クレムリン情報ピラミッド&米英情報ピラミッド | KOBONBLOG

クレムリン情報ピラミッド&米英情報ピラミッド

お疲れ様です。

 

今日はだいぶ暖かくて有り難いのです。

何やら4月初旬の気温だとか。

 

それで午前中、多摩川土手にウォーキングで行ったのですが、何やら「菜の花」が咲いているのです。

 

 

左手に見えるのが川向こうの武蔵小杉の高層ビル群で、右手のビルは大田区側でのマンションです。

そしてこの菜の花はスーパー堤防なる新しい堤防上に、どなたかが色々と季節の花を植えて楽しませてくれている一画なのです。

 

いや、この花を見るなら、(こりゃもう春だよなぁ~)という気分になるのです。

そして今日はもう確かに3月1日なのです。

 

 

で、私の方はここ数日はノンストレスで気分よく日々を過ごさせてもらっているのですが、ウォーキング中にイヤフォンでYouTube動画での色々な話を聞いていますと、(う~~む・・・)となるような話にも出会うのです。

 

今日はここ最近視聴している「ニキータ伝」というモスクワ在住の邦人の方の情報サイトの番組を聞いていたのです。

まさにその方が仰る「ラジオ感覚で聴いて下さい」という感じで。

 

 

で、今日は昨年の12月に発信していた過去動画だったのですが、何やら「ウクライナ政府が新たに兵士の動員をかけている」という話題です。

 

このニキータさんはもう明らかに「親ロシア」のスタンスでありまして、プーチン氏支持、そして圧倒的に「反ゼレンスキー」という立場を鮮明にしているのです。

 

しかし私は本当に(面白いなぁ~)と感じているのです。

 

何をか?

 

ということですが、それが「プロバガンダ」ということなのです。

 

上念司氏(おそらく日本のメインストリームでしょうが、つまりは上念氏がその右代表という)などは明らかに「反プーチン、反ロシア、親ウクライナ、親ゼレンスキー」でしょう。そして逆に及川幸久氏やこのニキータ氏、あるいは鈴木宗男氏などは逆に「親プーチン、親ロシア、反ウクライナ、反ゼレンスキー」になるという。

 

お互いがお互いの立場で発信しているのですが、そのそれぞれの立場からは、相手の発言が「~~のプロバガンダをそのまま流している」という風に見えてくるということなのです。

 

「プロバガンダ」・・・

 

私などはこれまでその言葉の意味は、「特定の政府政権にとって都合の良い情報だけをさも本当、真実そうに発信すること、情報操作の一つ」という風に理解していたのです。

そしてそれは私にとって、常に「東側=共産主義諸国」がそれをするものとして受け止められていたのです。

 

しかし、今になって私は決してそれが東側諸国だけがするのでなく、なんと、民主主義を標榜する西側先進諸国でさえするものなのだということを知り、少々(笑えるなぁ・・・)という感じになっているのです。

 

上念氏が、「宗男さん、それヨクナイですよ、それロシアのプロバガンダをそのまま垂れ流しているだけですよ」として、鈴木宗男氏を批判するのですが、私にはその批判が実は上念氏にもブーメランになって刺さっているんじゃないかと、そう思えてくるのです。

 

 

私はこれまで基本的に「西側自由民主主義諸国の価値観を正しい」ものとして認識して、そして逆に「東側共産主義諸国の価値観や考え方」をバカにして来ていたのです。(今では「東側」でなく「権威主義諸国、独裁制諸国」ということですが)

 

なので、東側はプロバガンダを一生懸命発信しているが、西側は決してそんなことはないという風に思っていたのです。

ですが、ここにきて、(実は西側諸国にしてもほぼ同様な構図になっていたのでないか・・・)と思えてきたのです。

 

「クレムリン情報ピラミッド」、「米英情報ピラミッド」。

 

この2つの言葉は気鋭の評論家、北野公伯氏の造語なのですが、イイ言葉です。

 

つまりは、「ロシアやその衛星国の国民はクレムリン発の情報によってコントロールされており。同様に西側諸国の国民はアメリやイギリス発の情報によってコントロールされている」という意味で、そういう「意図的に国民を洗脳するかのように情報コントロールする主体と、それに支配されている世界」をピラミッド構図に例えているのです。

 

 

私はその言葉ををもうずいぶん前(5,6年ほど前)に北野氏の著作を読んで知ってはいたのです。ですが、どうもイマイチ自分たちが暮らしている「米英情報ピラミッド」については、それがピンと来ていなかったのです。つまりは、今のような明確な(そういうことだったのか・・・)という危機感を感じずに、言葉だけでのこととして理解していたのです。

 

