コロナ禍を受けて始めた、宗務所の『遠隔坐禅会』。

 

昨年の今頃、「コロナ」という未知の不安の前に、あえて宗意の安心であるはずの坐禅にすがろうと、外出も憚られるたためにZOOMを介して、仲間の僧侶数人と行ったリモートの坐禅が、思いの外具合が良かったため、宗務所でも実施することにしました。

 

なにもすることができなかった当時、あえて坐禅を立ててそれを行い連帯できたことで、私や仲間の僧侶は救われたし、ユーザーからは「この時期に伝統教団が動いている」との好意的な反応を感じることもできました。

 

すっかり「コロナ慣れ」して、日常が手探りながら戻りつつある今、『遠隔坐禅会』の当初の役割も変わってきていると感じたので、一旦ここで仕切り直すため、宗務所行事としての体裁を練り直すため、この3月いっぱいで休止をしました。幸福にも、宗務所長老師のご慈慮もあって、早い段階で再開をしたいと思っています。

 

 

さてその間、一年でルーティンとなったユーザーや私個人の日常をつなごうと、自身のお寺のFacebookアカウントでのリモート坐禅会を、『リモ坐』(仮)と名付けて開催することとしました。昨朝がその第一回目となったわけですが・・・。

 

結論から言うと、配信時間が遅れた上に、音声がOFFったままという、出鼻を挫く、残念な配信に・・・。

 

失敗の原因は、「過信」としか言いようがございません。

 

それまでは、ZOOMやOBSといったソフト(アプリ)から、Facebookライブにアクセスしていましたが、昨朝は一人での配信ということもあって、初めてFacebookライブで直接配信しようとしました。

しかし、この一年でさまざまな配信を経験したことが、逆に過信となったのでしょう。「他のソフトを経由するより操作は簡単だろう」とたかを括り、事前に準備や試験配信をしなかったのが、奢り、運の尽き。

まず配信直前に、何気なく、macユーザー御用達のブラウザである『safari』からFacebookを開いたのが、残念の始まり。

いつものように配信の準備画面(Facebook Live Producer)を出すと・・・

「・・・ボタンが押せん。」

 

いつもならクリックして始まるはずの「ライブ配信を開始」ボタンが無効になっているのです。この時点で、配信開始時間の1分30秒前。

「やばい、どうしよう・・・」

ここで一気にテンパリモードに。

 

しかし、これまでも配信前にトラブルはありました。とにかく同じを操作を繰り返えして時間を潰すのではなく、別の手段を試す。これが常套。

 

ふと、ZOOMではChromeで配信していることを思い出し、ブラウザをチェンジ。

(Facebookに限らず、ライブ配信の際は、ブラウザをChromeにするのが鉄則です)

それでも配信ボタンは無効のままでしたが、ブラックアウトしたままのカメラを「設定画面」で選択して映るようになり、配信ボタンが押せるように。

この時点で配信開始予定を2、3分ほど過ぎるも、配信ボタンをクリック。

配信画面に自身の姿が写り、ホッとした開放感から、『リモ坐』初回のご挨拶を滔々と述べた後、いつものように1炷坐って、坐後のご挨拶をして配信終了。

 

しかし、いつもなら多少なりとも清涼感のある坐後にもかかわらず、なぜか拭いきれない不安感。

恐る恐る、配信済みの動画を再生すると・・・

 

「あー、無音。。。」

 

坐禅中の静寂ではなく、前後の挨拶も、坐禅中に鳴らした合図や梵鐘の鐘の音はおろか、生活音やノイズさえもない「絶対無音」の中で、ただ私がお口パクパク・・・。

 

原因は、「設定画面」で、この時に有効なマイク入力の選択をしなかったこと。

死んでるマイクを繋いでも、そら無音になりますわ。

いつもの『遠隔坐禅会』だと、これが自動でつながるし、他の参加者から「声が出ていない」とのアドバイスもあったりしたのですが・・・。

 

坐後にも関わらず、居た堪れない思いで俯きながら、朝のお勤めのために観音堂向拝の階段を登っていると、突然、昨日はなかったはずのネズミの死骸が足元に。

 

「おうっ!!」

驚いた拍子に、思わず泣き出しそうになりましたわ!

