災地の生活者として、日々の暮らしに追われている。浮つきようにも浮つけないから、手っ取り早く軽口を叩いたり、泥酔したりする。

そんな日常の先にあるかすかな夢、それが被災した寺院の再建だが、彼にはそのきっかけすら、与えられることはない。

もしかしたら、一度は夢見た道場でのロマンが、リュウギョウには「呪い」だったのかもしれない。

 

そしてもう一つは、「全曹青としてのロマン」。全曹青としての組織構造のメタファーだ。

 

映画の製作当時、主役を演じた二人は全曹青の会長、副会長だった。つまり、全曹青で活動することが許容された人たちだ。

一方で青年僧の中には、形式的に加入はしていても、全曹青の活動を、自身とは縁遠いものと受け止めている者も少なくない。

 

筆者も出向する以前は、全曹青に対してあまり良い印象がなかった。権威主義の団体だと思っていたから。

しかし朱に交われば赤くなる、出向期間中に多くの勝友と交わる中で、自然と全曹青としての「大志」を抱くようになった。

 

そんな中で、地元の青年会仲間から「(時間も経済的にも)余裕があるんですね」とか、「自分たちだけが立派なことをしているなんて思わないでください」とか、心底がっかりするエールを受けたことがある。

 

そして退任する際には、妻は「ホッとした」と心情を吐露していた。

出向中、時間もお金も心の余裕も、その多くを全曹青に割かれた生活で、妻にとっては、肝心な時や頼りたい時に近くにいない、活用した実感はないのに家計が逼迫する、といった忸怩たる思いを封じ込める日々だったのだ。

 

当時、筆者はそのことを、よく自虐して、「オトコのロマンは、オンナのフマンなのだよ」と漏らしていた。

 

(誤解がないように言っておくと、全曹青の活動に対しては、全額ではないにしろ、本会や所属の地方曹青会などから、相応の助成金が支給されている。出費が嵩んだのは、単に筆者の自助努力が足りなかったからだ。またがっかりエールを受けたのも、単に筆者に人徳がないからだ)

 

このように全曹青とは、同心円の内と外で濃淡が大きい組織の構造を持つ。

出向者や執行部はロマンを抱くが、周縁にいる人々のほとんどは、雲を掴むようなロマンでは腹が満たされるはずもなく、目の前の生活に注力する。まるでリュウギョウのように。

逆にチケンは全曹青の出向者を象徴したキャラクターのように受け止めた。かつての筆者のように。

 

この映画がそういったメタ構造だったとしたら、組織広報として言わめて高度と言える。

 

筆者が耳にした中で最も感慨深かったのは、実はカンヌではなく、非加入曹青会の主催による上映会が開催されたと聞いた時であった。その時に、「これは私たちとあなたたちの物語でもあります」とか言えたら、なんてカッコいいのだろうとは身悶えするのは、いささか独善と妄想が過ぎるだろうか。

 

 祭りの後に

この映画をして、「全曹青のプロパカンダ」と評する声も聞くが、それが本当かどうか、実際に当事者の話を聞いてみるといい。

そもそも『空族』は海千山千の表現者、クライアントの太鼓持ちをするようなプロダクションではないと思う。

 

裏話でおもしろかったのは、当初『空族』側が提案したプロットでは、僧侶が高級車を乗り回すシーンがあったそうだ。

それを受けて、全曹青側も実際に高級車を調達したらしいが、両者の交流が深まるにつれ、『空族』の方から、このプロットの変更を申し入れ、リュウギョウが軽トラに乗ることになったのだそうだ。

単なるプロパカンダなら、こんな感応道交はあり得ない。

「大衆教化の接点」を実現したのだ。

 

これまで縷々述べたように、筆者はこの映画に大変感銘を受けた。

そしてカンヌ映画祭での上映という偉業も果たした。倉島師の宿願であったことと比べて矮小な感想だが、まさに「カンフル剤」としては、今後も比類ないような成果をあげた。

 

筆者は気になるのは、この映画の「今後」についてだ。

 

かつて筆者が、全曹青広報委員長の時に「曹洞禅を物語に」という特集を、広報誌で組んだことがある。今からおよそ11年前のこと。その時に副委員長として会務を支え、筆者が投げ散らかした「やりたいこと」の後始末をしていたのが、倉島師だった。

 

真に価値があった事業というのは、そのほとんどが継続事業となって、事業体としての全曹青の屋台骨を支え続ける。

ではこの映画は、今後全曹青にどのような「資産」を残すのだろうか。

映画というメディアは、PRが功を奏して上映当初はよく回転したとしても、本当に内容が評価されなければ、すぐに世間から忘れ去られやすい。その価値を維持する仕掛けがあるのか。

