はてさて日本も我が家も、どないなって行くのやろ…の件 | KOBONBLOG

はてさて日本も我が家も、どないなって行くのやろ…の件

おはようございます。

 

今朝は曇り空ですが、この後は「晴れ後、曇り」の予報なのです。

いずれにしても穏やかで、暑くもなく寒くもなくのいい陽気のようです。

 

 

さて、昨日はキリン氏とランチ会をして来たのですが、氏からは「知り合いの話」として興味深い「人生模様」の話を色々聞いてきたのです。

 

(昨日は大井町駅前の「鎌倉パスタ」(イタリアン)と「サンマルクカフェ」にて)

 

 

大井町駅前

 

鎌倉パスタ店

 

サンマルク2階席

 

 

で、キリンさんから聞いて来た話ですが、こういう・・・。

 

何やら氏のご近所さんで、老夫婦が相次いでお亡くなりになり、その土地の相続を巡っての揉めゴト問題ですとか、会社関係での同期の友人さんの、岡山のご実家でご両親がお亡くなりになった後での、その残された土地をどうするか問題ですとか、色々と。

 

 

 

いやいやいや、老人大国になったこの日本では、全国各地で「親が亡くなった後での、その住居(土地、家屋)をどうするか問題」が、凄い勢いで大問題化しつつあるということなのです。

 

私の姪っ子のところでも似たような話があるのです。(姪っ子といってももう60歳になるのですが)

姪っ子は鹿児島生まれなのですが、その姪の旦那が鹿児島県人なのです。

姪っ子は鹿児島生まれ(私の兄がかつて鹿児島に居住していた関係)でして、高校まで鹿児島に住んでいたことから、東京に出て来た後で「鹿児島県人会」という場でその旦那さんと知り合ったという経緯です。

 

さて、そんなことで、姪っ子夫婦はずっと横浜に住んでいるのですが、その旦那さんのご実家のご両親がお亡くなりになっているのです(もう10年以上も前ですが、ほぼ相前後して80代くらいで)。

 

そしましたら、ご実家をどうするか問題が生じまして。その旦那さんの弟さんも東京の方に出てきていたのですが、兄弟ともに「もう鹿児島には帰らない」つもりでいたようなのです。

 

で、残されたご実家をどうするかだったのですが、実は姪っ子の旦那さんが、勤めていた会社の関係で「早期退職」が実現したようなのです。それだとえらい有利な条件で退職金が支払われるという。

 

で、「じゃあそうするか」となったようでして、それで「じゃあ今後どうしようか?」という話になった時、元々の地元である鹿児島の友人が経営している酒造会社(芋焼酎)から「ウチに来てくれないか」というオファーがあったらしく、「それはいいな」ということになりまして、なんと、鹿児島に単身赴任で帰郷するようになったのでした。

 

横浜の家は「奥さん(姪っ子)&2人の子ども」が住まいまして、もう50歳前後の旦那一人が単身赴任で鹿児島の実家に住まうということになったのです。それで2か月とか3か月ごとに旦那が帰って来て関係は変わらずに「家族をしている」という。

 

聞けば、まぁ、「そういう有り方もあるんだねぇ・・・」と納得するのです。

 

 

で、それと似たような話ももう一つ。

 

それは私の奈良の友人の佐賀利氏なんですが、氏のお兄さんの話なのです。

(サガリ氏70歳、お兄さん73歳)

 

サガリ氏は広島生まれ広島育ちでありまして、高校まで広島の「大竹」なる僻地で暮らしていたとか。

 

それでお兄さんも大学から奈良の方に来ておりまして、就職も奈良の中学校の体育教師として定年まで勤めていたのです。

 

で、サガリ氏兄弟のご両親が広島の田舎でお亡くなりになりました。

で、ご実家をどうするかと。

 

