桜の季節だ。

 

桜は、美しい。

 

ただ、男が本当に困った時に、男に優しい女性というのは、

桜と同じくらい美しいものだ。

第一章

 

舞姫は、主人公女性が最後に狂気となる不幸なストーリー

として、知られている。

 

しかしながら、この不幸なストーリーを読んだ後、

もし森鴎外がもう少し長く生きていたら、「続 舞姫」として、

ハッピーエンドのストーリーを書くこともあり得た。

 

そんな空想をしてみた。

 

「舞姫」の登場人物は、若者が多い。

彼ら彼女のような人生は、「作品」を生き物として考察してみると、

特に令和以降の現代社会において、人生全体として、バッドエンドとは、

限らないのではないか。

 

ここで、専門用語を用いるので、一旦解説に入りたい。

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※イエール大学で心理学の講義行ったポールブルーム博士は

フレーミング効果について、オープンコースで学生に講義を近年行った。

フレーミング効果とは、同じことが起きた時の個々の人間の捉え方の

差異のことをさす。

 

例えば、同じ雨が降った日でも、今日は雨降ってラッキーと思う人も

いれば、ああ。雨で憂鬱だ。と思う人もいるわけである。

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ここで、「舞姫」に「フレーミング効果」を使って、本作を見つめ直してみた。

結論から言うと、ハッピーエンドの「現代版続舞姫」を

物書きであるオレの発想から、おこがましいが、着想したのである。

 

つまり、狂気が個性として捉えられるヨーロッパでは、

狂気となった「舞姫」の主人公女性が、手厚いケアを受けて、

幸福に生きられるヨーロッパが、当時もう出来上がっていたのではないか。

オレなりに、そう感じた。

 

さらに、現代社会でもし「舞姫」を書く作家がいたら、社会的糾弾の対象であった

かもしれない、と。

 

舞姫で最後に主人公女性は、狂気という不幸に見舞われたことに

なっているが、本当に狂気となった女性が、現代社会において

生涯不幸かというと、全くそんなことはない。

 

むしろ、狂気というのは、障がい者理解が広く深まりつつある

中で、「個性」として、社会的に確立しつつある令和であって

欲しい。

 

実際に、自由な開放病棟がある川崎市内のt病院では、精神障害、

知的障がい者たちが、自由で幸福な日々を送っている。

 

「舞姫」の物語のシーンでは、ヨーロッパが登場するが、

「ダウン症の歴史」デイヴィッド ライト著〔川崎市立図書館在庫あり】

によると、12世紀くらいのヨーロッパでは、キリスト教会等が、障がい者である

ダウン症患者に手厚いケアをしていた歴史の記述がある。

 

「舞姫」の歴史的ステージは、時代がステップアップしたEU,ロシアである。

 

神奈川県東部総合職業技術校の講義によると、現代ではアメリカ国内では、

障がい者には「機会の平等」が社会的に保障されるとされる。

対して、ヨーロッパでは、「結果の平等」が唱えられている。

 

このように、私見からして、「舞姫」は、単に登場人物の人生全体の

若い時期のほんの一時期を意図的に悲劇として描いた物語に過ぎず、

当時のヨーロッパ社会において、いわゆる「狂気」を持っている女性は、

社会的に温かく受け入れられた傾向にあった。

 

もっと言えば、彼女は、結果として、「狂気という個性」を手に入れた

と極論を述べることも可能である。オレは、そう思う。

 

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2

森鴎外と狂気

 

蔵書を探しても見つからなかったが、昔読んだ本にこうあった。

「素晴らしい作品を書いている作家の心境は、苦しい。」

 

森鴎外が、素晴らしい作品を描いたのは、自明であるが、

彼は苦しかったろう。

 

森鴎外は、結核で亡くなった。

ストレスによるものではないかと察する。

 

某氏は、授業内で、このようなことを

おっしゃった。「心理的バリア」を貼って読まないといけない

とのことである。そうでないと、危険であると警鐘を鳴らしたのだ。

 

