知恩院の勢至堂からさらに奥に進むと、墓地が広がっていています。
その中に、誰もが知っている歴史上の人物のお墓があります。
宝塔には葵の御紋。
この地に眠るのは家康の孫・千姫です。
豊臣家との政略結婚によって、数奇な運命をたどった女性です。

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実家と嫁ぎ先との戦で、城を焼かれ、夫を亡くします…。
正直、彼女のような境遇なら自分の不幸を嘆き
誰かを恨んでも仕方なかったと思います。
でも、彼女はそうしませんでした。

とても穏かな人柄だったと言われています。
それはそれは美しい姫君で、みんなに好かれていたそうです。
豊臣秀頼と死別後、今度は本多忠刻に嫁ぎましたが
いずれも仲睦まじい夫婦だったようです。
家康、秀忠に可愛がられ、弟の家光とも仲が良かったそうです。

時には人情に篤く、芯の強い女性でした。
秀頼の側室の娘・奈阿姫のため、体を張って命乞いをしたと言われています。
二度目の夫・本多忠刻と死別後は、大奥で大きな権力を持ちました。
娘婿・池田光政の財政ピンチも救ったそうです。

子供の頃はお姫様に憧れましたが、今ではあり得ません。
平凡な人生に感謝です。
人生の荒波を渡りきった千姫の人生に、同じ女性として
手を合わせ、頭を下げます。

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千姫のお墓のすぐ後ろに、昨日ご紹介した濡髪神社があります。
ブログでは童子に化けた白狐さんが登場しましたが
こちらはお稲荷さんではなく、荼枳尼天をお祀りしています。
家康が天下統一の野望を果たすため、力を借りたという神さまです。

もともとは密教の神さまで、強~い力があるとされています。
なんだか怖い神さまという噂もあって、神秘のベールに包まれています。
ただ、荼枳尼天は人を選ばないそうです。
博徒や遊女など被差別階級の信仰を集めました。
祇園の女性から信仰されたのは、そういう理由もあったのかも知れません。
そういう女性たちは、千姫以上の人生の荒波を渡ってきたのでしょうか?

いろんなことを考えていたら、なんだか心の靄が晴れてきました。
もっと強くなりたい、そう願いました。