「時代の変化」と「事の本質」 | KOBONBLOG

「時代の変化」と「事の本質」

おはようございます。

昨日は曇り空でずいぶん寒い一日だったのですが、今日は快晴です。
気温も最高10℃ということで、2月初旬としては平均的な陽気のようです。


さて、先日ここで「バレる時代」という表題を付けた一文を書いたのですが、今思うとその表題はちょっと違うなと思えてきまして。

より正確には、「男女関係の倫理観がきわめて厳しく見られる時代」ということかと。

それは狭い意味では、日本も欧米の「MeToo運動」のように、「私も性被害を受けた!」と事後になって告発する女性が続々と現れて来ているという事象となるのですが、広い意味では“男女間の倫理観”がより厳しく要求されるようになったということでもあるのでしょう。

いずれにしても私は時代の変化が著しいということに驚くのです。


恋人も「一夫一婦」、二股などもっての他として断罪されるのです。

夫婦も「一夫一婦」、不倫などしようものなら、バレたら大変なことになるのです。

男の若者(若くなくても)たちのいわゆる「女遊び」など、それ自体が言葉として「✖」マークを付けられるような勢いです。

かろうじて、風俗店へ行くのまでは許されると。
しかし、松本人志氏のように、素人の女子衆(おなごしゅう)を相手にそういうことを遊びとしてやろうとするなら、それはもう「絶対許されない」ということになると。ことさら「著名人では」。

う~~む・・・、

「風俗店(玄人女性相手)での遊び」なら許されても「素人女性相手の遊び」は厳禁という・・・。

・・・、

(いや、分からんでもないような・・・)



いずれにしても、「女性との色恋関係、お遊び関係」というものが、きわめて「不寛容」な時代になってきたということなのでしょう。

それは女性視点では「善きかな!」ということなのでしょうか・・・。

(おそらくそうなのでしょう・・・)

ですが男視点では、「なんと息苦しいことよ・・・」というような、「不寛容過ぎるだろう・・・」ということになるのでしょうか・・・。


さて、それを、そういう時代であるとして、この事態を改めて「それでいいのか?」という風に見直したい気分でもあるのです。


う~~む・・・、

今でも、今日ただ今でも、ソープランドはあるのです、風俗店はたくさんあるのです、そしてラブホテルも林立しているのです・・・。

男たちは、玄人も素人も見境なく「女遊び(異性交遊)」をしたいのです、衝動に駆られているのです。

その「強烈な性衝動」をコントロールできずに無理やりにでも我意を通そうとするなら、それはもう「レイプ」というような明瞭な性犯罪になってしまうのでして、そういう男もいくぶんはいるのです。

普通の男たちは、かろうじてその性衝動をコントロールして、彼女さんのいない男たちはしょうがない、風俗店なりに行くしかないのです。

なので、大昔から、売春なり赤線なり風俗なりという「商売」が成り立ち来たっているのです。
今でも新宿のナントカ公園には、夜な夜な「タチンボ」なる名前で呼ばれる、玄人か素人か分からない女性たちが集まっているのです。


う~~む・・・、

そういう女性たちを相手にしているなら、男女間の性倫理なる問題も「ノープロブレム」として許容されているのです、今日でも。

ただ、「著名人」、「有名人」がそれをするとなると、やはりそれもまた不評、悪評の対象として笑いモノにされたり、問題視されることは間違いないのでしょう。

やはり松本人志氏は、素人女性相手でなく、玄人女性を相手に「女遊び」をしていたとしても、バラされて不愉快な思いを享受しなければならなかったかもしれないのです。(政治家の木原ナニガシ氏と同じように・・・)

それはもはや「有名税」のような不可避なハンデということになるのでしょうか・・・。

同じことを「土建屋の社長」がしていても世間は何も言わないのですが、それを「大学教授」や「政治家」や「芸能人」がするとするなら、世間はそれを「笑いモノ」にしたがるのでしょう。


ムムム・・・、

「性衝動」・・・、

ほんまに厄介な男の「性(さが)」です。

何やら老人ホームでも、施設での大きな問題の一つが「老人同士の性問題」であるとか聞いているのです。

70代のご老人が、女性を求めて問題を起こしているのです・・・。

(いやいやいや、なんだそりゃ・・・)



(※)「老人ホーム 性トラブル」でググれば、色々と・・・



それにしても「男」っちゅう生き物は、厄介な本能をもって生まれついているものだなぁと・・・。


ただ、まぁ、いずれにしても、松本人志氏案件ではないですが、どんなケースであれ、「双方が十分に納得しての遊び」なら、誰も後になってそれを告発するなどという厄介な事案にしようとは思わないのでしょう。

誰であれ、その時点で「相手に何らかの不満やら不利益を与えている」からこそ、それが後に問題になってバラされて問題になるという。

むしろその時点で、男が女性の方に(素人さんであれ)、法外なタクシー代なりを手渡していれば、感謝されこそすれ恨みは買わないのでないかと思われるのです。

それを「タクシー代、はい3000円で」とかケチるような真似をされるなら、「何よそれ!」と。



はてさて渦中の伊東選手のケースはどうなっているのでしょうか・・・。

真相はもう藪の中で私も推測のしようがないのですが、あまり泥沼のトンデモない結末にならないことを祈るのです。



いや、それにしても、時代が変わって来ているなと。

もちろん、「どんどんバレる時代」には違いないのですが、それ以上に「男女関係の倫理観」が、どんどん「潔癖」、「不寛容」、「厳しいモノ」になりつつあるのだなと。


そしておそらくそれには、「イイ面」と「悪い面」との両方があって、「厳しくて良い面」と「厳しくて悪い面」、同時に「ユルくて良い面」と「ユルくて悪い面」がり、結局それもまた「トレードオフの関係」にあるので、一概にどうこう言えないものであるだろうなと、そう思われるのです。

ユル過ぎるのもダメだし、キツ過ぎるのもダメで、ほどよい中庸というものが、いつの時代にも求められるのだろうなと。



結論、

そういう問題とは別に、松本人志氏案件でも、伊東選手案件でも、やはり問題は「男の側が自分たちに都合のいいように動いて、それで女性の方を十分にリスペクトして扱わず、満足させて幸せな気分にしていなかった」という事実の一点において、それはダメ事案になっていたのだと、そういうことであろうな。

仮に松本氏や伊東選手が、ホテルに行って女性たちと性交渉をもつようなことが事実であったにしても、それ自体は本来何ら問題ではないのです。双方、両者がそれを「十分に善きコト」として納得して満足して別れているならです。

そうであるなら、女性たちが後になって告発するなどという挙に出ることはなかったであろうと思われるのです。

それが逆に、女性の側に大きな不満や不快、あるいは恐怖などというマイナスのことがらを与えてしまっていたことに、問題があったのだと。



そういうことで、確かに時代は大きく変わってきていて、「男の都合で女性が不利を受け入れざるを得ない時代」から、「女性の人権がきちんと守られる時代」になりつつあるという、そういう面では「良き流れ」ではあるのでしょう。

そういうことかと・・・。



てなことを考えていたのです。

ご紹介まで。


ではでは。


【PS】
(ただ、私はそういうこととは別として、イスラム教圏の「一夫多妻システム」は、良いものであると、そう思っているのです。持論なのですが、なかなか理解を得られないのです・・・)

(それが許容されるなら、天皇家の男系継続問題も解決されるだろうにと・・・)