「正義の実現」という件 | KOBONBLOG

「正義の実現」という件

お疲れ様です。

 

今日はもう2月11日です。

「一月行く、二月逃げる、三月去る」などという言葉もあるそうなのですが、確かに年初の3ヵ月は飛ぶが如くであります。

 

予報では晴れとありましたが、どうも曇り空になっています。

それはそうと、3日ほど前から私の方、「下痢」がしばしば起こっておりましてえらい目に遭っています。

大ごとではなく、何やら「過敏性腸炎」というようなことらしいのですが、今朝も4時過ぎに便意を催して行けば下痢。

5時過ぎにも再び便意を催して行けば下痢。そして7時にもという。

これが3日前にも同じように起こっておりまして・・・。

いや、おそらく大したことなく収まって行くだろうと楽観はしているのですが。

 

さて、それはそうと、藤原かずえ女史のエックスを読みに行きましたら、何やら過去記事紹介というようなことで、「善と正義」なるテーマで書かれた一文が紹介されておりまして。クリックして読めばこれがなかなか大したものでありまして、感服したのです。いつもながら素晴らしいです、藤原かずえ女史。

 

 

 

 

◆アゴラ◆
~藤原かずえのメディア・リテラシー)

(2023年1月31日)
人間がその行動の目的とする観念として【善 good】及び【正義 justice】があります。この2つの概念はしばしば混同されて使われていますが、実際には明確に異なる概念です。【リベラリズム=自由主義 liberalism】という考え方とともに説明していきます。



「善」とは、古くはゾロアスター教で認識されていた概念であり、ソクラテスによって哲学的に認識され、プラトンによって哲学的に展開され、アリストテレスによって哲学的に体系化されました。アリストテレスの「善」に関わる著作群は息子のニコマコスによって編纂されて後世に伝えられています。これが伝統的な【倫理学 ethics】の書として知られている『ニコマコス倫理学 Nicomachean ethics』です。

アリストテレスによれば、【善(アガトン) good】とは「万物が希求する目的」であり、あらゆる善のうち最上のもの(最高善)が【幸福(エウダイモニア) happiness】であるとされています。その希求目的は、後の研究者によって【友愛(フィリア) friendship】の概念に見られる「有用なもの」「善きもの」「快適なもの」に分類されます。トマス・アクィナスの研究者の山本芳久氏は、これらをそれぞれ有用的善・道徳的善・快楽的善と呼んでいます。
<以下略>

 

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それでですが、私は前回ここで「プーチン氏インタビュー」のことを紹介した際、国際的メインストリームの認識である「ウクライナ正義、ロシア悪というスタンス」ということで、藤原かずえ女史もこの立場であるようで、というように書いていたのです。

 

で、今朝ほどこの「善と正義」の一文を読みまして、改めてこの「ウクライナ戦争をどう見るか」ということについて書いておきたいと思った次第なのです。

 

まず私は藤原女史のこの「善と正義」についての論考には、もろ手を挙げて大賛成、大いに同意なのです。素晴らしい論考であるよと。

 

で、ただ、ちょいと藤原女史のこの「ウクライナ戦争」の見方について、少々疑問がある訳でして、その点どうなのだろうと思っているのです。

 

果たして女史は「ウクライナ戦争はウクライナが勝利するまで継続すべし」とお考えになっているのだろうか、という。

あるいは、女史は「ウクライナはロシアを打ち負かす可能性がある」とお考えになっているのだろうか、という。

 

私はこの点では「ウクライナがロシアを負かす可能性はゼロである。よって無駄に戦争継続すべきでなく、早く停戦すべき、そのためには領土の何がしかをロシアに獲られることも甘受すべき」と考えているのです。

 

さらに言えば、もしウクライナをしてロシアに勝利させたいのなら、それを最初から目指しているなら、西側(NATO諸国)は断固として全面的にウクライナに肩入れして本格的にロシアと戦うことを決意しなければならないと。それをしないでただ、武器や資金を供与するだけではロシアを打ち負かすことなどできるはずがないと。

 

つまり、「ウクライナに正義があり、ロシアが悪であり、よってロシアに領土などを奪われることがあってはならない」、「力による領土変更など断固許してはならない」というスタンスを、それを大正義とするなら、そしてそれを実現しようとするなら、西側はそういう決断をしなければならないだろうと。

 

それをしないでただウクライナに武器と資金を送り続けても、それでは決してロシアをウクライナ領土から「完全撤退させる」ことなどできはしないだろうと思われるのです。

そうならいたずらにウクライナ人兵士の命を失い続け、国土が荒廃するままに何年もこの状況を続けなければならないことになるだろうと。

 

 

このウクライナ戦争の「正義」は、それはもう誰の目にも明らかにウクライナにあるのです。プーチン氏は大きな誤りを犯したのです、最初から。非はロシアに在りなのです。私もそれは否定するつもりはないのです。