その衝撃で、一連の動揺が定着してしまい、残念な気分で一日過ごしましたとさ。ドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン…

 

 

まあ、色んな意味で、日常が変わる難しさを体験した、『リモ坐』(仮)の第1回でした。

でも、これで挫けずに続けなければ、意味がありません。

昨年度に体験した坐禅の功徳を糧として、謙虚に、真摯に、過信せず、この行事を細く長く、続けたいと思います。(住職 記)

 

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この度、宗淵寺ではネット回線を利用したオンライン坐禅会、通称「リモ坐」(仮)を開催いたします。

これは、住職が関与していた曹洞宗島根県第二宗務所のオンライン坐禅会「遠隔坐禅会」が、3月末で一旦休止することを受けて、主にこれまで継続参加されていた方を対象に、「遠隔坐禅会」再開までの〝埋め合わせ〟として、開催するものです。

 

従いまして、「遠隔坐禅会」同様の開催日時とさせていただきます。

毎週木曜日 朝6時30分頃から
毎週日曜日 夜7時50分頃から

 

  • プラットフォームであるオンライン会議ソフト『ZOOM』の利用契約の都合上、それぞれ、いずれも30分程度の配信時間とさせていただきます。そのため日曜日は、これまで「遠隔坐禅会」では2回坐禅をしていましたが、「リモ坐」では1回とさせていただきます。
  • 坐法は問いません。瞑想、マインドフルネス、止観、阿字観、ヨガ、なんでもO K!
  •  体を締め付けない楽な服装で。
  • 時計や貴金属、眼鏡などもされない方がベターです。
  • 腰に角帯を着用すると、姿勢が安定するのでお勧めです。 
  • 必要に応じて、坐蒲、座布団、クッション、椅子を使用して下さい。
  • 結跏(半跏)趺坐の場合は、靴下を脱いで下さい。 
  • 極力、生活音の少ない場所をお選び下さい。 
  • 止むを得ずお休みする際は、当HPまたは「宗淵寺/願興寺」のFacebookページで事前に連絡します。
  • 配信中には、詳しい坐禅指導は行いません。事前に下記をご参照ください。

<曹洞宗youtube>https://www.youtube.com/playlist... 

<全国曹洞宗青年会youtube>https://www.youtube.com/watch?v=gb1QurgmUWk&t=12s 

坐禅の前に「ストレッチヨガ」をされたい方は、下記をご視聴ください。

<坐禅の前のアンシー‘s ストレッチヨガ>https://youtu.be/2zmwshDoAcM

 

【当山で坐禅されたい方】

下記までご連絡ください。

電話 0852-52-3285

メール  bonzodogs@mac.com   

 

以上。

 

 

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内なる森的なもの

 最近、なぜかオリンピックの準備運営団体の界隈から、性差別を惹起される事態が続いています。

 言うまでもなく、性差別はあってはならないことですが、私自身がこの件で重要だと感じるのは、自身の「内なる森的」なものとどう向き合うか、です。

 

 

 

 これまで私が育ってきた環境に、パワハラやモラハラ、男女格差が一切なかったと言われたら、(おそらく)そんなことはないでしょう。それらに私なりに疑問に感じたり、横目に見たり、諦めたり、受け止めたりしつつ、ここまできました。 

 正直なところ、森さんのように公職を担うことに後ろ向きさがなく、人脈や人望があって、気っ風が良く、責務を全うする(気概のある)御仁が仮に檀信徒にいたら、多少の言動に目を瞑ってでも、総代長とかをお願いすると思います。

 そうやって人や環境に適応することは、社会性が養われる一方で、次第に自身が「マジョリティ」に組み込まれて安住していき、マイノリティを配慮しにくくなることを、十分に注意しなければいけません。

 

 曹洞宗が現代的な人権問題の解決に着手したのは、ある国際会議の場で、曹洞宗の代表者が「日本に差別問題はない」と発言したことに、端を発しています。

 また未だに、曹洞宗では(いわゆる)尼僧が少ないばかりではなく、意思決定の場にも女性がいない、かなり純度の高い「男社会」です。

「自分に、差別心があるかもしれない」

 そういう前提で、全てを始め、言動に注意を払わなければいけないと感じています。

 授戒や得度で、初めに「懺悔文」を唱えるのも、そういった精神に基づくものと、私は解釈しています。

 

