ナワリヌイ氏は「英雄」か、それとも・・・ | KOBONBLOG

ナワリヌイ氏は「英雄」か、それとも・・・

おはようございます。

 

今はちょいと曇りがちで、今日はえらい寒い一日になりそうな東京です。

 

はてさて朝のルーティンのwebチェックをしていたのですが、ご紹介したい記事がありまして。

 

 

1つ目はこれなのですが、

 

 

 

2024年3月2日

 

 

 

いやいや、この件については少し前に、その死因についてここでも書いたのですが、なかなか興味深い事件ではあったのです。

で、日本でのこの件(死因)についての報道ぶりなのですが、やはり当然の如くに「プーチンがやった」という説が主流派になっているように感じられるのです。

もちろんそうかもしれないですので、それについては私も断定できないのですが、それでも、「ナワリヌイ氏をどう捉えるか」という点では、少しく異議を唱えたい気分なのです。

 

果たして氏は「本物の抵抗運動の英雄」なのか、それとも「作られた偽物の小さな人物」、でしかないのかということで。

 

 

ご紹介したい動画があるのです。

モスクワ在住のニキータ氏の解説動画なのですが、これにナワリヌイ氏に関してのとてもディープな情報が語られているのです。もちろん、この動画の内容すべてを「真実だ」と断定することは如何なものか、となるのでしょうが、私には(かなり真実に近い話なのでなかろうか…)と思えているのです。

 

 

 

 

(2024年2月29日、22分56秒)

 

 

 

いやいやいや、まず奥さんのユリア夫人(ユリヤ・ナワリナヤ、Yulia Navalnaya)が、そもそもいかがわしい女史であるという。

そもそも「不倫をしている」、

そもそも刑務所に一度も面会に行っていない、

そもそも「ナワリヌイ氏の母親に認められていない」、

そもそも「ナワリヌイ氏の名声を利用して自分のビジネスにしようとしている」

 

そしてナワリヌイ氏自身の「人物像」ですが、氏の若い時からの人生行路を子細に調べてみると、ずいぶんイイカゲンな人物であるということが分かると。

そもそも何度も「有罪判決」を受けている、色々な事案で、しかし執行猶予付きですが、

そもそも確固とした政治理念や高い理想があった訳でもない、

ひょっとすると西側の情報機関(CIAやNI6など)のエージェントだったかもしれない、

 

 

などというマイナス事情が多くあるのです。

そしてニキータ氏は、「ナワリヌイ氏は西側に利用され、そして見放されて殺された」のだろうと推測するのです。

ニキータ氏は、氏を暗殺したのはプーチン氏ではなく西側情報機関であろうという見解です。

 

そしてユリア夫人の「出来過ぎたワシントン訪問、ミュンヘン会談飛び入り参加」などなどの政治的パフォーマンス。

これについては「シナリオが出来ていたとしか思えない」というニキータ氏の見解も、それなりに説得力のある話なのです。

つまりは、「バイデン政権がナワリヌイ氏を利用した」というシナリオです。

 

 

いやいや、ほんまに、昨日の話の続きでないですが、まさにニキータ氏は「クレムリン情報ピラミッド」の代表選手のような感じでありまして、鈴木宗男氏がその「政治家版代表」だとするなら、ニキータ氏はその「ユーチューバー版代表」となるでしょうか。

 

そういう基本構図を踏まえた上で、こういう情報を受けるなら、西側(米英情報ピラミッド)の中にいる私たち庶民にとっても、それはそれで意味のあることであろうと思われるのです。

 

いずれにしても、現時点ではまだ「ナワリヌイ氏の歴史的評価」については正確に評価できないところなのですが、少なくとも、決して「抵抗運動の英雄」という見方で終わらせてはいけないのだろうと。つまりは「留保付き」で、そうであるかもしれないというくらいにしておくことが望ましいのだろうと、そう思われるのです。

 

 

 

2つめの話ですが、それはトランプ氏絡みの話でして。

 

先日次のニュースが入っていたのです。

 

 

 

 

2/29(木)
(CNN) トランプ前米大統領が資産価値の水増しを巡る民事訴訟で米ニューヨーク州の裁判所に命じられた4億5400万ドル(約680億円)の支払いについて、州控訴裁の判事は28日、全額を工面しなくてはならないとする判断を下した。
<以下略>

 

(2024年2月17日)

 

 

 

私はこれについては、(へ~、そうなんだぁ・・・、それにしても巨額過ぎないか・・・)というくらいの受け止めでありまして、特段に「そうだそうだ」とも、「そりゃ可哀そう過ぎるだろう」とも思わず、「まぁ、仕方ないのかもね」くらいの受け止めでいたのです。

 

ですが、今朝になって次の増田氏の寄稿記事を読みまして、さすが、(そうか、そういうことだったのか、そりゃあかんなぁ・・・)となったのです。

 

 

 