しかし、今年になって改めて色々な、様々なYouTube動画を視聴することによって得られた知見によって、本当に私たち日本人や、あるいはヨーロッパの人たちも、実はロシア国民が「操作された情報によって洗脳されている」ということだけでなく、私たち西側先進諸国の国民もその多くが、実は「アメリカの民主党リベラル派によって支配されている大手マスコミ(メインストリーム)発の非常に偏った情報だけをシャワーのように浴びており、結果的にロシア国民と同じような洗脳状態になっている」のだということに、ようやく気が付いたということなのです。

 

 

いやいやいや、私はこれまで「東側」をバカにしていたのです。それは「共産主義」であるが故にバカにしていたのです。

そして冷戦構造の中で、東側(代表ソ連)が西側諸国にも「共産主義革命を輸出しようとしている」という事実から、それに対して(ふざけるな!)という強い反感を有していたのです。そしてスターリンや毛沢東などを軽蔑していたのです。

 

しかし、1990年代のソ連崩壊からの数十年の間、実はゴルバチョフやプーチンに率いられたロシアは、それまでの「革命の輸出」のような恰好での、「西側にケンカを売る」ような真似は放棄していたのです。それゆえに「冷戦構造の崩壊」という図が出来上がっていたのです。むしろプーチン氏などは「自分たちも西側の仲間に入れてもらえる・・・」とナイーブにも信じていたのです。

 

ですが、アメリカとイギリスはそういうロシア政権の本質を見ようとせず、むしろ自分たちの経済的利得の観点から、ロシアをさらに「弱体化させる」方向でこれを戦略的に眺めていたのです。(アメリカ民主党系ネオコン主流派の思考)

それこそが「今のヒドイ現実」をもたらした根源的誤りだったと思われるのですが、そういう「戦略的思考」に基づいて、バイデン政権の「対ロシア戦略」が構築されてきているのです。

それの帰結が今次の「ロシアによるウクライナ侵攻」というバカな振る舞いを呼び込んでしまっているという。

 

いや、話が逸れましたが、そういうことで、今や「ロシアを公平冷静に眺める」という図が、米英情報ピラミッドの中に暮らす我々には出来ないようになっているのです。

 

そしてまた、鈴木宗男氏などのように、これまでずっと「親ロシア」のスタンスでいた人たちや、あるいはクレムリン情報ピラミッドの中に長く暮らしたニキータ氏においては、ロシアをどう見るかというとき、むしろ「愛しすぎて過度に贔屓目に見てしまう」というマイナスまで有してしまっているのです。(それはまぁ、ある程度は仕方ない面もあるのですが・・・)

 

 

いや、とにかく「プロバガンダ」というのなら、それはロシアや中国などの権威主義諸国にだけあるものでなく、何のことはない、西側、私たち自由民主主義諸国においてさえ、普通にあるものなのだということなのです。

 

上念氏においては、ニキータ氏や鈴木宗男氏などが「ロシアのプロバガンダを垂れ流している」とい図に見えているのですが、ニキータ氏にしてみれば、「上念氏こそ米・英のプロパガンダを信じ込んで垂れ流しているのでないですか?」となるのです。

 

いやいやいや、どちらも真実であろうなと・・・。

 

 

 

 

(2023/12/20、25分16秒)
 

 

 

 

はてさて、フランスではマクロン大統領までもが「ウクライナへのNATO軍の派兵も否定されない」などという発言をされたとかで。

 

ヨーロッパ諸国はなかなかシビアな状況に置かれているようですが、それもこれも「この戦争は決してロシアを勝たせてはいけない」というドグマに凝り固まっているが故と思われるのです。

 

それが違うと・・・。

 

 

てなことでありまして、「世界をどう見るか」という時、私たちはどうしてもこれまでの「既成の価値観」&「米英情報ピラミッドからの情報」の中からしか見ようとしない、考えようとしないのですが、どうも「世界には異なった価値観と文化の国がある」という観点を欠いたままそれをしてしまいがちなようです。

 

確かに「共産主義は最低」だったのですが、プーチンロシアがその最低のスタンスのままでいることはなかったのです。

 

プーチンロシアとプーチン氏を、「領土欲の塊で、己の歴史観に酔いしれているバカな独裁者」というだけの見方で見ている限り、実はそれでは上念氏のように「ざまみろ、プーチン!」と言うしかないような偏った見方にしかならないのです。

 

私は上念氏と伊藤貫氏の「プーチン観」の比較でいうなら、それはもう大人と子どもの違いのような大きく深い違いを感じるのです。

 

つまりは、西側諸国で当たり前のように語られている「バカなプーチン、愚かなプーチン、狂ったかプーチン?」という2年前の単純なプーチン観こそが、誤りであったと思うのです。

 

そんな公平公正な第三者的スタンスでこのウクライナ戦争を、改めて眺め返さなければならないのだと、そう思っているのです。

 

 

いやいやいや、予想外に長くなってしまいましたが、そんなことを考えながら歩いていたのです。

 

ご紹介まで。

 

ではでは・・・