ベイトキャスティングスタイル遍歴 学生編 | 両軸愛者 ~引金派~

両軸愛者 ~引金派~

I am the bone of my bait casting reel .
――― 体は両軸で出来ている

☆13歳

・バス釣りと出会う。

・初めてのベイトキャスティングリールは友達のお兄ちゃんから借りた丸型リール(雷魚用?)を1投目で再起不能のバックラッシュとなりライン(1000円)を弁償する羽目になるという苦々しいスタートを切る。

・暫くベイトから離れていたが、プロックス?の廉価機(2000円)を購入し、壮絶なバックラッシュとの戦いを繰り返す内に理解が深まり、同時に対処も上手くなる。 

・秋頃に初のメーカー製リールとなるダイワ トライフォースZ153ivをビックバンというディスカウントショップで購入。

・部活の先輩がシマノ 93 スコーピオンXTと98 メタニウムXTを使用していて、この時に初めて遠心ブレーキの存在を知り憧れ、マグと遠心のブレーキの仕組みについて学ぶ。

☆14歳

・人生初となるバスを釣ったのはこの年の海の日である。ルアーはダイワ バスハンターR SSR ブラックバスだった。

・友人からリョービ キャスプロメタルライトを譲って貰った事で、それまで腕でどうにでもなると思っていたけれど、道具の性能差というのを初めて痛感し、上手いやつは皆良い道具を説を唱えるようになる。。

・ベイトキャスティングリールでライトリグを投げる事に没頭し拘る様になる。

・冬からソルトルアーフィッシングに取り組み始める(例のエバ祭り開幕)。

☆15歳

・行きつけのお店の店頭に飾ってあったアンバサダー 5600C 赤ベロ 復刻版に目を奪われて必死に小遣いを貯めて購入した。

・購入時に店長さんがトップやるならPEが良いよと2000円位するPEラインをプレゼントしてくれたのだけど、当時は全く知識が無かったのでナイロンの様に扱い酷い目にあって二度と使わないと誓ったあの日。今思えばこれがベイトに巻いた初PEです。

・ソルトにベイトキャスティングリールを導入。キャスプロメタルライトとトライフォースZ(ロッド)の組み合わせで54cmのエバを掛けるもロッドをバットからぶち曲げられるという事態を受けて頑丈なアンバサダーの導入する事を決めた。金属や樹脂という概念からくる剛性の大切さを知る。

・アブ赤ベロを海水で使用した後にロクに水洗いすらしなかった結果錆びて動かなくなり、この時にリールをメンテナンスする術と大切さを学ぶ。

・エバを掛けた時のタックルでグランダー武蔵のスケルトンミノーにて人生初となる64cmのシーバスを仕留めるも、バスよりも重たいけどエバ程は引かないなと若干ションボリした。

・行きつけのお店の店長さんの粋な計らいでバス釣りに五人乗りのゴムボートが導入され、陸との攻めやキャスティングの違いを肌で感じ、釣り仲間達全員が新たな境地に達する。

・行きつけの店に呼ばれて座って談笑していたらいきなり村田基が入ってきた。風が吹いたらスピナーベイトって生で指導されてからスピナーベイトに目覚め、スコーピオンアンタレスとシャウラに異常な憧れを持つ様になる。

・あの頃のテレビやネットでは絶対に知り得ない大仏様の中身を知ってしまった。お店のドアに五条半の狼シール貼ってました。

☆16歳

・バイトをするようになり、ダイコー アグレシオンとクァンタム エナジーをバイト代で購入(理由はアンタレスに似てたから)。

・野池でハイエンドタックルじゃない奴に人権は無い的な事を言うバサーのアンタレスとシャウラを飛距離で打ち破り、ソルトで飛距離の重要性を感じていたのも相まって飛距離至上主義へ。

・オフセットグリップ+グラスソリッドロッドで丸型リールを載せて、クソ高いバス向けのウッド製のトッププラグでシーバス仕留める人達に出会う。

・その時に初めてウェーディングという物を教えて貰い、ウェーダーがフローターに乗る時だけの履き物ではないと知る。

☆17歳

・必死にアルバイトしてシマノ スコーピオンmgとメガバス デストロイヤー F2-57Xを購入する。

・上記の組み合わせのタックルウエイトに衝撃を受けて軽量化至上主義になる。

・ラインパンパンに巻き過ぎてバックラッシュして半分以上捨ててから釣りを続行したら思いの外ルアーがスムーズに飛ぶ事を偶然発見して、今でいうベイトフィネスの様なスタイルになった(出来るだけ細いラインを少なく巻いて、5g前後のルアーをカバーに並木敏成のマシンガンキャストの様に撃ち込んでいく感じでやってた)。ただし周りからはそれをわざわざベイトリールでやる必要が無いと言われた(有名メーカーのテスターの人にも言われて悲しかった…)

・スコーピオンmgが右巻きだったので、この時に左で投げられる様に練習したんだけど、タックルが軽量だったから身に付けられたんだなと今書いててふと思った。

・アルバイトと進路的な話で中々釣りに行く暇が無くなってきた。

・日南市でバス駆除の条例が決まったとか何とかで、池には監視員が来る様になり、釣ったバスは回収され、その場で叩き付けられて殺されるという暗黒時代の到来。

☆18歳

・進路が定まり釣りを再開したのも束の間、バス釣りを始めた時からの青春の全てが詰まった池が干されてしまった。

・バスは一匹残らずトラックに積み込まれて殺処分され、学校の教室程のスペースになっている池の水には鯉がひしめき合っていて、周りにはおびただしい数の死骸も転がっていて、ヴォォォンという羽音に凄まじい臭気が辺りを漂いニクバエが空を真っ黒に覆う地獄の様な光景は今でも忘れません。

・ダイワ リベルトピクシー オレンジアンバーというリールが発売されるのを知り、調べれば調べる程に自分の中の常識を打ち破る異次元のリールだった。今思えばリベルトピクシーがベイトフィネスの元祖なのかな?

・タックルの総重量という括りだったけど、もしかしてスプール単体の重量が大事なんじゃないかと思い、実験の為にスプールを削ったり、穴開けたりしたけど見事に失敗して、以後は素直にスピニングでやる様になった。

・野池が減った事と殺処分でバスの個体数が減ったからなのか、明らかに食いが渋くなった。

・釣れなくてもルアーを操作したり、動きを見るのが楽しくなってきて、それからトップウォーター の世界にのめり込んで行った。



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