人生はあざなえる縄の如し…
お疲れ様です。
雨降りの火曜日です。
webチェックしていて、芸能関係のニュースに何気なく目をやったのですが、そこに上戸彩の兄弟での「貧乏物語」がありまして、ちょいと興味を惹かれてコメント欄まで読んだのです。
で、私自身の昔の話も思い出されまして、ご紹介までと。
<上戸彩>2歳年上の兄がテレビ初出演 納豆一つを家族4人で分けた子供時代 「貧乏でお金がなかった」と振り返る 「しゃべくり007」
俳優で3児の母の上戸彩さんが、6月17日午後9時から放送されるトークバラエティー番組「しゃべくり007」(日本テレビ系)にゲスト出演する。上戸さんの2歳年上の兄も出演する。兄は今回がテレビに初登場。予告動画には、兄の姿や、若いころの2人の写真が映し出されているほか、兄の“暴露”に上戸さんが、「それやめよう」と制する場面もある。
上戸さんは、「東京ドーム40個分」の巨大な敷地に建つ「マンモス団地」出身という。「当時貧乏でお金がなかったので」と幼少期を振り返る。
「納豆1個に卵入れて、かさ増しして家族3~4人で分ける」「友達の誕生日プレゼントに、家にあったビー玉をビニール袋に入れて渡して『こんなのいらない』って言われて、お兄ちゃんと泣いて帰った」などの思い出を語る。
ほかに、上戸さんが兄の恋人から嫉妬され、「お兄ちゃんとしゃべらないで」と手紙をもらったことや、兄が「兄として妹をどう守ればいいのか」と悩み、きょうだいだと周囲にバレないようにした配慮などが明らかになる。
以下、読者投稿コメント
【jrw********】
自分のお誕生日の時に貧乏な友達から、使い古しの銀玉鉄砲プレゼントをもらって、いらないって言ってしまった思い出があります。その後母親から、覚えてないくらい殴られて、あんたは最低な人間や!今すぐ謝って来なさい!って泣きながら、その友達に謝りに行ったほろ苦い思い出があります。その友達は両親がいなくて、祖父母と暮らして居たから、お金あまり持ってなくて、自分の宝物の銀玉鉄砲くれたんです。そんな気持ちがわからなかった小学生低学年の自分でした。悪気なかったとはいえ最低な子供ですよねぇ(泣)。大人になっても忘れられない思い出です
【40代おじさん】
ウチは比較的裕福な家庭だったと思うが、子供の頃に自転車を父に買ってもらった。
嬉しくて調子にのった私は自転車を持っていない友達を家に呼んで、自慢していた。
その時、友達に対してお前は貧乏で買ってもらえない家だから可哀想と笑いながら言ってしまった。
それを聞いていた父が私の自転車を投げ捨て、『何も成していないお前が何故偉そうなんだ?そんなに偉いなら自分の力で自転車を買ってこい!』と怒鳴られた。
温厚な父に怒鳴られたのは後にも先にもその一回だから今でも覚えている。
この記事とは関係ないが、そんな事をふと思い出した。
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「KOBONさんの子どもの頃はどうだったんですか?裕福な方?それとも普通、それとも貧乏な方?」と、尋ねられるなら、どう答えたらいいのかと・・・。
答えは、きっと「その両方です」ということになるかと。
と言いますのは、私は父親を中2で亡くしているのです。
その時父は59歳だったのですが、それまでのウチは「やや裕福」な方だったのです。
というのも、父が「東京ガス」という今では一流企業に勤めていたのです。ただ貧乏な家に生まれた父は尋常小学校卒→夜学で早稲田実業卒→給仕扱いでの入社、というキャリアでしたので、学歴的に出世もできず、最終的には「係長」での定年退職だったのです。退職後は関連企業に嘱託で勤めていたのですが、さすがに東京ガスという会社に勤められていただけに、とりあえず家計的には「ゆとりがある方」「裕福な方」という部類になっていたと思うのです。
なので、小学校の仲間の家(ウチ)に行くと、自分のウチの方がどう見ても何やら「お金持ち風」に見えてくるのでした。というのも、私の世代の子どもたちの世界では、もちろん私よりずっとお金持ちの家の子もチラホラ見かけられたのですが、それでも「アパート住まい」の家の子も多く、自宅に小さいながらも「応接間」があるというウチなど滅多にお目にかかれなかったのです。そういうことで、私は子供の頃から「ウチはちょっと裕福なウチなんだな」という自覚をもっていたのです。
ですが、父親がガンで死んだ後、途端に家計は苦しくなったのです。
おそらく父親の方での遺族年金的なモノはあったのでしょうが、高校生の姉と中学生の私の2人の子を残しての「母子家庭」での家計は、「貧乏」という部類に入らざるを得なくなっていたのです。
日々を食べて行くだけのお金くらいはかろうじてあったようですが、母はもう55歳くらいでしたので、時折頼まれて「家政婦さん」的な臨時の仕事があったようですが、基本的には無職のままだったのでギリギリでの家計だったのです。
そういうことで、中3になる時には明らかに「貧乏家庭」になっていたのです。
高校の3年間も基本貧乏だったのです。そして大学にも行かれないような経済状況だったのです。
大学も、最初は宗教関係の知人から「お金を出してあげるから大学に行きなさい。その後に宗教団体の仕事をしてくれればいいから」という条件で奈良の大学の方に行ったのですが、何やかやあって結局その道から外れ、私は牛乳屋に住み込みで働いて学費をねん出してなんとか卒業したような次第なのです。
そういうことで、「幼少期=裕福」、「青春期=貧乏」、という2つの世界を経験できたのですが、これは私にとってきっと大きな意味のある、うむ、むしろ「宝(たから)」に近い経験ができたと思っているのです。
中学3年生の時、仲間がみんなカッコイイ「バッシュ(ハイカットのバスケットシューズ)」を買ってもらって履いているのを見たとき、そしてそれが私には決して履けない高価なモノに見えたとき、さすがに私は「貧乏の惨めさ」を痛感せざるを得なかったのですが・・・。
それでも、そういう辛さや情けなさを痛感しながらも、私はそういう経験ができたことを「良かった」と思えているのです。
なので、そうですねぇ、貧乏に生まれ付いた人でも、もちろんお金持ちに生まれ付いた人でも、「それでいいのだ」という風に思えているのです。
「王子と乞食」というストーリーがあるのですが、そうですねぇ、、、
もちろん、「無いより有る方がいい」ということなんですが、それでも、「無くてもいいのだ」という風にも思えるのです。
「人生はあざなえる縄の如し」という言葉があるのですが、まことにその通りであろうなと。
いやいや・・・、
人生は、仮に貧乏スタートでも、いいモノなのです・・・。
ご紹介まで。
ではでは。