七ヶ用水の歴史は古く、平安時代後期に始まったとされています。

鶴来をかなめとする手取川扇状地の水田を潤してきました。

 

富樫、郷、中村、山島、大慶寺、中島、新砂川の7つの用水は

村々に引かれ、流域の農民たちは飲料水として

霊水として、その清らかさを守ってきました。

 

デ・レーケの指導によって建設された煉瓦巻きアーチの給水口。

明治36年、洪水や渇水対策のため、七ヶ用水の取水口を

一つにする大改修が行われました。

 

手取川の豊富な水を利用し、発電所も設けられています。

1年間に起こすことの出来る電気量は約390万kWh。

一般家庭約1,100戸で、1年間に使う電気量に相当します。

 

霊峰白山を源とする手取川は、古来より暴れ川で

氾濫を繰り返しながら、扇状地を形成してゆきました。

7つの用水がそれぞれ取水口を持っていた頃は、融雪期や梅雨時には

洪水に見舞われ、渇水期には水争いが起こっていました。

 

白山に降る雪や雨は手取川ダムや大日川ダムに貯られ

七ヶ用水が一定の水量になるよう、常に調節されています。