石坐神社の続きです。
こちらには、三柱の神さまがいらっしゃいます。

 

祓戸社は、葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神さま。

瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の

四神を祓戸大神(祓戸四神)といいます。

 

柳崎社は、柳が崎のことでしょうか。

風光明媚な琵琶湖の岬で、現在は柳が崎湖畔公園となっています。

その昔、社や祓戸があったのかも知れませんね。
 

物部社と言えば、やはり饒速日命でしょうか。
饒速日命と長髄彦の妹、登美夜毘売との間に生まれた宇摩志麻遅命

とともに物部氏の祖神とされています。

 

物部系の神社は、石上神宮とか石切剣箭神社とか、石のイメージ強めです。

シリーズの初回に、治田連が彦坐王を祀った治田神社が草津にある

とお伝えしましたが、そちらにも饒速日命が配祀神としてお祀りされています。

 

開化天皇の母は物部系、彦坐王の母は和珥系。

治田連に関しては、彦坐王の四世孫という情報しかはありません。
なので、御祭神である海津見神と治田連との関係はまったく見えてきません。

どうやら海津見神と関係が深いのは天智天皇のようです。

 

天智八年、その年は旱魃でした。

湖水から御霊殿山に竜燈が飛んでゆくという怪異が連日続き

里人の奏聞により派遣された勅使の前で、竜燈は小童に変じます。
「われは海津見神の幸魂である。旱害を除いてやろう。」

その御託宣の後、天智天皇の勅によって、海津見神は御霊殿山に斎祀されました。