 あるニュース番組で「性差別」がどうしたら是正できるか、という意見を求められたコメンテーター(お笑い芸人の方でした)が、

「子どもの頃からの教育環境が大事かもしれないですね」

と、コメントしていましたが、私は非常に的を得たコメントだと受け止めました。

 そして、私たちに内在しているかもしれない「負の遺産」を次代に引き継がないようにしないといけない、そう感じます。

 

 では、今の子どもたちは、ジェンダーについてどういう教育環境にあるのでしょうか。

 私なりにそれを伺い知る事例がありました。それが、「ラン活」と「ニチアサ」です。

 

 

現在のラン活事情

 幼稚園年中の息子が来春小学校に入学するのに備えて、個人的に〝ラン活〟を始めました。

 

 ラン活とは、要は子どもが使うランドセルを物色することなのですが、「来春からなのに、もうラン活?」と思われる方もおられるかもしれません。

 でも昨今はどんどんラン活が加熱の一途で、人気メーカーになると、5月ごろからもう品切れが出るのだそうです。(私も購入熱が加熱の一途)

 ひとまず情報収集からと、ネットを検索したり、各メーカーのカタログを取り寄せたりしているのですが、私の時代より色も形もバリエーションが豊富になり、価値の多様性が示されてことが分かります(その分、目移りも多くなりそう)。

 

 それより私が関心を寄せたのが、ほぼ全てのメーカーで、カタログの掲載順が「女の子向け」商品が先ということでした。

 私が子どもの頃に、そもそもランドセルのカタログがあったかどうかも覚えていないのですが、でもそれを見て、私の「内なる森的なもの」が囁くのです。

「男の子が先じゃないんだ、へぇ〜」

 

 なぜ女の子向けが先なのか。詳しくは分かりませんが、メーカーなりの思惑があるのでしょう。

 少なくとも、私のような「(なんとなく)男の子が先」という先入観や空気感は、今のラン活をする限りでは払拭されているようでした。

 そして、まだまだカタログ上の数は少ないですが、ユニセックスモデルがあることも、今の時代らしいと感じました。

 

 

ニチアサのジェンダーアプローチ

 一応説明すると「ニチアサ」とは、テレビ朝日系の毎週日曜日の子ども番組枠で、8時30分からは主に女の子向けの「プリキュア」シリーズ、9時からは「仮面ライダー」シリーズ、そして9時30分からは「スーパー戦隊」シリーズが放映されています。

 

 男の子向け番組として企画された「仮面ライダー」がシリーズ50周年、「スーパー戦隊」がシリーズ45年を迎える、ともに長寿番組ですが、「プリキュア」も含めたニチアサが、ジェンダーに配意した番組構成をしていることを、『魔進戦隊キラメイジャー』が放送開始した昨年にも紹介させていただきました。

 今年、ニチアサのジェンダーアプローチはさらに進んだように見受けます。

 

 まず、先日終了した『ヒーリングっど プリキュア』。

 前作『HUGっと プリキュア』では、男の子がプリキュアになる「ジェンダーフリー」を描きましたが、今作でプリキュアは、モラハラを断固糾弾する「屈しないフェミニスト」として描かれました。

 実は、日曜日の朝は法事の準備もあって、テレビは点けていてもBGM代わりに見流す程度なのですが(後刻に見過ごし配信などで内容を把握)、上記の引用記事で紹介されているダルイゼンの回は、見流しても耳目が引っぱられる、あまりに強く先鋭的なメッセージに、法事の前から胸がザワつきました。

 まさに「Me Too」の影響を体現したプリキュアだった、と言えるのではないでしょうか。

 

 その『ヒーリングっど プリキュア』でメインライターを務めた香村純子さんが、枠内で横滑りしてメインライターを務めているのが、先日始まった「スーパー戦隊」シリーズの最新作『機界戦隊 ゼンカイジャー』です。

 まず、現時点でこの作品の主要女性キャストは、主人公の祖母である五色田かえで(榊原郁恵さん)と、「キカイノイド」のマジーヌ(スーツアクターが着ぐるみで演じる)です。つまり、「オーディションで選考された若い女性キャスト」がいないのです。

