二人の牧 ~反省 | 凡三郎の日々

凡三郎の日々

「不惑」から「知命」へ…。さ迷いっぱなしの日々を過ごしてきて、天命を知ることができるんでしょうか?そもそも私に天命なんてものはあるのでしょうか?日々行き当たりばったりです。

この日、彼は三鷹台のCというお店を訪問していた。
心地の良い時間を過ごし、電車に乗る。
どことなくのんびりした風情の車両。
「これからどうしようか…」
彼は考えていた。

彼は、Cをしきりに勧めてくれていた男のことを思い出していた。
「そういえば、あの男は新宿のPも勧めていたようだな…」
彼は携帯を取り出し、情報を仕入れた。
あの男はこう言っていた。
 ・アルバムは修正大
 ・HPの方が本人に近い
 ・事前チェックが肝要
「まあそれほどのこともあるまい…」
彼は深く考えることをやめ、新宿のPを目指した。

Pでは幸いにしてすぐに入店することができた。
但し、すぐに入れる嬢は一人だけだという。
「アルバムを見せてもらいたい…」
彼はその嬢になんとなく見覚えがあった。
以前HPをチェックしたときにこう思っていた。
「この嬢は、ちょっとキツそうだな…」
受付の中姐はたたみかけるように、彼にこの嬢を薦めてくる。
「この子はマッサージ、店で一番上手、オススメ」
「○番は仕事中、他の子も予約が入ってる」
「この子でイイね?」

彼は迷っていた。
アルバムの写真はそれほど見劣りのするものではない。
マッサージが上手いなら、それでもイイだろう。
彼は決断した。
「じゃあ、その子で」
中姐はニヤリ、と笑った。(ような気がした)

さて、対面…。
彼は自分の考えの甘さを悟った。
マッサージ開始…。
彼は自分の考えの甘さをさらに悟った。

彼の背中には、なぜかポール牧が乗っていた。
しきりに「指パッチン」の音が聞こえてくる。
なぜか全然気持ちが良くない…。

密着開始…。
ポール牧の呪いのせいでもなかろうが、分身もまったく反応しない。
延長コールも早々にあったが、当然の回答をして終了する。
帰りに中姐に一言くらいは文句を言って帰ろう、と彼は思っていた。
その願いも一本の電話で妨害される。
「ふっ、ツイてないときはこんなものだな」
やや大きめの音をたてて、彼はドアを閉めた。

彼の背中には、今度はなぜか牧伸二が乗っていた。
彼の耳には牧伸二のあの歌声がリフレインしていた。
「あ~っあ~あ、やんなっちゃった、あんあ~あ、おっどろいった…」

本日の教訓
 ・先輩のアドバイスには素直に耳を傾けること
 ・自分の第一印象を信じること
 ・心地よい施術の後は、ハシゴは慎むこと

あの男さん、こんな記事にご登場いただき、すみませんでした…。

○Wikipediaより引用

ポール牧(ぽーるまき、1941年8月2日 - 2005年4月22日)は、日本のコメディアン、タレント、元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。北海道天塩高等学校卒業(同級生にラッシャー木村がいた)。血液型はB型。
本名は榛澤一道(はんざわ かずみち)。僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
関武志とともにコント・ラッキー7を結成し人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」は、彼が色紙にサインとともによく綴っていた句である。
K-1ファイターであるルスラン・カラエフなどの格闘家をマルプロジムへ連れてきていた。

牧 伸二(まき しんじ、本名:大井守常、1934年9月26日 - )は、牧プロダクションの所属のウクレレ漫談家。東京演芸協会会長。
ハワイアンをアレンジした曲に、「やんなっちゃった」等のフレーズで社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。ギターに持ち替えたこともある。現在ではレゲエやロックンロールにも挑戦している。弟子に牧ひろし、牧正らがいる。

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