大蓮寺を後にして、見立寺へ。
同じく、450年の古刹です。
どちらも、蓮馨寺の末寺です。
やはり観光客は、誰もいません。
訪れたのは、赤穂浪士、矢頭右衛門七の妹のお墓です。
右衛門七は四十七士の中で大石主税に次ぐ若年、わずか17才。
亡き父の遺言で、討ち入りを果たしました。
父の形見の腹巻をつけ、戒名を記した紙片を兜頭巾の裏に収め
刃渡り三尺の長巻をふるって、あっぱれな若武者ぶりを示しました。
右衛門七は、浪士の中に女がいると噂されるほどの美少年で
母と妹3人の世話に、苦難したことでも知られています。
父の初七日を終え、母と妹を預けるつもりで奥州白河へ出立。
しかし、女手形がなく、路銀を使い果たしてしまいます。
結局、同志らが金を出し合い、母と妹は赤穂の知人のもとへ。
討入りの後、世に知られると、親族の矢頭庄左衛門に迎えられ
母と妹はようやく奥州白河へと行くことができました。
長女と次女は親類の多加谷家に嫁ぎ、母もそこで暮らしました。
国替えに伴い前橋へ、さらに川越へ移住。
この墓は次女のもので、川越へ来た翌年、70才で病没しました。