一つの作品に触れたら、現実の世界に帰ってくることも大事だと思う。

 

当時の職業訓練校の同期であったI氏は、音楽作品に毎日没頭するオレに、

ジョークで、「どうせ、帰ってくる気ないんだろ。笑」なんて

言ってくれたが、ちゃんと帰って来てるつもりである。

毎日行ってきますけど。笑

 

真面目な話、アメリカの文豪であり、読書の大切さを説いた

ジョナサンフランゼン氏は、著書ハウトゥービーアローンの中で、

こう述べた。

 

「私は、一人になるために、本を読むんです。」

 

また、

 

「本の世界に入って、出て来た後の自分が違う。」とも述べた。

 

1人になる時間は、人生の中で、貴重であり、我々の財産である。

 

でも、必ず、バリアを貼って接して、読後は現実にちゃんと帰って

こよう。と思う今日この頃である。

 

狂気という感情の文学的価値は、高い。

 

ただ、少しでも健康なメンタルヘルスを得るために、

オレは、ちゃんと現実に帰ってくることを大事にしている。

 

 

 

 

 

 

まさに、悲劇だな。という感想である。

 

本著を読むにあたっては、自分と本著の適度な

距離感を保つことを意識して読んだ。

 

どの本だか忘れてしまったが、昔読んだ本にこうあったと思う。

 

「良い作品を書いている筆者の精神状態は、苦しい。」

 

これだけ素晴らしい作品を残して、森鴎外があんな亡くなり方を

したのも、なんとなく理解出来た。

この本を読んで、自分の何がおかしいのか、やっとわかった。

 

どのASDに関する本を読んでも、「こだわり」が強いとしか

書いていない。

 

その「こだわり」というのは、ラーメンの「こだわりの一杯」とは

別義なのだ。

 

つまらないことに執着することを、「こだわり」というのだ。

 

また、自分が疑問に思うことを率直に相手に聞くと、

相手が怒ることもあるのだ。質問する際には、相手の心情を察してから

質問する必要がある。

 

自分の言動が、謙虚になっているかどうか。

これも、常にチェックしないと、上から怒られる。

 

疲れているときに、そっけなくなっていないか。

そんなつもりはないのに、そっけない態度をとって

しまうのも、障害によるものなのである。

 

 

知識を持っているのは、大事なことだ。

 

ただ、黙って聴くスキルも大事だという。

 

聴かれるまで、じっと黙ってると賢く見える

らしい。

 

教養っていうのは、知識プラス論理的思考でなるものだという。

 

この本は、いい会話術が載っている。

 

ただ、中年以降の方には、当たり前のことしか書いていない

印象があるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

こまった。就労移行があるのは、わかっている。

デイケアは、卒業して、次のステップに一人で

取り組むASD,ADHD当事者には、役に立ってくれない本。

 

しかも、治療が本当に行き当たりばったりで、まるで

計画性が感じられないのだ。

 

精神科医って、そんなもんなんだ。

くらいに思った。

 

 

バスケでは、タイムアウトがある。

 

試合がまずい時に、監督が試合を一旦中止させて、

選手を休ませて、チームを盛り上げてメンバーチェンジをして

試合を再開する。

 

三連休初日、パートナーとお別れした。

 

生活に、タイムアウトが必要だった。

 

いろんな人のいろんな意見が聴けた。

 

三連休は、自分を一旦故障者リストに入れた。

 

故障は、思ったほどひどくない。

まだ走れる。

 

チームのマネージャーと喧嘩して、お別れしてしまった。

 

でも、試合は人生ずっと続く。

 

監督の話を聞いて、明日からコートに立つ。

 

ファイト。

 

相手にとって、具体的に何を安心して任せられる自分にどれくらい大きな

価値があるのか。

 

それを明示すること。

 

あとは、失礼の態度を取らない。