1636年、徳川家光が公鋳銭として寛永通宝の製造を開始。
江戸芝、江戸浅草、近江坂本の3か所に銭座を設置しました。


それまでは、渡来銭や私鋳銭が主流でした。
明銭の永楽通宝は、織田信長の旗印としても有名です。


銅銭は海外での人気が高く、この地で作られた「サカモト」は最良種とされ
オランダやポルトガルの商船、日本の朱印船によって大量輸出されました。
その結果、国内は深刻な銅銭不足となります。

寛永通宝普及後は、用済みとなった銭貨を長崎貿易銭として輸出。
輸出禁止のはずの寛永通宝も、実際はかなりの量が流出していたそうです。