ネタバレふくみます。
未読の方はお避けください。
蓮見圭一さんの『水曜の朝、午前3時』、五十嵐貴久さんの『For You』と同じように
故人の日記を読みすすめることで、物語が展開していく小説。
3冊とも、日記の書き手も読み手も女性であるのは、男性は感傷の記憶を残したり振り返ったりしないから?
日記に書くほど恋愛ごとがあっていいな!毎日白紙だわ!
前2つは親族の遺したものを若い娘が読むかたちだが、今回の読み手は同年輩の赤の他人。
彼女が興味をもったのは、最期に遺された言葉の意味。
「あいしている もういちどあいたい しんじ」
日記を読み解いて「しんじ」とは誰なのか、を探ろうとする亜希子。
登場人物たちはまったく予想外だったようだけど、私これ、けっこう簡単に思い当ったよ。
だからどちらかというと、律子がなぜ息子を疎み、離れにこもるようになったかが知りたかった。
育児放棄するくらいだから、おそらく常軌を逸したヒステリックな人なのだろうと想像していたけれど、
拾い集めたパズルのピースは、まったく違った人物像を物語っていた。
変人どころかむしろ素直で従順な考え方をする人。
まっすぐゆえに感情的になりやすく、たまに暴走してしまうところがあるのもふくめても、
うちの母とそんなに歳がちがわないのに、ずいぶん古風な女性に見える。
だから、なぜ真一を手放すほど心を壊してしまったのか不思議で。
彼女が最期の言葉を宛てた相手を、その意味を、私がすぐ推測できた理由は、読み進めていくうちにわかった。
ひとから愛されることに自信がなく、人間関係のもろさにおびえて生きている、
かといって完全な人間嫌いにもなれないその屈折を、私も持っているからだ。
私には子供がいないから、距離の取り方の難しさまでは共鳴できなかったけれど。
不仲の親子や、親に愛されなかったという人に対して
「そんなことない!我が子を愛してない親なんていないよ!」と諭そうとする人を見ると
あぁ、この人はじゅうぶんに愛されて育ったんだなぁと素直に感心するし、
一方で、虐待や育児放棄によって幼い子供が死亡する事件のニュースは観たことがないのだろうか、と疑問に思う。
愛情をいっぱい受けて育って、ポジティブで寛容で博愛主義、それはとても素晴らしいこと。でも。
亜希子は律子と友達になりたがっていたけれど、生きているうちに会えても、
律子はすぐに心を開かなかったんじゃないかな。真一が明と距離を置こうとしていたのと同じ理由で。
亜希子の恋愛エピソードも、後半にボリュームをさくのではなくて、もっと中盤から散りばめてくれれば
そんな風には思わなかったかな。同い年の二人なのに、今を生きる人と昔に生きた人のような隔たりを感じる。
自分にとってはただの記録のつもりでも、その日記がひとの人生を大きく変えることもあるのだなぁ。
私のブログなんて、死んだ後に読まれても
「昔もこんなバカなひとがいたんだなぁ」くらいの爪痕しか残せないだろうけども。
大恋愛をしたふうに書いておこうか。
もし子供が生まれて、大人になってから読まれたら大混乱になるような壮大なやつ。
ママとパパの家は敵同士でローマを原チャリで走ったり豪華客船に乗って沈没したりしました、とか。
ウソがバレて、迷惑なババァだなって鼻で笑われそう。まぁ、それもいい人生かも、私らしくて。