「GOAT」&「デュアル」、などなど・・・
藤原かずえ@kazue_fgeewara
憲法改正・防衛費増額・中国名指し批判など、あっけにとられる大正論を忽然と言っちゃうGOATがまたなんか言ってます(笑)。虚をつかれながらも必死に我に返って質問する記者を次々と返り討ちして、さらに放心させてしまっている無敵の癒し空間は本当に草すぎです(笑)https://t.co/3roozyvvik
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) January 18, 2024
藤原かずえ@kazue_fgeewara
お疲れ様です。
寒い一日です。
能登の復興がどうにもなかなか大変なようで、この寒波も被災地の方々にはキツイことになっているかと・・・。
さて、私の方、今日は授業が1コマキャンセルになりまして、ずいぶん楽な日になっているのです。
午前中、ゆっくりwebチェックしていたのですが、藤原かずえ女史のエックスに上記の一文があったのです。
で、ちょいとご紹介したく思いまして。
ここに出てくる「GOAT」って何やねん?と思ったのです。
で、ちょいとググってみたのですが、どうも次のように使われる言葉とか。
“GOAT”は動物の「ヤギ」を意味しますが、日常会話では“Greatest Of All Time”の略として使われており、「史上最高の」を意味します。会話では“He is the GOAT!”のように使われます。
(へ~、そうなんだぁ、知らなんだぁ・・・)と。
藤原女史は岸田首相のことを「GOAT」と言っているのですが、もちろんそれは冗談めかした言辞でありまして、決して「安倍首相を超える偉大な宰相」などという大真面目なこととして言っている訳ではないのです。
ですが、言外には(意外にも結構やるじゃん・・・)的なニュアンスも込められているようにも感じるのです。つまりは「全面的に嫌みな皮肉」ではなく。
いやいや、私も決して岸田首相を「侮ったり」「過小評価」するつもりはないのですが、それでも「おぅ!スゲェじゃん!」というようなことで「大したもんだ」という風には買っていないのです。
ですが、それでも、史上最低支持率をマークするほど実質的にダメ首相であるとまでは思っていないのです。
なので藤原女史のこの「GOAT」呼称が意味深的に印象付けられたということなのです。
それにしても藤原かずえ女史のエックスと池田信夫氏のエックスとをチェックするだけで、世の中のメインストリームの話題は過不足なく情報として入手することができるのです。
そしてそれは私にとって「単なる情報」というだけでなく、「価値観も含めての正しい見方」という部分も含んでいるのです。
もちろん、藤原女史にしても池田氏にしても、「全て」においてパーフェクトに正しい意見、見解、認識をもっている訳でなく、そこここには私も疑問符を付ける点もあるにはあるのです。ですが、おそらく、非常に高い確率で両氏の見解は「だいたい正しい」と思われるのです。
なので私はこの両人の知見、意見をこそ最大級に尊重し評価しているのです。
もちろん、池田氏などには「人を軽侮して不必要に感情を逆なでする言辞を吐く」クセがありまして、「そりゃあかんです」としてご忠言したいところなのでありますが。
そういえば話は替わるのですが、池田氏のエックスに、雑誌『WILL』があからさまに「親飯山陽女史、反池内恵氏」のスタンスを鮮明にしたことについての言及があったのです。
さすがに私も「それはあかんでっせ」として『WILL』には批判的に見ているのです。
池田信夫@ikedanob
WiLLも一線を超えたね。日本保守党にコミットしたあたりからおかしくなったが、今度はいかりちゃんの味方になって暴力の教唆。読者も後期高齢者の末期で認知症になり、それにアピールするように過激路線に走る。 https://t.co/JcCPwSQNgZ
— 池田信夫 (@ikedanob) January 23, 2024
う~~む、保守言論人界隈も、この「飯山vs池内」論争には少々振り回され気味なことでありまして、少々ゲンナリするのです。
さて、ご紹介ついでにもう1本、ウィーン在住の長谷川良氏のブログを。
◆ウィーン発『コンフィデンシャル』◆
(長谷川良、2024年01月19日)