 前作の『キラメイジャー』では、放送中にキャストの女性が多くのグラビア紙に登場するなど、(数的にも印象的にも)女性の占める比重が高い作品でした。

 一見すると、『ゼンカイジャー』では女性キャストの比重が減ったようにも見えますが、要は女性に関して年齢や容姿でキャスティングしていない、ということなのです。ジェンダー的には、より成熟したといえないでしょうか。

 私が子どもの頃に見ていた「スーパー戦隊」は、女性メンバーは男性メンバーの「サブ」的な扱いで、「ジェンダーロール」に徹していました。

 そんな伝統を刷新しようとしているシリーズ45作目の『ゼンカイジャー』を視聴する子どもには、おそらくジェンダーフリーな感性が、自然と身につくのかもしれません。

(余談ですが、数ヶ月後に登場する追加戦士が人間体の女性だと、主人公とほぼツートップのヒロインになると思われ、個人的にはアガりますが、果たして…?)

 

ラン活とニチアサを通った子どもたちは、きっと「内なる森的なもの」を刷り込まずに育つ。

そんな期待をしますが、さて実際の未来は、どうなるのでしょう。(住職 記)

 

 

 

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 3月期の新美山願興寺観音講恒規法要が厳修されました。 

 

 法要は密を回避する為に宗淵寺の法堂にて行われます。参拝者はマスクにて、挙経は黙読、心読を専らにします。本日は住職様より黙読、心読のご注意はありませんでしたが、皆さん今迄の通りにされており感心された由、住職様よりありました。

 

 差定の法要の後、住職様よりご説教です。 

 

 3月4日には出雲観音霊場の札所開きが行われました。願興寺観音講では3月末日を期限に4月11日に予定の出雲観音霊場巡拝の参加を募っています。自らの判断でぜひご参加下さい。

 

 次には、ペット供養の件、本尊様となる馬頭観音様のご到着が4月上旬となった由。いよいよ、実働となる様です。  次には、願興寺の観音堂宇の電力事情が容量的に不足の問題がありました。空調機器など複数を同時に使用すると許容電力オーバーにてブレーカーがトリップしていました。今次、別回線の電気工事が完成し容量に余裕ができました。空調機器など心配なしに使用可能となりました。有り難いと思いますが無駄のない様に使わせていただきます。 

 

 少し難しいお話しとなりますが、住職様は、大震災を東京にて経験され、這う這うの体で自坊に帰山された後には、テレビを複数置き情報収集を日課としたとの事。そこでテレビの正体を知った。テレビは加工した情報を伝えるという事が判ったのは、東日本対震災であった。しかし、求める情報というものはテレビでは取れなかった。細かい情報が欲しかった。どこ山のどこ寺のご住職はお元気か?などです。いわゆるマスメディアの機能低下の正体がバレたのが東日本大震災であったと云えます、との事でした。その後SNSが盛んになり、それぞれが好き勝手に発言をする様になり、その結果として発言が動機となり自死を選択するなど取り返しのつかない事も起きるようになりました。 

 道元禅師様は、

「言(ことば)を出(いだ)さんとせん時は、三度(みたび)顧(かえりみ)て、自利利他(じりりた)の為(ため)に利あるべければ、これを言ふべし。利なからん時は止(とど)まるべし。」

とお示しだそうです。これは言おうとしたことを三度考え直し、その事が自らの為となり、他の人の為になることが明らかになったら発言しなさい。ということの様です。 

 

 不用意な発言でいろいろ問題を起こした事は私にもあります。三度考え直してみていたら問題もおこらなかったかもしれません。 情報と云う事からのお話でしたが、まとめが拙くて判りにくいですね。長文と合わせて申し訳なく思います。拝(願興寺観音講 副会長 金本和夫)

 

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梅花流雲国師範会による、発災から10年を迎える東日本大震災の追悼奉詠法要を、明日の午後2時45分から厳修します。
その模様を、FacebookとYouTubeでライブ配信します。物故者への追悼と、被災地の安寧を祈るお唱えです。ぜひご視聴ください。
 
【時間】
3月11日(木) 午後2時30分頃から配信開始
 
【Facebook】
「曹洞宗島根県第二宗務所」のページにて、ライブ配信します。
 
【YouTube】
下記のURLからご視聴になれます。

URL: youtu.be

 

