死ぬとき「貯金ゼロ」の方が幸せになれる、とな?? | KOBONBLOG

死ぬとき「貯金ゼロ」の方が幸せになれる、とな??

おはようございます。

 

今日も予報では穏やかないい陽気になりそうです。

ウチでは今日は「春の墓参り」の予定になっているのです。

 

さて、それはそうと、早起きして2階のデスクに座ってwebチェックしていたのですが、(う~~む…)と唸った記事があったのです。

 

それが、前回ここで書いた「ウチはどないなって行くのやろ・・・」の内容に関わるものでして。

 

前回私は、私が親から引き継いだ「ささやか財産」である我が家の「借地権」という資産をどう扱うかということに言及したのです。

 

そして、現在次のような選択肢があると。

 

①資産を現金化して生きている間に使い切ってしまう(遺産を残さない)

②私たち夫婦が現状維持でこのまま住み続け、死んだら子どもらがサッサと売り払ってそれを3等分して分与して終了にする

③賃貸物件化して新たな資産を生むシステムとして、新規にこの「借地権という資産を有効活用化」する

 

 

もちろんこれ以外にも「第4、第5の選択肢」というアイデアも無いではないのですが。

 

しかしいずれの方策にしても、どれも「一長一短」、「メリット・デメリット相半ば」、「善し悪し両方」ということでありまして、結局「ハイリスク・ハイリターン」、「中リスク・中リターン」、「ロウリスク・ロウリターン」のどれを選ぶかということにしかならないのです。

 

そういうことで、まことに悩ましい話なのです。

 

そういうことで、さすがにサッサと決めて「次、行こう、次!」というようにならないのです。

そういうことで、ここ最近は「とにかく情報を集めないことには始まらない」ということで、色々とプランの検討をし続けているところなのです。

 

今現在は「賃貸物件化」の現実可能性を慎重に見極めているところなのですが、これがまた、良いようで悪いようで・・・。

 

昨夜もミサワホームの方が「是非とも」というようなことで、「このプランで行けますよ」的にえらい勢いであるプランを勧めに来てくれていたのです。

 

いやいやいや・・・

 

 

さて、そんな中、目にした記事が次のような。

 

 

 

 

 

5/24(金)
 「お金はあればあるほどいい。大金持ちはさぞかし幸せに違いない――。」
 昨今の物価高に苦しむ方なら、きっとこう思うこともあるだろう。しかし、どうやら現実はそう単純でないらしい。

『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』という3年以上前に刊行された本が今なお読まれ続け、34万部を超す大ヒットとなっている。タイトルを直訳すると「ゼロで死ね」、つまり死ぬときに貯金は残すな、という意味になる。豊かで幸せな人生のためには、貯金をしていてもダメだというのだ。

 本書を読み解き、その理由に人間の「二つの脳の仕様」が関係していると指摘するのは、ベストセラー作家の橘玲氏だ。これらの脳の仕様により、多すぎる資産は人生を幸福にするどころか、トラブルの原因になるのだという。一体どういうことなのか、橘氏に解説してもらった。

■富裕層の裾野が広がっている
『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』ビル・パーキンス[著]

 世界的に経済格差が拡大し、先進国でも貧困が大きな社会問題になっている。しかしその一方であまり指摘されないのが、新興国を含めて膨大な数の富裕層が誕生していることだ。

 日本が「失われた30年」で停滞しているあいだに、世界の富は大きく膨らんだ。これによって、ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクのような、個人資産30兆円(約2000億ドル)を超える国家に匹敵する富をもつ者が登場したが、これは富のピラミッドの裾野が広がったことも意味している。

 クレディスイスのレポート(2023年)によると、世界には資産100万ドル≒1億5000万円を超えるミリオネアが6000万人もいる。その結果、かつての富裕層の基準はミリオネアだったが、いまや「スーパーリッチ」と呼ばれるのはビリオネア(資産10億ドル≒1500億円)以上だ。

 お金で幸せは買えないとされるが、同時に、お金があれば幸福になれるとも信じられている。これはどちらも正しく、今日の食費や来月の家賃を払えるかもわからない貧困層がまとまった収入を得れば幸福度は大きく上がるだろう。

 しかし、生きものとしての人間が物理的に使えるお金には限界がある(毎日、ミシュランの星付きレストランで食事をしていたら成人病になってしまう)。誰もがお城のような豪邸に住んだり、スーパーカーを乗り回したり、プライベートジェットやクルーザーを保有したいわけではないだろう。こうして富裕層の多くは、世間一般の「ゆたかな生活」をしていても口座にある資産を使い切れないと気づくことになる。

■「口座に放置されているお金をどうとらえるか」が幸福度を左右する
 だったら、そのお金をどうすればいいのだろうか。この疑問に答えたことで、ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』は世界的なベストセラーになった。