・・・シンプルに表現すれば、人間は程度の差こそあれ良い思い(善)と悪い思い(悪)という矛盾した性向を抱えている。その人間が作る創造物はそれを反映して、同じようにデュアル・ユース的存在となる。AIの未来も同様だろう。「善いAI」と「悪いAI」の登場だ。人間の矛盾する性向がどこから起因するか、その原因について解明しない限り、人類の発展はあり得ないし、戦争・紛争も解決できない。・・・
<以下略>
***************************
ここで長谷川氏が「デュアル・ユース的存在」なる言葉を使っていることに興味を惹かれまして、こちらもちょいとググってみたのです。
デュアルユース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デュアルユースとは、民生と軍事の両目的に使用できるテクノロジー、又は民間企業の技術の中で防衛用途に活用できる先進技術。軍民両用(技術)、デュアルユース・テクノロジーとも呼ばれる。
(ふ~~む・・・、さよか・・・)と。
いやいや、私がこの「デュアル」に(ん?)と思ったのも、私自身がプロフィールに「ネオデュアリズム」なる言葉を使っているからなのです。
「デュアリズム」なる言葉も、おそらく大方の人にとっては耳慣れない言葉だろうと思われるのですが、哲学用語的には「二元論」の英語が「dualism」になるのです。
そんなことで、「デュアル」なる言葉には少々思い入れがありまして。
そしてまた最後のフレーズの中身につきましても、「人間の矛盾する性向がどこから起因するか、その原因について解明しない限り、人類の発展はあり得ないし、戦争・紛争も解決できない」というフレーズには触発されざるを得ないのです。
(仰る通りです・・・)と。
そして、今、私は『善と悪とのパラドックス』なる本を読んでいるのですが、その本では、まさにこの「善」と「悪」との由来する根源について研究しているのです。
同時に、私は自らの「ネオデュアリズム思想」の中にも、その根源を見出すヒントを見ているのです。
単なる「善悪二元論」というゾロアスター教的二元論からでなく・・・
ご紹介まで。
ではでは。
【ご参考】
『善と悪のパラドックス』
~ヒトの進化と<自己家畜化>の歴史~
第8章 処刑
[…略…]
死刑の目的は、国家と小規模社会では幾分ことなる。 国家では、死刑が支配者に反抗する個人を排除するのに役立つことが多い。そのため、特に権力構造が不安定な国家ができて間もない頃には、大衆の目を引く方法で処刑することが多い。北朝鮮の最高指導者である金正恩は、2011年に父親から地位を譲り受けたが、統治の最初の4年間で副首相や国防省、自分の叔父を含む70人以上の部下を粛清したと言われる。高官たちが集まる中、叔父を高射砲で殺害するなど芝居がかった行動が目立つ。今日の西洋人はそのような行為に恐怖を感じるが、歴史の中では身近な仲間の幸福さえないがしろにする騎士がそのまま専制君主になり、ほとんど非難もされなかった。 現代のヨーロッパの王族の慎み深い行動は、彼らの先祖の無限の残酷さとは似ても似つかない。
国家では、死刑が 「王の専制を守る」という、小規模社会には存在しない目標を達成した。小規模社会が1人のリーダーの権力基盤を守ることはない。そもそも リーダー や王が存在しないのが普通だからだ。その代わりに、狩猟採集民や他の平等主義の集団で死刑が担うのは社会の規範に従わないものや利己的な攻撃者から「いとこたちの専制」を守ることである。
攻撃的な男を殺すことで明確に示される社会的支配力は、人間の進化において明らかに広範で重要な意味を持ってきた。ホモサピエンスの自己家畜化に関する中心的な問題は、反応的攻撃性が特に高い個人が殺される傾向にあったかどうかだ。平等を主義的な社会を見ると、独裁者になろうとするものの処刑が体系的に行われてきたという特徴がある。現代でも結婚している狩猟採集民の男性はふつう他人の自主性を尊重するが、ときおり他者を支配しようとする者がいて、彼らはチンパンジーのボスと同じく、反抗するものを激しく攻撃することで自分の高い地位を守ろうとする。刑務所や警察が存在しない世界では、目に余る反応的攻撃は処刑で止めるしかない。つまり、移動生活を送る 狩猟採集民に見られる平等主義は全て、極端に攻撃的な個人が殺されることを内包している。支配的な行為がないことが取り柄の平等主義が、人間がなしうる最も支配的な行為によって維持されているというのは、皮肉で不穏な結論だ。
[…略…]
************************
(たまたま今読んでいるところでしたので)
(処刑が、過去人類の家畜化にどのような意味があったのかの考察で)