人間は望んで生まれてきた訳ではないので、

どうやって死ぬかくらい、自分で決めても

いいのではないか、という考え方がある

そうだ。つまり、自殺も自由だろう、という

訳らしい。

私は、学生の頃から、人間は輪廻転生をする

のだろうとずっと思っていた。しかし最近

になつて人間は死んだら無になるのかもし

れない、とも思うようになった。

輪廻転生を頭から信じていた頃は、当然

カルマというものもあるのだろうと思っ

ていた。そして善因善果、悪因悪果という

ものが当然存在するものだと思っていた。

でなければ、とてもやっていられない。とて

もこの世で生きている気になれない。人を

傷つけた者、悪事を働いた者が、表沙汰に

ならなければ、のうのうと生きていける。。

など、とても耐えられない。しかし、そう

思う人間が、後付けで、因果応報という

理屈を考えたのかもしれない。

輪廻転生というものは、人間の幸、不幸を

説明するのに、分かりやすい考え方だと

聞いた事がある。

話は少しかわるが、人間の人生に意味があるか

という問いがある。これは、だいたいの人が

意味があるはずだと思うのかもしれない。特に

今、充実した人生を歩んでいる人はそう思う

だろう。しかし、この人生に意味があると考える

事は、私はかなり昔からしんどかった。

自分の人生に意味をみいだせなかったからだ。

しかし、人生には意味も目的もない、ととなえ

る人がいた。私はそれを聞いて少し安心した。

それで、これからは私もそう考えるように

しようかと思ったが、その、人性に意味はな

いという考え方が、完全には腑に落ちていない

ようだ。自分というものが、全くの偶然の

産物と考える事に抵抗があるのだろうか。

あったとしたらそれは、承認欲求や自己顕示欲

からくるものなのだろうか。

こういった話については、色々な答えを言っ

ている人達がいて、一聴すると、なるほど、

と思わない事もなくはないが、決定的に

納得出来る話は、印象に残っていない。

こういう話をぐちぐち書いていると、現実の

社会に適応出来ている人からは、よく働いて、

よく遊んでいれば、それでいいんだよ、と

言われそうだが。