 

またあまりに大きな事業だったため、組織としてもかなりの無理がたたっていないか、老婆心は尽きない。

 

その点において、倉島師から会長職を引き継いだ原師は「稀代のバランサー」なので、こういう派手な事業の後処理には適任であったことだろう。任期は残りわずかだが、地元選出の会長の手腕に期待して、この稿を閉じます。大変お疲れ様でした。合掌(住職 記)

 

 

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以下は前稿からの続き、全曹青の(不束な)元職としての観点を加味して感想を続けます。

 

電話相談のシーン

この映画に全く批判がないわけではない。特に「電話相談」のシーン。

もしあれが、『観世ふぉん』を下敷きにしているならば、フィクションパートと言われても、私の許容を超えている。手法も状況も、実際との乖離が大きすぎる。

 

監督の富田克也氏は「傾聴だけではなく、僧侶自身の言葉が必要」と述懐されてたが、それは設立当初からの『観世ふぉん』の運営方針に反する態度だし、そうなるともはや「相談」ではなく、「辻説法」だ。僧侶の言葉が必要なら、別の場面設定が必要だったのではないか。

 

現在、『観世ふぉん』はNPO法人として全曹青から独立しているとは言え、未だに切っても切れない関係であり、代表の安達瑞樹師は、映画の製作当時に全曹青の顧問だったから、何かしらのお伺いや確認はあったはずで、もしかしたらその点も『観世ふぉん』の運営サイドとしても許容しているのかもしれない。

ただ、あのシーンが『観世ふぉん』の電話相談シーンが下敷きと認知されているならば、それは全曹青として「大きな嘘」を拡散していることになる(但し、劇中では『観世ふぉん』の名詞は使用されていない)。

フィクション・ノンフィクション綯い混ぜの作品構造の危うい点である。

 

全曹青としての「大正義」

それでも筆者は、全曹青が今回のような事業に取り組むことは使命であり、正当であり、「大正義」だと受け止めている。時には「毒」にもなる覚悟で、「派手」なカンフル剤が必要な団体なのだ。

 

「全国曹洞宗青年会」という看板を掲げているが、この団体に宗門の青年宗侶が皆加入しているわけではない。

元々、有志によって立ち上げられた宗門の外郭団体であり、現在は、各地方で結成された曹青会による団体加入と個人加入による会員で構成されている。

言い方を変えれば、加入するかしないかは、地方曹青会や個人の自由意志である。

そのためか、特に関東を中心に加入していない地方団体も少なからずあり、歴代の全曹青執行部は、これら非加入団体への加入に向けた働きかけが「必須科目」なのだ。

 

その際によく使われる誘い文句が「スケールメリット」。

つまり、包括団体としての「メリット」を如何に設定し、それを誘い文句にして、如何に非加入団体を振り向かせることができるかが「必須科目」における「宿題」だ。

 

そして有志の外郭団体である以上、自主財源確保の努力も求められている。頒布事業や賛助費の勧募がそれに当たる。

 

曹洞宗宗務庁に対しても、外郭団体として助成金を支弁して頂いている以上、会務の実績をアピールしなければならない。実績が上がらなければ、助成金減額の口実を与える。

 

そのため全曹青は、宗門内に対して、常にその名前を意識させ続けなければならない。

 

そして宗門外に対しては、結成当初から全曹青が掲げるキャッチフレーズがある。それが「大衆教化の接点を目指して」である。

これは教条主義や下化衆生といった態度ではなく、青年僧の方からあらゆる方便法を駆使して世間にアプローチする態度で、簡単に言うと「やる気があるなら、そっちが来い」ではなく、「なんでもやります。そちらの輪に入れてください」である。

禅僧を名乗る人たちが、得てして前者が多い中で、後者の方法論を追求するから、全曹青は独自性があり、価値がある。

そのためにも、今度は一般社会に対しても、全曹青の名前ができるだけ人目につくように尽力しなければならない

 

これらを一挙に満たすために、全曹青はこれまで派手なカンフル剤というべき事業に取り組んできた。

例えばそれが、東大寺の千僧法要(現在の主催は全日本仏教青年会などだが、立ち上げ当時にこれを主導したのは全曹青)だったり、電話相談事業『観世ふぉん』だったりする。また結果論ではあるが、災害ボランティアによる大きな実績も、この点に大きく寄与している。

 

全国から集まった青年僧侶による情報交換や親睦、サロン活動だけでは許されない。事業体としての質がどこまでも問われる団体なのである。

 