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昨年1年間、実施を見合わせた出雲観音霊場巡拝ですが、次回、十分な感染症対策を講じた上で実施させていただきます。

 

感染防止のガイドラインについては、手配をいただくビーエス観光様の策定されたものに準じます。

 

また前回同様に、団体参拝でお参りいただけない場合でも、代参の他、4月中に自ら参拝いただいても、観音講の巡拝実績として認定し、「巡拝シール」を、台紙の該当場所に貼っていただきます。(4月11日にお参りの方にも差し上げます) 

 

 代参の場合 

  • 3月29日までに下記の申込用紙ともに①観音札6枚と、必要な方は②朱印紙代(¥200×6)、③御影代(¥100×6)、④軸朱印代(¥500×6)と軸をお持ちください。 
  • 代参後に御朱印紙や御影とともに巡拝シールと台紙を差し上げますので、4月末日までにご来寺ください。 
  • 4月中、願興寺観音堂の周りに巡拝寺院のお砂踏みを設置します。 

 

 

 自ら参られる場合 

4月中に巡拝コースの寺院をご参拝いただき、4月末日までにご報告のためにご来寺ください。巡拝シールと台紙を差し上げます。

 

 

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島根県でも、新型コロナウイルスの接種が始まりました。

 

およそ一年まで、このコロナ禍が始まった頃は、私も「ワクチンが出来るまでの辛抱」と考えていましたが、今も心のモヤが晴れることはありません。なぜでしょうか。

 

「 感染症」は、ウイルスだけではない、と言われます。

たとえ体が健康でも、ウイルス感染症が契機となって、不安や恐怖が伝播する「心理的感染症」、そしてそれが他者への嫌悪・差別・偏見として表出する「社会的感染症」へと局面が変わっていくというのです。

 

そして今、世相は「社会的感染症」が確実に進行し、「分断」に向かいつつある。私の心が晴れないのは、そう感じているからです。

 

先日、旧知の方がSNSで、ワクチンの安全性に疑念を示し、「絶対に接種してはいけません」という強いメッセージを発信しておられました。

私にとって悩ましいのは、ワクチンを「打つべき」「打つべきではない」の二元論となった場合、その根拠に、両者とも「副作用」の有無を挙げていること。

前者が「目立ったものはない」としているのに対して、後者は「健康被害が報告されている」と、全く正反対の「事実」が示されているのです。

 

また私の生活圏の身近にも、「コロナはただの風邪」と公言して憚らない方もおられます。

私自身、コロナを過度に恐れてはいけないとは思っていまが、知見も乏しいため、そこまでの達観はできないし、ましてやそう断言しないのが良識的だと思っていました。

しかし、それまで親しく接していた人と、知らない間に「差異」が生じていたことを見せつけられて、慄然とさせられました。「分断」は、私のすぐ近くまで迫っていたのです。

 


 

 

先日、島根県知事が「現状では、東京オリンピックの開催に反対」、「現状では、東京オリンピックの開催に反対」と表明。Twitterで「♯ 頑張れ島根県知事」がトレンド入りするなど、大きな反響がありました。

それに地元選出の国会議員が苦言を呈されたのは、保守分裂となった先の知事選でのしこりを伺わせるものでした。

 

聖火リレーランナーの内定者の複雑な心情を地方紙が報じていますし、たまたま先日、イベント会社の方とお話しする機会がありましたが、この方が仰るには「各種のイベントが軒並み中止される中で、聖火リレーはイベント会社にとっても貴重な機会だった。知事は飲食店の補償を仰っていたが、こっちだって苦しいのに、こちらに目が向いていない気がする」と吐露しておられました。

 

コロナとオリンピックに関わる課題が、中央と地方という単純な対立構造ではなく、県内の生活者の間にも、分断による無数の「ひび」を入れていることが分かります。

 


 

このような世情になってから、私の脳裏に蘇った情景がありました。

それは、子どもの頃によく読んでいた歴史マンガで描かれた、聖武天皇の姿です。

 