 

なので、「正義の実現」のためには、確かにロシアに完全撤退してもらうより他にないのです。

しかし、それは理想論であって、現実論ではないのです。

 

そういう現状を見るとき、私にはどうしても早急な停戦こそ採るべき道であるとしか思えないのです。

 

果たして西側メインストリーム派(=ウクライナを負かしてはいけない派、あるいは対ロシア勝利を目指す派)はそこらをどう考えているのだろうかと訝しむのです。

 

岸田氏がウクライナや西側諸国に向けて、「日本はこれからもずっとウクライナ支援を続けます!」と宣言することは、確かに日本が西側諸国の一員であるが故に、とらざるを得ないスタンスであるということは分かるのです。

 

しかし、果たしてそれは「大局」なのか「小局」なのか、という疑問があるのです。

戦略的勝利と戦術的勝利は異なるという観点から。

 

 

 

さて、「善と正義」の話からするなら、今回のロシアの振る舞いは明らかに「悪」でありまして、「正義」を守るという立場からはロシアを制裁するという道が採るべき道である、とはなるのです。

 

ですが問題は、現実的にロシアを懲らしめ、ロシアの非道なる振る舞いを抑止することができないという点にあるのです。

もし抑止しようと思うなら、前述したように「対ロシア大戦争」を決意する必要が生じるのです。

しかし誰もそんなことまでは望んでいないのです。

そしてそれができないので、理想的な「正義を実現する」ことができないのです。

 

それなら、次善の策としてとるべきは、これまでのようにウクライナにだけ戦いを押し付けて、それで武器の供与と資金提供だけをして、それで泥沼のような戦争を延々と継続させることを甘受することなのかというなら、それは違うだろうと。

 

次善の策は、やはり早期停戦しかないだろうにと。

 

もし、もし仮にウクライナ国民自身が、「いや、我々はロシアが撤退するまで戦い続けることを選択するのだ。若者がいなくなってもいいのだ。領土は一ミリたりとも奪われてはならないのだ!」と、あたかも玉砕覚悟のように戦意を昂揚させて「戦争継続を求める!」というのなら、それならもう仕方ないことになるのかもしれないのです。

 

しかし、果たしてウクライナ国民は戦争勃発当初のそういう「勢い」を今でももち得ているのでしょうか・・・。

 

果たしてウクライナ国民は今でも「西側がもっともっと武器と資金を提供してくれるなら、ロシアを追い出すことができるのだ!」と信じているのでしょうか・・・。なら、もうしょうがないのかもしれないのですが・・・。

 

そして西側諸国なのですが、果たして国家首脳たちもまた、そういう考え方でいるのでしょうか、ウクライナ国民と同じように。

 

ひょっとするとアメリカとイギリスの首脳部はそう考えているのかもしれないのですが。(あるいは、ウクライナが勝てるなど思ってもいないが、それでも「ロシアをこれ以上に疲弊させることが目的」ということなら、現状維持でもOKという風に考えているのかもしれないのですが)

 

米・英はともかく、仏・独やその他諸国はもうそういう不毛な戦争継続には後ろ向きなのでないかと推測するのです。

 

ただ、肝心のウクライナ大統領ゼレンスキー氏が今でも延々と「支援の継続こそあんた方の義務だろう!」として西側に支援を要請しているので、それを「違う!」という風に積極的に否定することもできず、やむなく「しょうがない・・・」という格好で支援を約束しているに過ぎないだろうと推測されるのです。

 

 

もし、本当にウクライナが今までの戦争の延長、継続でロシアを撤退に追い込めると思っている人がいるなら、どういう了見でそういう予想が成り立つのか教えて欲しいくらいなのです・・・。

 

肝心要の「ウクライナ軍兵士のなり手がいない、若者不足、兵隊不足」ということが現実であると聞こえてきているのですから・・・。それとも西側諸国から「兵士」をも送るというのでしょうか。

 

 

そういうことでありまして、藤原かずえ女史は果たして「(理想論としての)正義の実現」と「(現実論としての)パワーポリティクスの現実」との乖離を、どうお考えになっているのだろうかと、ちょいと疑問なのですが・・・、どうなのでしょうか。

 

 

それからもう一つ、「正義」というものをどう捉えるかということについても、考えなければならない点がもう一点あるように思うのです。

 

それが、「なぜ悪を為すのか」という話なのですが、それはまたいずれと・・・。

 

 

いやいや、長くなりましたが、そんな風に考えているのです・・・。

 

 

ご紹介まで。

 

ではでは。

 

 

 

【おまけ】

 

 

 

いやいやいや、もう考えられない数字が並んでいるのです。

 

どう考えても「こんなことオカシイ」と・・・・。

 

一体全体、「世界に金が溢れている」のかと・・・、

 

そして方や、貧困にあえぐ人々が何億人もいるという・・・

 

 

どないなっとんねん!