そのような歴史の中で、全曹青は「文化事業」にも着手してきた。そして、一般映画を上映するという話も、私の聞く限り、企画としてはいくつかあった。

しかしこれまで、全曹青が一般映画を製作して上映したという実績はなかったはずだ。

 

その点において、今回の映画は全曹青積年の「夢」と「責務」を具現したものだ。

 

また映画の舞台として、電話相談、東日本大震災の復興支援といった、これまでの全曹青の活動が設定されている。

そしてこれは、倉島師から直接言質を取ったことだが、今回「宗門を代表する人格者」「ラスボス」として青山俊董老師に出演を依頼したのは、自身もかつて籍を置いた広報委員会において、歴代にわたって取り上げられてきた「宗門内のジェンダー」に対する問題意識が起因しているそうだ。

 

これらのことから、この映画は、倉島会長期の短期決算ではなく、全曹青設立から四十数年の歴史の集大成ともいえる内容の作品だと、筆者は受け止めている。(またしても、続く)〈住職 記〉

 

 

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当地の宗務所主催による映画『典座ーTENZOー』の上映会が、今週の木曜日に行われます。企画者は、教化主事を拝命している筆者ではありますが、この映画を製作した全国曹洞宗青年会(以下、全曹青)の現会長は、当宗務所管内 安来市・宗見寺住職の原知昭師(製作当時は副会長)です。

 

現在は映像ソフトの一般販売も開始され、上映活動としては周回遅れの感も否めませんが、原師を始めとして、過現を問わず多くの出向者を抱えながら、これまで管内の寺院や檀信徒に向けた上映がなかったのを惜しいと考えて、今回の上映会を企画しました。

 

この映画の概要については、下記リンク先をご参照ください。

 

かく言う筆者も、過去に全曹青出向経験があり、かつ、この映画の主役の一人である倉島隆行師とは、修行時代の同安居で、全曹青でも活動を共にしていたこともあって、筆者なりの感想も少なからずあるので、今度の上映会の個人的な予習として、本稿をまとめさせていただきます。

 

以下、長文のため常体で書き殴ることを、はじめにお詫びしておきます。

 

 

『典座ーTENZOー』という題名

筆者は、まだ一応いずも曹青に籍があるが、来年には定年になり、後進もめざましい活躍をしているので、出る幕もなく曹青会員としてはほぼ開店休業状態。

この映画についても、全曹青の元職ではありながら、製作の過程にも関知せず、本来なすべき支援も十分果たしていない上に、しばらく鑑賞すらしていなかった。

そういう薄情な元職ではあるが、すでに映画を鑑賞した人からの感想が、いくつか耳に届いていた。

 

関東に住む親戚(映像関係の仕事に従事)からは「映像美に魅了された」との好意的な反応を聞いた一方で、身内である僧侶からは、あまり威勢の良い感想は聞こえてこなかった。

 

一番多かったのは、「どこが〝典座〟の映画なのか、分からなかった」というもの。

 

もしそれが本当なら「看板に偽りあり」、もはや詐欺的とすら言えるが、実際に鑑賞すると、確かに分かりやすい意味では「典座」の要素は目につきにくいかもしれないが、看板に偽りがあるとまでは感じなかった。

むしろ、「どこが〝典座〟の映画なのか」という感想こそ、「典座」というワードの狭義にだけこだわり、表層しかなぞっていないのではないか。

 

この映画で「典座」とは、僧堂の役職の説明や禅書の解説、グルメな坊さんの自意識のことを言っているのではない。

「五観の偈」や祖師の教えに基づく生き方、すなわち食が鎹となる命の循環を象徴している。その意味では、「典座」とは我々にとって仏祖道の一部かつ全体である。

映画に描かれる僧侶は、意識的に食を通じて日常を営み、青山老師からも食に関する教示を受け、自身の生き方を見つめている。

 

さらには各章題に「六味」を当て、「人生の酸いも甘いも」のメタファーっぽくするという、映画的な流儀も踏まえている。

 

この映画が「典座」を名乗ることに、何の差し障りがあるのだろうか。

 

伝え聞いたところによると、元々は狭義的な「典座」をテーマにした短編の予定で製作を始め、途中から中長編に企画を改変したため、当初よりプロットが増えたらしい。

もしかしたら、その時点で改題していれば、宗門の内輪受け的には良かったかもしれないが、改題しなかったとしても、私は主旨がずれたとは思わない。

 

 

演技の巧拙

これも宗侶から聞かれた感想だが、とにかく演技が「素人」だという。

 

