凡夫であっても、匹夫ではない。(bonpusouの生き方) | メトロガイド「いい店見つけた」椎名勲の凡夫荘便り
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bonpusouの勝手な解釈である。
❰凡夫❱煩悩と迷いと欲望多き平凡な男。
❰匹夫❱道理をわきまえぬ、卑しい男。

「bonpusou」の名は、「凡夫」に由来する。
なぜ凡夫か?
人間は、1人2人と数えるが、
鳥は、1羽2羽、
虫は、1匹2匹、
動物も基本的に1匹2匹、
と数える。(動物でも牛や犬は1頭2頭、また魚は1尾2尾)
匹は、そーゆー意味である。
匹夫(ひっぷ)とは、虫や動物の如く、道理をわきまえぬ、卑しい男なんだ。
虫けらみたいな存在、と言ってもいいだろう。
「凡夫」は、平易に言えば、凡人の意味である。
親鸞が、自らの坊主頭を見て「愚かなハゲ(愚禿)」と言い、
出家してなお「煩悩と迷いと欲望」の多い己れを省みて「凡夫」と呼んだ。

いつもブログに書いているように、
bonpusouは、見かけは愚かなハゲ、中身は煩悩と迷いと欲望多き凡人だ。
罪深い煩悩人間だ。
とはいえ、凡人になりたい、と思って努力した訳ではない。
戦後の貧しい時代に生まれ育ち、腹を空かせ、ツギの当たった服を着て、もっと豊かな国にしたいと、自分なりに勉強してきた。
まわりには、頭のいい、仕事のできる人たちがたくさんいたから、能力のない、凡才のbonpusouは、人の倍ぐらお時間をかけて(そのためには睡眠時間を削ったヨ!)、一生懸命に勉強や仕事をしてきた。
そーして、何とか凡才の凡人だったけれど、人並みに仕事を続けることができた、と思っている。
回り道でも、ちゃんとした道を歩き、寄り道はしたけど、抜け道は行かなかったヨ。
カメとウサギの競争に例えれば、まさにカメの如くであったけれど、ウサギが途中で居眠りするというのは、作り話だネ。
居眠りせずに、ちゃんと走り続けていたウサギもたくさんいたからね。

しかし、しかし、居眠りしたウサギや、ズルや手抜きして、ウマクやったつもりのカメ(そーゆーのを匹夫と言うんだ!)結果的に、少しだけ前に進んでいたヨ。
凡才の凡人だったし、とりたてて出世しなかったけれどけれども、「匹夫」ではなかったネ。
・・・そー言うと、
ノンナ「残念だったわ! あなたが出世して、お金持ちになれたら、もっといい生活ができたし、ブランド物も買えたし、バーゲンやセールや特売暮らしじゃなかったのに!」

凡夫であることは、自慢でも何でもありはしないし、かといって、卑下することもない、
ごくフツーの人間てことなんで、後ろめたいことは何もない、と思う。
bonpusouは、凡夫であるが、匹夫ではない、と思う。
偉くはないが、卑しくもない。

日常の凡人の楽しみ、上野広小路「うさぎや」のどら焼きを食べながら、
bonpusou「うさぎやのどら焼きは餡が緩く、皮に気泡が縦に並んでいるのが特長だ」
ノンナ「砂糖少なめの品のいい餡と、歯触りのいい皮なんでしょ! ご高説は聞き飽きたわ。ホントに、お金にならない、しょうもないことばかり知ってるんだから!」
嗚呼、我は愚禿凡夫なり。