↓ひ弱なショパンの救世主とも言える、かつての男装の麗人、ジョルジュサンド

ショパンがジョルジュサンドと暮らし始めたころ1839年に完成した、4楽章形式のBMOLLのソナタはソナタ形式に当てはまらないところもあり、謎の多い作品です。


かつてショパンを

“脱帽です。皆様、ここに一人の天才がいます“と褒め称えたロベルトシューマンは、自分の音楽誌にこのソナタについては怪訝な面持ちで、

1分くらいで終わってしまうフィナーレについては”音楽とは言えない” とか、

”ショパンはソナタと名付けてはいるが、Capriccio(形式にとらわれないキャラクターピース)といえるかもしれない。しかしそれでは居場所を見つけられなかった4人の素晴らしい子供たちをくっつけてソナタという名をつけて世に出そうとしたもくろみが見られる”とも書いています。私が単独にこのソナタの第二楽章スケルツォを抜粋したのも、これがひとつの小曲としての個性を放っているからです。


一方で、ベートーヴェンに憧憬のあるショパンは、彼の第12番のソナタを意識していたとも思われます。というのも、形式が似ているから。

ベートーヴェンのこのソナタも4楽章形式で、第二楽章スケルツォのあとに第三楽章葬送行進曲が続きます。


そもそもショパンの単独のスケルツォもベートーヴェン先生のスケルツォのパターンであるトリオを挟む三部形式と3/4拍子のモデルにしているのです。


ただ、ベートーヴェン的なスケルツォ、その意味の通り、ユーモアのある、軽めの箸休め的キャラクターは影を潜め、ショパンのそれはシリアスで重い、そしてトリオの部分が長い。アーテキュレーションや和声的な遊びみたいのはあるのですが、それはおどけではなく可能性の追求のような、技巧的にも要求が高く、笑えないです。


さて、このソナタのメインとも言える第三楽章葬送行進曲についてはまた日を改めて。。。