当たり前である、本当に正真正銘の素人が演技したのだから。

 

これで「俳優が演じました」と言えば、観てる方も腹も立ちそうだが、最初から「素人が演技する」触れ込みのものなのだから、むしろ「堂々たる素人演技」と受け止めなければ、物語は前に進んでいかない。

 

確かに私も、画面越しに既知の倉島師が演技しているのを観て、最初は「壮大な余興」を見せられている感があり、少し気恥ずかしい思いがあったのは確かだ。

ただ、私の知る限りではあるが、彼の演技の振り幅はとても大きい。

 

主役である二人の僧侶は、「持つ者」と「持たざる者」の対比として描かれている。

河口智賢師が演じた前者は本人が下敷きとなったキャラクターなのに比べ、倉島師が演じた後者は、取材して造形はされているが創作されたキャラクター。

しかも倉島師は舞台となった福島在住ではなく、実際の彼は三重県随一の巨刹の住職。決して「持たざる者」ではない。

 

これは全くの想像だが、仮に「素人演技」への批判があると想定して、製作当時の全曹青の会長であり、映画のプロデューサーでもあった彼は、自身が全く創作である人物を演じることで、その批判を全て受け止める覚悟だったのかもしれない。

 

いずれにしても、「余興」以上の熱演をしている彼を、私は鼻白むことはできなかった。

 

実際に海外の上映会で、堂々たる体躯の彼が、泥酔して軽トラの荷台で窮屈そうに、ゴロンと寝転がるシーンが好評だったと聞く。

天を仰ぎ、星を見る間もなく意識を失う時だけ、絶望から解放される彼の心情が、演技表現として言外に伝わったからだと思う。

 

もっとも、この「素人演技」問題は、フィクションとノンフィクションが綯い混ぜになった映画の構造によるところが大きいと思われる。

 

聞くところによると、映画のクライマックスで「ラスボス」よろしく登場する青山俊董老師と、自身の疑団をぶつける河口師との独参は、実際の製作上のスケジュールでは一番最初だったそうだ。

このシーンを核として映画は構成され、それまでの過程を再現するのに、例えば役者の別に仕立ててしまえば、クライマックスであるはずの独参が、途端に「嘘」になってしまう。主人公は、あの二人が演じるしか選択肢はなかったのだ。

 

また、元々この映画は、2018年に日本で開催された『世界仏教徒会議』での上映を見込んで企画されたものだそうだ。

だとすれば、拙いかもしれない台詞回しも、ネイティブでない観客には、さほど気にならないかもしれない。

 

そして何よりも、主役の二人が劇中に唱える読経と御詠歌は、間違いなく「本物」。決してプロの演者でも再現できない発声と節回しである。

これまで、『ファンシィダンス』でも映画『禅』でも、読経シーンになると、途端にそれが演者にとって日常の営為でないことがバレバレだったが、「本物の読経」を映画館の音響で聞き浴びることができるのは、特に海外向けの視聴には大きなアドバンテージではなかっただろうか。

 

 

以上個人としての感想ですが、これとは別に、不束ながら「全曹青の元職」としての評価軸があります。ただ思いのほか長くなったので、その点は稿を改めます。(住職 拝)

 

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今月も恒例の新美山願興寺観音講恒規法要が厳修されました。コロナ禍に依り法要は宗淵寺の本堂で行われます。 

 

読経は黙読、心読とのご指示があります。精一杯の声で読経が出来る法要はいつになるのでしょうか。

 

読経、詠讃歌にて法要は終わり、板倉住職のご説教がありました。 

今月のご説教は、今年の春、秋の札所巡拝が出来なくなった為の講員さんの代参をされた報告でした。代参をお願いする為には、お札を準備してお願いいたします。今回から、巡拝した札所のシールを貼って自らの巡拝寺の確認が出来る様になりました。

また、現在、観音堂には今回の巡拝寺のお砂踏みの設えもしてあるとのお話しでした。  

 

次に、12月31日の除夜の鐘法要の件についてあり、従来の法要は出来ないとのお話しでした。その為、遠隔除夜の鐘、でしょうか、鐘撞きの映像と音声をネット配信にて宗淵寺のFacebookページにするとのお話し。

ついては、除夜の鐘『一念一打』として、『今年の反省』『尽きない煩悩』『願い・祈り』などを書いていただき、一念とともに打鐘し、願いは叶い、煩悩は放下されるようお祈りをする、とのお話しでした。合掌(観音講副会長 金本和夫)

 

via 宗淵寺/願興寺
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