水曜の朝、午前三時/蓮見 圭一 | Bon livre –いつか最良の一冊と出会う–


水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)


病床の母から娘へ遺された、4本のテープ。
一世一代の冒険と恋愛が語られた、それもひとつのエンディングノート。

1969年て、いったいどんな年だったの?どうしてそんなに特別なの?
村上龍さんの小説にもあるし、歌詞に使われている音楽もたくさんある。
直美曰く「誰もが見えないものまでも見ようとしていた」時代。
全国総BUMP OF CHICKENてこと?全国総踏切に望遠鏡を担いでったってこと?

この小説のメインである大阪万博が開催された1970年の、
好景気に浮かれる日本のほうが、体験してみたいけどなぁ。

家族と恋バナってする?うちは姉妹でも母子でも、照れくさくて、しない。
姉が今までどんな人と付き合ってきたのかを私は知らないし、
私が週末に誰と遊んでいるかも、誕生日に誰と旅行に行ったのかも母は知らない。

両親の馴れ初めだって、数年前に姉から教えられて知った。

祖母から打ち明けられた、母が“娘”であった時代や、父と“恋人”だった頃の話は、
なんだか聞いてはいけない秘密を知ったような、気恥ずかしくも新鮮なおもしろさ。

だからこんなふうに、赤裸裸に半生を語られたら、きっと戸惑ってしまう。
直美ほどドラマ性のある人生を送ってないとしても。

直美の母は、臼井の印象をこう言う。
「あの人は、もっと話をしていたいと思わせる人だ。そんな人は、いるようでなかなかいない。」
わかる!そうなんですよお母さん!

好みのタイプを聞かれたとき「おもしろい人」と答えるとたいてい、
芸人のようなお調子者だと勘違いされるのだけど、そうじゃない!
“話していて”おもしろい人、なんだよね。そういう人は、めったに見つかるもんじゃないのですよ!

そして友人たちがお勧めする“いい人”と合わない理由は、直美が的確に言ってくれた。

「けれども、好ましいだけの人間なら他にもいるし、前にも書いたように私は別にそういう人が好きなわけではないのです。」

そう、“優しい男性”は、今の時代あふれているのです。優しい人ばっかりです。
カメラ付き携帯が発売された当初は、みんな驚き、欲したものだけれど、
今や数百万画素レベルが搭載されているのが当然になっている、それと同じことです。
好ましい人物である上に、画像加工もSNS接続も出来るようなポテンシャルが欲しいのです。

そうしてようやく見つけた人に、実は秘密があったら。自分の知らない顔があったら。
正直、私は躊躇してしまうかもしれないなぁ。

読み終わってからすこし経ち、この小説のストーリーを忘れても、
「素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい国だと鉛筆で書かれていたよ」
という一文は背筋が寒くなって忘れられなかったな。

水曜の朝、午前三時。だいたいがっつり眠っているので特に記憶がありません。