全時代通して20巻ほどあるうちの、なぜか奈良時代の1巻だけが我が家にはあり、私は繰り返しそれを読んでいたのです。私の歴史好きの原点が、この歴史マンガでした。

その中で、聖武天皇の御世のクライマックスとして描かれているのが、奈良東大寺の毘盧遮那仏像(通称、「奈良の大仏」)建立の行跡でした。

 

 

およそ1200年前の建立当時は、権力争いによる社会の分断、地震など多発する天災、そして何より天然痘の大流行によって、未曾有の社会不安の中でした。

 

そんな中、大仏建立を発願した聖武天皇は、その詔の中で次のように述べられています。

「三宝の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。天下の富や権勢を統べる私の力で像を造ることはたやすいが、それでは意味がない。たとえ1本の草、ひとにぎりの土でも協力したいという者がいれば、無条件でそれを認めよ。役人はこのことのために人民から無理やり取り立てたりしてはならない。」(原文を現代語訳して要約)

 

天皇の命によって大仏建立の勧進を担った行基は、元々は貧民救護や・治水・架橋を行なっていました。

また、天皇を支えた光明皇后は、施薬院や悲田院を作って、救療活動の先駆けとも言われています。

大きな社会不安を鎮めるために、権力者と社会活動家と医療従事者、そして民衆がお互いの考え方や立場の違いといった「分断」を超え、共に手を取り合って建立され、国民和合の象徴となったのが「奈良の大仏」だったのではないでしょうか。

 

「感染症」を克服したその先の、目指すべき姿を伝えるため、「奈良の大仏」は1200年以上も人々の前で鎮座し続けている。私はそう受け止めています。(住職 記) 

 

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今朝の新聞に「法要の会食の代わりの『代御膳』」という広告が掲載されていました。

昨年、夏のクラスター騒ぎがひと段落した秋ごろには、法事の後席は回復傾向にありました。

しかし2度目の緊急事態宣言が発令されたのをきっかけに、再び会食を自粛するムードが強まっていました。

そんな中で、地元の飲食店も協力する形でこのような「新しい法要の習慣」が提案されるのも、致し方ない情勢と思われます。

 

今や、すっかりコロナの〝感染源〟扱いされてしまった、「会食」と言う言葉。

 

これまでは、例えばビジネスの交渉を円滑にするための手段であったり、人と人とのコミュニケーションを深めるものとして、むしろ肯定的な意味で捉えられてきました。 

少し前ですが、福岡のカレー屋さんが

「外食がダメなのではなく、食事中の至近距離での会話が感染リスクになることを伝えたい」

と考えて始めた、お客さんに食事中の会話の自粛を求める「黙食」の取り組みが、全国的に支持を得て広がりを見せています。

 

感染症対策を十分に講じた上で「黙食」が浸透することで、萎縮気味の外食消費へのマインドが少しでも回復されるといいのですが・・・。

 

 そして言わずもがなですが、禅寺では何百年も前から、「黙食」が「日常の生活様式」であり続けてきました。 

(「大本山永平寺別院 長谷寺」HPより)

 

 道元禅師は『赴粥飯法』という著作の中で、修行道場での摂食の意義や作法について、事細かにお示しになられておられますが、とにかく食事については、談笑などはご法度であり、「唯だ黙するのみ」と説かれます。 

 そして、食事の時の具体的な作法や所作をいくつも列挙されていますが、その中で、

 ①くしゃみをする時は、必ず手で鼻(口)を覆う。 

 ②口内に食事を運ぶ時、大口を開けてはいけない。

 ③箸や匙に適量を乗せ、それを真っ直ぐに口に運び、食事がこぼれ落ちないようにする。

 ④食べ物を口に含んで話をしてはいけない。 

⑤息を吹きかけて粗熱を取りながら食べてはいけない。 

⑥もし異物が混入していたとしても、それを唾棄してはならない。 

 と、まさに現代での「飛沫拡散防止」に通じる教えを多く示しておられます。

 

何よりも大切なのは、道元禅師の「黙食」が、決して人的なコミュニケーションを減退させるものではないということ。 

 

 

