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この橋は日本語でカレル橋とインプットされてるため、チャールズブリッジとか言われてもピンと来なかった件。

神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世)の治世下に、1357年から1402年にかけて建てられた橋で当時はただの石橋またはプラハ橋だったけど1870年からカレル橋と呼ばれるようになったそうだ。

この皇帝の名に因んでつけられてるから
ドイツ語圏ではカールス・ブリュッケ
英語圏ではチャールズ・ブリッジ
フランス語圏ではポン・シャルル
イタリア語 ポンテ・カルロ
そして。。。。
チェコ語 カルーフ・モスト
固有名詞カレルはモスト (橋)の前につける形容詞化でカルーフになります

このカレル一世というのが非常に優秀な人物で、チェコ人の誇りみたいです。神聖ローマ帝国の帝都としてプラハを繁栄させ、カレル橋、カレル大学などもこの時に建てられています。

何と言ってもこの人の持つ肩書が半端ないです。
まず出生国はチェコだけど7歳から14歳までパリの宮廷でシャルルとして教育を受け、後に
ボヘミア王カレル一世として戴冠し、さらには
ドイツ王カール4世となった。イタリア遠征では
イタリア王カルロ4世として戴冠し、正式に
神聖ローマ皇帝カール4世となる。
最後のブルグント王でもある

さらには仏、独、伊、チェコ語の4か国語を自由に操りラテン語で自伝を書くほどの識者で、彼がパリの大学に倣って立てたカレル大学はドイツ文化圏の最初の大学となった。