大津プリンスに行く途中、石坐神社に立ち寄りました。

歴史好きには、気になる要素てんこもりの神社です。

 


近江国府初代国造の治田連が、4代前の祖となる彦坐王が葬られた

茶臼山の背後にある御霊殿山を神体山として祀ったのが起源。

壬申の乱後は、密かに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀り

表向きは八大竜王を祀っていました。

 

創祀年代は不詳です。

草津にある治田神社は雄略天皇六年、この地方の開拓者、治田連彦人が

祖神である開化天皇とその皇子、彦座命の神霊を勧請したと伝えられています。
治田連=治田連彦人であれば、創祀年代は5世紀半ばと推察されます。

 

もう少し、情報を整理してみましょう。


 彦座王……開化天皇の第三皇子。生没年不詳。

      めっちゃ子沢山で、長命の可能性あり。

 開化天皇…第9代天皇。実在性については諸説あり。

 崇神天皇…第10代天皇。開化天皇の第三皇子。彦座王の兄。

      実在したとすれば、治世時期は3世紀後半から4世紀前半。

 治田連……彦座王の四世孫。

 神功皇后…彦座王の四世孫。実在したとすれば、4世紀後半。
 応神天皇…第15代天皇。母は神功皇后。

      実在したとすれば4世紀後半から5世紀初頭。

 仁徳天皇…第16代天皇。応神天皇の第四皇子。

      4世紀末から5世紀前半に実在したと見られる。

 雄略天皇…第21代天皇。5世紀半ばに即位。
 

彦坐王が3世紀後半の生まれ、四世孫の治田連が4世紀後半以降の生まれとすれば
石坐神社を創祀したのは、おそらく晩年なのでしょう。

5世紀半ばを創祀とする説は、十分に可能性があるように思います。