で、サガリ氏兄が、定年を機に「オレ、広島に帰るわ」となりまして、それまで長く住んでいた大阪の家を奥さんとお子さんに任せたまま、ご実家に単身赴任的に戻って暮らし始めたという。

 

広島のご実家は田舎にありまして、近くに長くご尊父が勤めていたゴルフコースがあったりしまして、ゴルフ大好き人間であるサガリ氏兄にとっては、定年後がもう丸まる「ゴルフ三昧」の毎日となっているという。

 

そしてそのお兄さんの奥さんですが、「今さら広島の田舎に住みたくもないです」ということで、ずっと大阪住まいを続けているという。

 

で、結局もう10年以上もそういう別居暮らしを継続中という。

 

さて、キリン氏ご友人の「岡山が実家」のお方ですが、その人も「オレも岡山に帰ろうかな」と思ったらしいのですが、やはり奥さんが「私は行きたくないわ」となったようでして、その件はオジャンになったとか。

 

 

 

と、いうことでありまして、東京や大阪などの大都市には「田舎から出てきて暮らしているサラリーマン」がめちゃ多いのです。

 

そしてそういう人たちのご両親が、今、続々と田舎でお亡くなりになり始めているのです。

そうしますと途端に「実家をどうする?」問題が生じて来る訳なのです。

 

で、中には「じゃあ帰ろう」となる人もいるでしょうが、それはおそらくは少数派でして、多くは「今さら帰ってもすることないし」となる訳でして、結局その家や土地を売却するようなことになるのです。

 

そして、中には「空き家」になってしまうケースも多々あるような。

 

そういうことで、これからの日本は、東京でも田舎でも、この「空き家問題」がおそらく大問題化することは間違いなかろうと推測されるのです。

 

いやいやいや、日本全国で、団塊世代(私もその最後の世代ですが)がどんどん鬼籍に入るようになる今後10年~20年という時代が、果たしてどんな風になって行くのか、それはもう「見モノ」以外の何ものでもないという。

 

 

で、何を隠そうこの「我が家」(KOBON家)にしましても、大田区のこの「我が家」という今の住まいが、「財産といえばささやかな財産」になる訳でありまして、これを児孫にどう受け渡して行くのか行かないのか、が、問題と言えば問題にもなるのです。(これはかつて私自身が兄と姉とに遺産分けするという問題が生じていたのですが、それが今度は私の子ども世代に引き継がれることになる訳なのです)

 

つまりは、①「私の代で土地を売り払って現金化して使い果たす=遺産を残さない」というスタイルと、②「このまま借地権にしたままで、私たち夫婦がそのままに死んで、死んだ後で借地権を売り払って現金化して兄弟3人で分ける」スタイルと、③「借地権を買い取って所有権化して、そこに賃貸住宅を作って30年以上を継続して住み続ける→私たち親世代が死んだらどうするか?=そん時に考える=問題先送り、というスタイル」にする、というような案が生じる訳なのです。

 

 

いやいやいや、現状では机上の空論レベルで色々に考えられるのですが、実際には「これしかとれないでしょう」的に必然としてどれかの案が浮上してくるのでしょう。

 

が、現時点ではそのどれもが全て「一長一短」でありまして、「それがいい!」というような名案などある訳ないのです。

 

言うなら、どの案をとっても、「進も地獄、退くも地獄」=「どれをとってもダメじゃん!」的な行く末なのです。

 

いやいやいや、なんじゃらホイ、・・・なのです。

 

 

 

いやいやいやいや、「日本」も、「KOBON家」も、まったく行く末が思いやられる状況であると。

 

(どないなって行くのやろ・・・)、と。

 

 

さて、ほんまに世の中は、日本は、世界は、そして我が家も、果たしてどないに転がって行くのでしょうか・・・。

 

単純に、「見モノです」と。

 

 

ご紹介まで。

 

ではでは。

 

 

 

 

【ご参考】

たまたま今しがた見かけた記事ですが・・・

 

 

 

 

う~~む、

 

さもありなんと。