 原理的に考えるならば、お金とは国家が紙に印刷した信用状(紙幣)であり、金融機関のサーバーに格納されたデータでしかない。このようなかたちのないものは不安なので、富裕層はお金(紙あるいはデータ)を不動産や金(ゴールド)、あるいは高級ワインのような資産価値のある“モノ”に変えようとする。

 しかしそうやって資産をどんどん増やしていっても、幸福になれるとは限らない。人間の脳は進化の過程で、よいことにも悪いことにもすぐに慣れてしまうよう「設計」されたからだ(経済学ではこれを「限界効用の逓減」として説明する)。

 脳のもうひとつの特徴は、得したときの喜びよりも、損したときの痛みをはるかに大きく感じることだ。これも考えてみれば当たり前で、重大な失敗(果実のなる茂みに近づいたらライオンに襲われた)は脳に刻み込んでおかなくてはならないが、ちょっとした喜び(お腹いっぱい食べられた)にいつまでも満足しているようでは、より大事なこと(たとえば生殖)に努力しなくなってしまうだろう。

 このふたつの“脳の仕様”から、多すぎる富は人生を幸福にするよりも、トラブルの原因になる。

 宝くじで数億円を当てた幸運なひとたちを追跡調査したアメリカの研究では、最初は幸福度が大きく上がったものの、やがてもとの水準に戻るか、逆に不幸になることがわかった。友人や親族がおこぼれに預かろうと集まってきて人間関係が破綻し、孤独になってしまうからだという。

 同じくアメリカの超富裕層を調べたレポートは、スーパーリッチたちが富によって面倒に巻き込まれていると感じていることを明らかにした。莫大な資産を管理するためにひとを雇うと、こんどはその管理者を管理しなければならない。恵まれすぎた子どもたちは努力する意味を見つけられず、どうすれば自分のアイデンティティを確立できるか迷ってしまう。

■使い道のない金は“ムダ”である
 ウォール街のトレーダーとして成功し、ヘッジファンドのマネージャーを務めるパーキンスは、この矛盾に早くから気づき、「使い切れない富をもつ者は、どうすれば幸福になれるか」を考えるようになった。

 ここで「使い切れない」というのは、数百億円、数千億円の資産のことではない。日本人(大卒男性)の生涯収入は3億から4億円(退職金や定年後再雇用の収入は含まない)で、これで結婚して子どもを育て、マイホームを購入し、老後のための貯蓄をしている。そう考えれば、(むろん個人差はあるものの)数千万円、数億円の金融資産でもほとんどのひとは死ぬまでに使い切れないだろう。 

 伝統的な社会では、もっとも大事なのは「イエ」の繁栄で、資産を子どもや孫に継承することが「幸せ」とされた。儒教では祖先を祀る者がいなくなると、魂は天に昇ることができず永遠にさまよう。だが現代社会ではこうした宗教観は薄れ、子どもには生前贈与で必要な額を渡せばいいと考えるひとが増えてきた。

 パーキンスの本が共感を呼んだのは、「使い道のないお金は無意味だ」という、誰もがうすうす感じていながら口に出すのをはばかられていた真実を明快に述べたからだ。

 パーキンスは、「お金は生きているうちに有効に使い、死ぬときにはゼロになっているのがもっとも有意義な人生だ」と語りかける。「ゼロで死ね」という主張は欧米の文化では異質なものかもしれないが、「諸行無常」や「すべては空である」という仏教の教えが社会に根づいた日本人には慣れ親しんだもので、だからこそ広く受け入れられたのだろう。<了>

[レビュアー]橘玲(作家)
1959(昭和34)年生まれ。作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部超のベストセラーに。『永遠の旅行者』は第19回山本周五郎賞候補となり、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞を受賞。2022年刊行の『バカと無知』も20万部を突破と、次々にベストセラーを生み出している。
協力:ダイヤモンド社 ダイヤモンド社

 

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と、いうことでありまして、私が最初に挙げた、「死ぬまでに現金化して使い果たす」というような方向を後押ししてくれるような話だったのです。

 

いやいやいや・・・。

 

この話も大いに参考になる記事ではあったなぁと。

 

 

ほんまに、「老後」、「遺産」、「お金」、「生きがい」、「人生」、「家族」、「家系」、などなど、

 

総合的に考えて決めて行かないといけない事案なのです。

 

 

 

いやいやいや、

 

ほんまに、

 

今ある借地権という何がしかの資産を、売り払って現金化して、それを私たち夫婦の「老後資金」として手元に置き、そして後はその資金で死ぬまでにそれを使い切って「資産ゼロ」にして死んで行く、というスタイルも、アリと言っちゃアリだよなと・・・。

 

 

 

ご紹介まで。

 

ではでは。