◆アゴラ◆

(増田 悦佐、2024.03.01)
[…前略]
■トランプ巨額罰金判決の意味
 しかし、私はニューヨーク州最高裁のアーサー・エンゴロン判事が、ひたすら「トランプを破綻させるためにできるだけ巨額の罰金判決を出す」と開廷以前から心に決めていたような訴訟指揮をして、結局3億5000万ドルを超える罰金刑を言い渡したことで事態は一変したと考えています。

 


 この件では、異常事態が続出しました。まず、正邪を決する刑事訴訟ではなく、妥協点を見出す民事訴訟で「トランプが自社資産の担保価値を多少多めに算定して銀行融資を取り付けたことが犯罪要件を構成する」という主張が、まったくの無理筋です。
 しかも、銀行はやや担保価値を低く査定して融資を実行して、その融資はきちんと元利返済を受けているので、だれひとり被害を受けたわけではありません。
 しかも、これを強引に立件したニューヨーク州のレティーシャ・ジェームズ検事総長は、訴訟が始まる前から堂々と「エンゴロン判事は私の味方だから、トランプに有罪判決を下すに決まっている」と公言していたのです。
 ほんの少しでも裁判の公正さを尊重する判事なら、この段階でもう「告発者を変えなければ訴訟を始められない」と宣言すべき原告側の逸脱行為です。
 ところが、エンゴロン判事は原告側の主張をほぼ丸呑みし、被告側には訊問に答える権利すら与えないというでたらめな訴訟指揮をした末に、トランプ憎しの感情だけに突き動かされた審理をして、当人は喜びを隠しきれずに笑いながら判決を下したのです。
 おそらく一流大学のロー・スクールを優秀な成績で卒業した人なのでしょうが、自分の判決がどれほど多くのニューヨークで仕事をする企業家たちに恐怖を与えたかなどはまったくわからない、愚鈍な人なのでしょう。
 おまけに慌ててダメージコントロールにしゃしゃり出てきたニューヨーク州のキャシー・ホウクル知事は「ビジネスマンの方々、ご自分も巨額の罰金を払わされるかもしれないと怯える必要はまったくありません。ニューヨーク州でビジネスをしてはいけないのは、トランプのような悪党だけですから」と言って火に油を注ぐ始末です。
 司法権力や行政権力を握っている人たちのお気に召さなければ、身代が吹っ飛ぶほどの罰金を科されたり、何年か事業経営をできないという罰を受けるところで健全な企業活動が成立するわけがないことがまったくわかっていないようです。
 これは、ニューヨークが世界最大級のオフィス市場として生き延びられるか、それとも脱落していくかを決する重大な試練です。
[…以下略…]

 

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どうもアメリカの司法は、きわめてイイカゲン、きわめて信頼度の低い、そしてきわめて「政治的に左右に大きく揺れる」ものとしてある、ということを痛感させられるのです。

 

韓国の司法もずいぶんヒドイものでありまして(いや、それを言うなら日本の司法もそういう傾向にあることはあるのですが)、どうもダメだよねと思われるのですが、アメリカの司法も似たようなことであることが知れるのです。

 

いやいやいや、トランプ氏ならずとも、「そりゃあかんやろ~!!」と声をあげて異を唱えたくもなるだろうと。

 

そしてなんと、実はそれが「地裁レベル」でなく「連邦最高裁レベル」でも同じ構図だとか。

 

もう「三権分立」など画餅の話になっているということなのです。

 

世界政治、国際政治においては「法の正義」などが全然機能していない、つまりは「国際法など絵に描いた餅レベル」であるということと、もう本当に同じようなもんであるということになっているのだと。

 

 

いやいやいや、世界は遅れているのです、本当に・・・。

 

そして一人日本だけが、そういう「パワーこそ正義の世界」の中で、ナイーブに「国連を大事にしなければ!」とか、「核は廃絶しなければ!」とか、「国際法を守ることこそ大正義」とか、「国際法を守らない指導者は処罰するべき、よってプーチンを法廷に引きずり出せ」とか、「三権分立は守られるべき、それを守らない韓国もアメリカもバカだ」とかいう風に、主張しているという構図でしょうか。

(もちろん、かくいう私自身がそういう認識でついこの前までいたのですが・・・)

 

 

いやいや、世界は遅れているのです、ほんまに・・・、

そして私自身も遅れているのです、きっと、今でも・・・

 

私自身が、藤原かずえ女史や池田信夫氏という優れた知性に向かって、「あなた、そこは違うんでないですか?」と偉そうに批判しているのですが、私自身などはもう、はぁ、誤りだらけ、間違いだらけの「へぼ知性」なのです、きっと。

 

 

 

いずれにしても、進歩が大事と思うのです。

 

私もここ数年でずいぶんその認識が変わって行ったのです。それはイイこであるよと。

 

 

てなことを朝から考えていたということで。

 

ご紹介まで。

 

ではでは。