 修行道場は多くの修行僧が生活し、そもそも孤食をできる環境ではありません。 

 「隣の器を見て物欲しそうにしてはいけない」

「果物の種は周りの不快にならないよう器で隠しなさい」

「同じ場所で食事する他の修行僧と、同じ速度で食べるよう気を配りなさい」

「先に食べ終えて、周りが食べ終わるのを急かすように、眺めて待っていてはいけない」

とも説かれています。 

もう一方で『典座教訓』を著されていることからも伺えますが、 道元禅師の教えにおいて食事とは、ただ食べるだけではなく、作ることも給仕することもひっくるめた、仏作仏行が交流する一端かつ全体であり、禅寺の「黙食」は濃密な「会食」の一つの形

もしかしたら、「密」になりがちな修行生活を送る上での智恵なのかもしれません。

 

昨今の「黙食」の取り組みによって、飲食店と消費者、ひいては生産者も含めて互いに気遣い合い、「食」を通じたコロナ禍の寄り添い合いにつながることを、祈念して止みません。

 

 しかし、そうは言ってもこのような作法を窮屈に感じ、食事の時には大いに談笑したいと切望される方もおられるでしょう。 

 これについて、『赴粥飯法』などには示されてはいませんが、実は、実際の修行道場の日暮らしの中から生み出された「生活実態」があります。 

 

 月に数度の安息日や特別な祝いがある時、「黙然」でない食事が許される時があります。

 これらの際、修行道場では麺類が供され(うどんであることが多い)、この時ばかりはみな、競うように盛大に音を立てて麺をすすります。食べ終わると、どこか背徳感のような、呆然とも爽然ともした感覚に満たされます。(下記リンク先参照)

臨済宗ではこれを「ずり出し」と称するようで、なんとも絶妙なネーミングですが、もしかしたらこういったメリハリが、日常の機微を活き活きとさせるために必要なことなのかもしれません。 

 

 外食が難しい今、せめて家で食べる時は、ご家族で「ずり出し」のように賑やかな食卓を囲んでほしいものです。 

 

 ただ逆に独居の方にとっては、今後ますますそのようなメリハリが失われる可能性もあります。 

 

 黙食が、新たに「孤食」による弊害を深めることがないようにするにはどうしたらいいか。コロナ禍の課題は尽きません。

 

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今日は17日です。 願興寺観音講恒規法要が厳修されました。

法要は、宗淵寺の本堂です。23名の講員の方々にお参りして頂きました。

外は氷点下の気温で白い物が降っているような天気でしたが本当にご苦労様でした。

本堂はエアコンやストーブで空調していただいていますので快適でした。

 

 

 

 

 

 いつのも差定により法要の後、方丈様のご説教がありました。

 観音講誌〖どうぎょう〗の発行の件と4月の出雲観音霊場巡拝の件について。

巡拝は予定の通りに開催したいとの事でした。別日に巡拝される方については、申告してシールを頂き巡拝された証とするのは前回と同様との事でした。

 

皆様、お疲れさまでした。合掌拝(願興寺観音講副会長 金本和夫)

 

 

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令和3年最初の新美山願興寺観音講恒規法要が今日17日に厳修されました。
差定の法要は願興寺ではなく今年の初めも宗淵寺の本堂にて行われ、挙経も参拝者は黙読、心読となりました。
読経の後にはご住職のご説教がありました。
 
ご説教は、この1月17日は阪神淡路大震災の日であり、年を数えて26年目となりました。ここにお参りの中には娘さんをその震災で亡くされた方がおいでになります。今日もお供えを戴き行茶で皆様へとの事です。この震災の犠牲者の精霊の菩提の為に全員で黙祷をささげました。
 
また、去年は令和2年であり、コロナ元年と云える年でありました。そして今年は令和3年ですが、コロナ2年とも云えます。去年はコロナ禍に対して手探りの年でありました。今年に入り、よすが(寄す処)としてはワクチンの接種が始まった事でしょうか。大きな期待をしているのですが、精神的にはやはり精神的なモヤモヤが晴れる事はありません。それは、人と人との精神的な繋がりが2極化したのではないのでしょうか。信頼関係が大きくなった人、全く無くなった人。また、個人個人の価値判断の2極化ではないのでしょうか。それに依る人と人との分断があったと思います。
令和3年、コロナ2年はその様な人間関係においての負の現象を取り込み修正していく年ではないのでしょうか。
観音講会長の金本会長より新年の挨拶を戴き法要を終わりました。 合掌
(観音講副会長 金本和夫 拝)

 

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