色々と難題が多い件 | KOBONBLOG

色々と難題が多い件

おはようございます。

 

穏やかなイイ陽気になっています。

 

さて、私の方ここ数日あることにかかり切りになっておりまして忙しかったことと、あまりご紹介したい記事にも出会わなかったことでブログ更新が止まっておりました。

 

で、今朝はちょいと気になった記事を見かけましたのでご紹介したいと。

 

 

 

 

池田信夫@ikedanob

 






メガソーラー、あかんです、これは・・・。
この「ソーラー発電案件」では東京都が小池都政でなおさらに「今後建築する住宅にはソーラー設置を義務付ける」などとやっているのが、笑えるというか悲劇というか・・・。

 

いや、ソーラー自体はいいのですが、「補助金システム」があかんでしょうと。


(しかし私は個人としてはこのシステムを糾弾できないのですが・・・)
(いやいやいや・・・)




 

 

(2024.05.14)
外国人育成就労法案の問題点
バイデン大統領発言
自民党政治改革案ほか
【出演】
岸 博幸 慶應義塾大学教授
原 英史 (株)政策工房代表取締役




原英史氏と岸博幸氏の対談なのですが、お二人ともきちんとした議論です。

外国人労働者の受け入れ「是か非か」という問題は難しい問題ですので、私も一概にどうこう言えないのですが、それにしても肝心の「政治家」がどうしようもないことには慨嘆を禁じ得ないのです。

この件では、野党がダメなのは元々にしても、責任ある政党であるべき自民党がヘロヘロであることに衝撃を受けるのです。

以前のLGBT法案にしてもそうですが、自民党は確かに大きく劣化しているのでしょう・・・。

政党政治がダメなのはもう明白であるのに、どうして「政界そのもの」もマスコミも言論人もみな、そのダメさを追及しようとしないのか、それこそがむしろ不思議なことなのです。




◆デイリー新潮◆

<後編>

(2024年05月13日)
■「ムラ社会の“安心”」
 前編「アメリカでは「テクノ・リバタリアン」が台頭も…日本の起業家がシリコンバレーでチャレンジしない意外な理由」で橘氏は「日本は近代社会のふりをした身分制社会だ」と指摘した。
 「それを象徴しているのが日本語です。日本語の複雑な尊敬語や謙譲語では、相手との関係を決めないと正しい言葉が定まらない。相手が自分より目上か目下か、あるいは内(自身が所属する会社などの共同体の中の人)か外かを瞬時に判断し、言葉遣いを変えなくてはなりません。ネットには『敬語警察』のような人がたくさんいて、ビジネスマナーの名の下に、ルールに反した言葉遣いを検閲しています。こうして、どんなときも自分と相手の『身分』を気にする思考が日本人の中に埋め込まれたのでしょう」(橘氏、以下同)

 これが日本特有のムラ社会を形成する源泉でもある。

「日本の思想は右も左もコミュニタリアン(共同体主義者)ばかりですよね。アメリカではリバタリアニズムのルーツとされる作家のアイン・ランドの著書がベストセラーになったり、ミルトン・フリードマンやフリードリッヒ・ハイエクといった市場自由主義の経済学が大きな影響力を持っていますが、日本ではほんの一部で議論されているだけです。
 『リベラル』を自称するメディアや知識人ですら差別を容認していることがよくわかるのが日本的雇用で、とりわけ非正規で働くひとたちの存在です。リベラリズムの大原則は、人種や性別、性的指向などの属性による差別を禁じることですが、日本の会社では正社員と非正規という属性によって、同じ仕事でも賃金が異なるばかりか、有給や家族手当、社宅などの福利厚生にも大きなちがいがあります。しかし、これまでこの差別はまったく問題にされなかった。
 同一労働同一賃金を徹底させて正規と非正規の区別をなくすには働き方を改革するしかありませんが、そう主張すると『ネオリベ』とか『グローバリスト』とかのレッテルが貼られ、“日本人を幸福にしてきた日本的雇用を破壊するな”とバッシングされます。リベラルなはずの労働組合が、正社員の既得権を守るために、率先して身分差別を擁護しているのが日本社会のグロテスクな現実です」
<以下略>

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「共同体主義」VS「個人主義」

それは言葉を換えれば「利他主義」VS「利己主義」との対立とも言えるのです。

しかしそう言うといかにも「利他主義の方が正義だ」的なニュアンスになって、「利己主義ダメじゃん。だからやっぱり日本的利他主義=共同体主義の方がイイのだ」という風に受け止められやすいのです。

しかし私はそう言いたい訳でなく、そもそも人間には「利己的部分」と「利他的部分」が相半ばして「共存している」ということを言いたいのです。

つまり、人は「食べなければ死ぬ」のです。
もし自分が食べずに他者にすべて与えるなら、それはその人が死んでしまうことを意味するのです。
究極的には、利己主義を捨て去って利他主義を貫くことは不可能なのです。
それは人は「不本意かもしれないが利己主義的に生きる」ことを不可避的に受け入れるしかないことを意味しているのです。それは端的には「利己主義の容認」なのです。

そういうことで、コミュタリアンにもリバタリアンにもそれぞれの「良さと悪さ」、まさに「よしあし」があるということを言いたかったのです。

いずれにしても橘玲氏のグッジョブには感心するのです。

 

 

 

さて、5月はどうも何かと忙しい事情になっているのです。

 

そして今しがた、私は歯医者に行って歯を抜いてきたのです。

 

この「歯のケア」問題も大変です。

 

私は若い頃からの「歯のケア」をないがしろにしてきたツケを今、払わされているのです。

 

若い世代がきちんと歯のケアをしていることに感心するのです。

 

それでも、私の父親世代の歯のヒドイ状態(みんな総入れ歯)に比べれば、私たち世代はまだマシになっているのですが。

 

いやいや、時代は進んでいるのですねと。

 

 

 

ご紹介まで。

 

&、頑張りまっしょい。

 

 

ではでは。